見るな。
その目で、オレを見るな。 お前が何を望むのか、オレは知るのが恐い。 |
++ 神の坐す玉座 4 ++ |
+ トゥリア + |
神殿中に霞がかったかのようにたち込めた香の煙から逃れるように、オレはさっさと祈りの間から表へと出た。 いくらこちら側へは香が回って来にくい造りになっているからと言っても、それが身体にいいわけもない。 息をつき、長衣に染みついたあの場所の空気をはたはた叩き落としながら、オレは胡乱気に目の前の男を見た。 相変わらず頬のこけた男だ。 ゆったりと余裕を持たせすぎたローブが枯れ木の印象を更に強めているのは疑いようがない。 この男の容姿がどうであろうが構わないが、ときおり好色の混じった目で見てくることだけは耐えがたい。 そういえば今朝方も不快な思いをしたし、この教団の連中おかしいんじゃねえの。 あぁもう、誰が肩抱いて良いっつったよ。 しかもてめぇ、右側に抱きつくんじゃねぇ。そっちは義手だ。 やや強い力でロムルスの手を払いのけ、奴を1人其処に残して歩き出す。 何か言い立てているようだったが、オレは気にも留めない。 結局ヤツが実力行使に出てくることだけはないと断言できるが(何せ今の自分たちの関係を一言で表すとしたら『共依存』になるだろう)、それでも苛立たしいことはあるのだ。 脂と血管の浮いた手で馴れ馴れしく触れるな。 黄がかったその白目が心底鬱陶しい。 襲い来るのは生理的嫌悪感だ。 そしてその感情の矛先は、あの教祖サマだけではなく自分自身へも向かう。 この状況に甘んじているくせに。 今を変えようとは微塵とも思っていないくせに。 だいたいオレを此処に留めているのは、『お前』だろうが。 +++ がっしゃん、とやや大げさな身振りで、男はこちらを見たまま停止した。 「ちょっと来い」 「え…っ!?」 そのまま硬直した箇所からひび割れて崩れるんじゃないか、と思わせるまでに綺麗に彫像と化した男を無視して、オレはそいつを教団内へと引きずり込んだ。 とは言っても、オレはこんな身体だから片手で何かを掴みながら移動するということができない。 だらりと垂れ下がったままの義手が、いっそ滑稽なまでにゆらゆら揺れる。 そして杖と義手と左手とを駆使して無理やりに相手を連れ込もうとすると、危なっかしく見えたのだろうか、大人しくついて来た。 自分から行動を起こしておきながら、妙な奴だと思う。 普通なら、驚愕する部分だろう。 いきなり壁が扉になって、そこから人間が現れ、更には先ほど追い出された建物の内へと強制送還されたのだから。 しかしどうも、様子がおかしい。 この鎧の男は、目の前で見たはずのその事象について、何も疑問に思っていないようだった。 (―――神の御業など、信じていないように見えたんだが) 黙ったままのオレに、やがて男のほうがぽつりと言った。 「どうして…ボクの場所を」 「アンタの鎧の音、けっこう響くんだよな」 だいたいの当たりをつけて、扉を造れば拉致成功。 「これで扉は要らない…っと」 再び義手を持ち上げて、両の手で扉に触れれば閃光の後に花崗岩の壁へと戻る。 扉を、壁に。 あぁそうだ。確かに此処は牢獄かもしれない。 けれど逃げられないわけじゃない。逃げない、だけだ。 それをオレも、あの教祖も知っている。 何処にいようと、たぶんオレにとっては似たり寄ったりだろうから。 だから多少はむかつく感情に蓋をしながらも。 オレは此処で『トゥリア』と呼ばれれば返事を返す。 人々の驚愕や歓喜の視線に、慣れつつある自分がいた。 しかしこの男は、何処か痛ましそうに自分を見ていたから。 自分でもおかしいくらいに、苛立った。 苛立ちの原因を再び招き入れるなど、オレはほとほと退屈しているらしい。 いかつい鎧を着込んだその男は、オレなら3人は抱えられるんじゃないかと思わせるほどの巨躯だった。 博物館に展示してあっても不思議じゃない、年代モノのそれだ。 しかし予想に反し、その隙間から洩れ出た声はかなり若い―――まだ少年といっていいほどの声に聞こえた。 「…トゥリア、さ」 「それがオレの名じゃないって、知ってんだろ?」 元々女性の名だ。 「お前、オレを…知ってるのか?」 訊きながら、オレは何処かで(これはおそらく残酷な問いなのだろうな)と思う。 そして俯く男を見て、ちり、と胸の奥が軋んだ。 「それじゃあ、オレがやってるアレ―――アレも知ってるのか?」 どうしてだろう。 どうして、こんな無機質の。分厚い鎧を着込んでいるのに。 どうして、こいつの感情が判るんだ。 あぁ、今悲しいのか、と。 判るんだ。 「…錬金術」 やがてぽつりと男は言った。 「錬金術?」 「覚えてないの?」 知っている。 錬金術が、どういうものであるのかくらい。 「質量保存の法則…等価交換の原則…錬成陣によって発動する科学技術」 「覚えてるんだ」 「でもオレ、錬成陣使ってねぇけど?」 考えてみれば、オレの脳内にはこれでもかと言わんばかりの錬金術に関する知識がつまっていた。 探ればほいほいと、『知っている』事柄が浮かび上がる。 あぁ、錬金術師だったのかオレは。 これほどの知識を持ちながら、一般人であるということはないだろう。 「貴方は…錬成陣なしでも錬成ができるんだよ?」 「…ふぅん、そ」 これが錬金術だということを、教えられてオレは初めて知った。 +++ 人間の記憶には、2種類ある。 思考としての陳述的記憶と、意識しない手続記憶。 そして陳述的記憶はさらに2つに分けられる。 業務や学業などの客観的な知識を記憶する意味記憶と、日常生活など個人的な思い出に関わるエピソード記憶と呼ばれるものとに。 3ヶ月前この神殿内で覚醒した時、オレはほぼ全ての記憶を持っていたがしかし、エピソード記憶に分類される記憶全てを失っていた。 目覚めれば寝台に寝かされていて、今から考えてみれば屈辱的だが、あのロムルスに頭上から覗き込まれていたのだ。 それが、最初のオレとしての記憶。 そのために、突然言葉が判らなくなったとか、生活様式が理解できないとか、そういう社会不適合となるような問題は起こらなかった。 社会構造、地域生活、法律とルール、一般常識。 それらは全て把握しながらも、オレは見事に、オレ自身に関することだけを完全に忘れきっていた。 例えるなら唐突に、今まで知りもしなかった人間としてこれから生きろと、宣告されたようなものだ。 生き方は判るのに、生きてきた筋道が判らない。 「…知らないのに、錬成できてたの?」 「それこそ知るか。何か適当にできるんだよ」 原理も法則も意識しないままに、オレは『それ』を行うことができた。 ただどうすればいいのかだけが判る。 不恰好極まりないが、不自由な右手ごと両手で対象物に触れ、そして念じればたちどころに。 「…知らねぇけど、たぶん」 この不完全な身体に刻み込まれているのだ。 触れるだけで錬成の行える、それが。今もオレの体内にしっかりと。 刻み込まれた、そのしるしを見れば。 それはきっと、罪の形をしていることだろう。 「…なぁ、お前、誰なんだ?」 どうして、お前はオレを見るんだ。 「お前、オレを知っているんだろう?」 別にオレ自身について知りたいわけじゃない。 そんなことを知ったところで、何にもならない。 けれど。 「お前…オレの、何なんだ?」 この鎧の男がこうしてオレを見下ろす、その視線の中に。 何が混じっているのかだけは、切実に知りたかった。 言わなければこの場で殴り飛ばしてやろうと思いながら、オレは男が逃げられないよう退路を断つように立ちはだかった。 男は、言いにくそうな素振りをしばらく見せていたが、ようやく極小さな声で呟いた。 オレの世界をひどく混乱に陥れる、その一言を。 「……兄さん」 (確信した、その時) (こいつはオレを壊しに来たのだ) (その為だけに、この場所に) (降り立った) |
to be ... |