探るような目つき。


不審げに問いただすその声音。


ボクが兄から初めて受けた、それら。





++ 神の坐す玉座 5 ++

+ 神の住む家 +





    
言ってしまった。


そんな後悔が押し寄せてこようとも、もう遅い。音として発してしまった言葉は元に戻らない。
やはり、目の前の兄はそんなボクの答えを全く予期していなかったのだろう。目を見開いたまま、彼は状況を飲み込もうとしつつも飲み込みきれないようだった。


(当たり前か)


こんな身の丈2メートルを越すほどの男が、しかも甲冑を着込んでやってきて、「弟だ」と言えば驚かないはずがない。
兄は何か考え込んでいるようだった。ボクの言葉が真実か、もしくは何かの目的を持っての虚言かどうかを判断しているのか。
やがて彼はボクを覗き込むように見据え、不審そうな声音のまま尋ねてきた。


「…弟?」


「う、うん。ボクは…兄さんの弟で、名前が」


「何人だと思う?」


「…え?」


ボクの言葉を遮り、兄は心から面倒そうに呟いた。
もう数えるのも鬱陶しいと言わんばかりのその仕草。


「此処に来て、3ヶ月くらいになる。その間、何人来たと思う? オレの親戚や親だって連中が」


「どうして」


「オレが身寄りいねぇってのは、誰でも知ってるからな。おこぼれでも欲しかったんじゃねぇの?」


まぁ大体は、ちょっとつつけばすぐボロが出たから叩き出したけどな。
そう続けようとした兄であったが、今度はボクのほうがその台詞を遮った。


「違うよ!」


「…は?」


「何で、ボクがそんなことしなきゃいけないんだよってこと! 兄さんのそれが錬金術だってのも、ボクは知ってるんだから!」


「確かにな。…でも、オレにどうやって区別をつけろって言うんだ?」


オレの方こそ、何も証拠たりうるものを持っていないのに?


そう言いきった兄は、開き直ったように笑ったつもりでいたのだろう。
けれどボクには、不安定な幼子のように見えて仕方がなかった。
己を失うという感覚。


あぁ、ボクたちは何処までも兄弟だ。
同じ過ちを犯しただけでは事足りぬとでも言いたいのか。


ボクは身体という感覚全てを失って。
兄は自分という感覚を全て失って。


それでもボクたちは生きて、生きて。
こうしてまた顔を合わせることができている。


(ボクが、いるから)


世に逆らう身体を持つこのボクですら、こうして生きているのだから。
あなたが、苦しむ必要なんてないんだ。


(ねぇ)


彼が何を忘れて何を覚えているのか。
訊こう、と思った。


忘れたのなら思い出させてあげるから。


無くしたのならまた見つければいいのだから。


だから。


「行こうよ…兄さ」


差し伸べかけた腕は、突然遠くから聞こえてきた怒声によって停止した。
幾人かの足音が手入れされた庭を荒らし、そしてこちらへと向かってくる。ボクと兄とを取り囲むように4、5人の信者だろう人々がぐるりと立ちはだかった。
皆、似たデザインの長衣を着込んでいる。兄のそれとは形が違ったので、おそらく教団内で格付けがなされているのだろう。
気のせいだろうか、全員殺気立った表情をしている。
それが自分に対して向けられていると判ったのは、彼らが手にした長槍をいっせいにボクへと突き出してきたからだ。


「あ、あのー…」


「黙れ異教徒! トゥリア様に近寄るな!」


「早くトゥリア様から離れろ!」


できるだけ穏便に済ませたかったのだが、彼らは血気だっており、どうやら話し合いは不可能であるようだ。
本当にトゥリア様と呼ばれているのだなぁと、今更な感想を抱きつつ、ボクは横目で逃走ルートを確認した。
扉とまでは行かずとも、壁に穴を開けてしまいさえすれば、後はどうにでもなる。
兄はどうするべきか。連れて行こうとして、抵抗されやしないか。また機を改めるべきか、それとも……


しかし。


「―――待て」


ボクを庇うように、兄の左手が伸ばされた。


「トゥリア様!?」


訝しげな信者たちに、兄はぞんざいにボクを顎でしゃくると、


「こいつ、オレが預かることにしたから」


「…なっ」


「そーいやお前、名前何だっけ?」


「あ、アルフォンス。アルフォンス=エルリ…」


あー、苗字まで要らねぇよ。
ひらひら手を振って、兄はさっさと彼らのほうへと向き直った。
行儀悪く、杖の先端でボクを指し示しながら、告げる。


「そう、このアルフォンス。オレが身元引き受け人だから、そのつもりで接するように皆に伝えとけ」


「トゥリア様、差し出がましいようですが、ロムルス代表は何と…」


「あー知るか、んなもん」


納得はおろか、状況の把握すら追いつかないらしい信者たちを完全に無視して、兄は1人すたすたと歩き始めた。
思わずその姿を見送りかけると、くるりと彼は振り返り面白くなさそうに言った。


「来ないつもりか、お前」


「え、あ、うぅんっ」


慌てて彼の横に並び立ちながら、ボクはちらちらと横目で兄を見つめた。
背後で呆然としているだろう信者たちの気配が、次第に遠のいていく。兄はといえば、全く彼らを気にした様子はなかった。
しかし先ほどまで、全くボクのことを信用していなかったようなのに。
一体どういう心境の変化なのだろうか。


それが聞こえたわけでもあるまいに、兄は釘を差すように告げた。


「…言っとくけど…信用したわけじゃ、ないから」


「うん」


「だいたい、オレが兄でお前が弟って普通思わねぇし」


「うん」


「だから…何て言うか」


だーっ、と兄はぐしゃぐしゃを綺麗な髪をかきむしった。
あぁ、勿体ない。後で綺麗にくしけずってあげなくては。


「…嘘つくのが下手なヤツは、嫌いじゃねぇし」


「……うん」


嘘ではなくて、本当のことなのだと。
言い募ることは、今は止めておく。


「で、だ」


「?」


「…名前、何だ?」


「だから、アルフォ…」


「じゃなくて、オレの名前」


嘘でも本当でもどちらでも構わないから、オレの名前を言え。


「エドワード」


「ふぅん? 結構、普通の名前だな」


「なに想像してたのさ、兄さん」


あまりに兄らしくて、思わずくすくす笑ってしまう。
しかし兄は、ボクに顔を向けないよう前を見て歩きながら、どうでもいいことのように口にした。


「…兄さんて、呼ぶな」


「え、何で?」


「その自覚も記憶もないのに、呼ばれても困る」


ずき、と胸の奥が痛む感覚がボクを襲う。
この空っぽの身体にも、痛覚があるのだと思い知らせることのできる唯1人の人は、今ボクにまぎれもない刺を突き刺している。


けれど彼は、そのことにすら気づかない。


ボクを見ていないから。


「だから、エドワードでいい。そう呼べ」


トゥリアなんて女の名で呼ばれるよりかは、幾分マシだ。


「やだよ、兄さんを名前で呼ぶなんて慣れてないもん!」


「やかましい! オレが兄なんだろうが。弟は逆らうな」


「兄さん」


「エドワード」


「…エドワード兄さん」


「…妥協してやる」


言い争いながら、何時の間にか。
ボクは兄が私室として使っているという部屋の前まで来ていた。
ここに来るまで幾つの扉をくぐって、幾つの角をどう曲がったかも覚えていない。
しばらくは、兄につきっきりで構造を覚えることになりそうだ。





こうして、この真っ白な神の家で、ボクは再び兄とともに暮らすこととなった。





(風景自体は大差ないのに)
(こんなにも違うのは)
(あなたが)





(此処にいながらも、此処にはいないから)

to be ...







>>>アル編。
ようやく互いが互いを認識しました。(長…)


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