前進する度に響く、杖の音。 意思によっては動かない、右の手。 編まずに結わえられただけの、金の髪。 以前とは全く異なった姿で。 彼は、其処にいた。 |
++ 神の坐す玉座 3 ++ |
+ 偽りの奇跡、偽りの手足 + |
アンジュという女性からその町のことを知ったボクは、居ても立ってもいられない、という気持ちそのままに急いていた。 『神に愛された子』がいるという、『神の家』 何処にでも、やや大きめの町になら必ずと言っていいほど存在する新興宗教の類だろう。 アンケトの女神の名を冠した、名前だけはご大層なシロモノだ。 けれどボクには宗教なんて関係がない。 もともと、神に見放されたようなボクたちだ。 神よりも大事な人のためにのみ、これからが存在している。 ハスト、という町にその神殿はあるという。 運の良いことに、ハストはボクのいた町からやや東、二駅ほど列車に揺られれば着く場所にあった。 勢いのまま列車に飛び乗ってしまい、荷物やその他諸々を宿に置きっぱなしにしてしまったことに気づいたのは、すでに途中下車ができない頃だった。 資金は常に身体の中に蓄えてあるし、置いてきた物といえば代替の効くカバンや雑貨類であったから、問題はないだろうが。 宿の女将にごめんなさい勝手に処分してくれていいです、と心中謝って、ボクは見えてきたハストの町に思いを馳せた。 居るのだろうか、ここに。 兄は。 降りる準備を(とは言え、前述の通り荷は地図と旅費だけだ)しているボクに、先ほどからちらちらとこちらを覗き見ていた旅行者風の男性が声をかけてきた。 確かに、鎧姿で車中の人、という光景は珍しいだろう。 兄と向かい合わせに座っていると、ボクに反応を示す客にいちいち、兄が睨みを利かせていた記憶がある。 ボク自身はもうそれほど気にはならなくなっていたのだけれど、そんな兄の優しさが妙にくすぐったかったことも。 「あんた、ハストで降りるのかい?」 「え? あ、はい。そうですけど…」 「あそこはなー…良い町なんだけど…」 お前さんにはな、とやや困ったような顔で、まだ若いその男性は日に焼けた顎を撫でた。 「ソレ、機械鎧かい?」 「いいえ?」 「あぁそうか。なら、大丈夫だろう。さっさと脱いだ方がいいぞ」 「…はぁ」 脱げるものなら、脱いでいますよ。 とはさすがに言えないので、ボクは曖昧に返事をする。 「あそこはな、保守的な町だからさ……機械鎧とかあまり良い顔されないぞ」 「そうなんですか」 「ああ」 実体験済みだよ、と彼は笑って、ズボンの右脚部をめくり上げた。 見慣れた、けれど彼とは違う型の義足がちらりと覗く。 「…判りました。気をつけます」 「あぁ。気をつけて。もう着くぞ」 ゆっくりと列車は動きを緩め、そして目的地へと到着した。 良い町、と言われたように、この駅で降りる人間はちらほらいるようだ。 駅向こうの商店街からは、活気に満ちた喧騒が聞こえてくる。 「それじゃ、ありがとうございました」 「いいや。Good luck!」 ひらひらと振られた手に送り出されるようにして、ボクはハストの町へと降り立った。 +++ 予想以上にこの町では全身鎧という格好は目立って仕方ない、という事実に、ボクは町の探索開始から10分経たずに気がついた。 突き刺さる視線、視線、視線。 好奇や興味、というよりは不審や嫌悪に近いその視線の波動に、ボクは少しばかり参っていた。 まだ露骨に石でも投げられない分、マシだろうが。 「…すみません」 気後れはしていたが、やむなく果物の行商をしている中年女性に声をかけた。 予想にたがわず、彼女は驚いたようにボクを頭の先からつま先までしげしげと眺めていたけれど、やはり商売人である。 行商であるから、元は他の町の住人なのかもしれない。すぐに何事もなかったように、ボクにリンゴを勧めはじめた。 情報代ということで、リンゴを3個貰うことにする。 「はい、3つね。…お兄さん、目立つ格好してるねぇ?」 「ええ、ちょっと事情が……あの、訊いてもいいですか?」 「ん? なあに?」 「『神に愛された子』って…聞いたことあります?」 ぽかん、と一瞬静止してしまった女性はしかし次の瞬間、くすくすと笑い始めた。 「やだね、お兄さん。この町での1番の有名人を捕まえて知ってるか、なんてさ」 「有名、なんですか」 「そりゃもうね。神の使いって言うじゃないか。あたしは見たことないけど、凄いらしいね」 1度見てみたいもんさね、そう言って笑う彼女に神殿とやらの場所を教えてもらった。 これから行く気なのかと訪ねられ、そうだと答えると、それじゃあお布施代わりだ、とリンゴを更に3つ袋に追加された。 「ありがとう。それじゃ、行ってみます」 「ああ、神サマを拝んできなよ」 場所も判り、さぁと意気込んでいたから、あやうく次の彼女の台詞を聞き逃すところだった。 「トゥリア様に宜しくね」 +++ 聞けば『トゥリア様』は、数年前からハストの町に滞在していたらしい。 ただ神殿の奥にずっと篭りきりで、姿を見せ始めたのがつい最近…1、2ヶ月前からだという。 (…別人?) そんな考えがふとよぎる。 金髪で、金目の人間。確かにその色合いは珍しくはあるだろうが、けして類を見ないというわけではない。 たまたま、外的特徴が一致しただけだろうか。 けれど、そんな不安も『その名前』で疑惑に変わる。 『トゥリア』 忘れようのない名前。 ボクたちにとって、他のない名前。 いつでも思い出されるのは、雲ひとつない晴天の下、洗濯物をロープにかけていく彼女の姿。 風に揺れる白のエプロンと、ふんわりとしたワンピース。 そして大好きなその人の元へと、必死に駆けて行く在りし日の自分たち。 忘れたくても、忘れられない。 自分たちにとって、その名は世界で唯一のものだった。 ―――母親の、名。 +++ 御影石や大理石、その他の鉱物で形作られた神殿は昼の礼拝が近いらしく、けっこうな群集でごった返していた。 すでに手元にリンゴの袋はない。 自分で口にできるわけもないが、あっさり捨てられるほど感謝の心を知らないわけでもなかったので、つい先ほど見かけた子どもに袋ごとあげてしまった。抱えていた手作りの人形以上に愛らしい子で、あの子の母親は、多少は驚くかもしれないが。 並ぶ人々に交じって押されるように神殿へと近づいていった。 てっきり、神の子を売り物にお布施でも巻き上げている類かと思っていたが、何を徴収されることもなく、ボクはすんなりと礼拝堂に入ることができた。 重みのある色合いの長椅子に思い思いに腰かけ、席にあぶれた者もそれを気にする様子もなくその辺りに突っ立っていた。 ボクもそれに倣い、後ろの方へと立っておく。 そして、礼拝が始まった。 教祖らしき男は、見たところ50代前半といった感じである。 痩せぎすの貧相な顔に、伸ばした髭がよけいに枯れた印象を与える男だ。 (もう少し身奇麗にしたほうが、宗教者としてはいいと思うんだけど) 忠告してやる義理はないので、思っておくだけにしておいた。 はっきり言って、教祖(周囲の群衆の話から察するに、ロムルスという名らしい)の話には、ボクは全く興味が持てなかった。 だいたいの目的が違うというのもあるが、どうにもカリスマ性というものが感じられない。 しかし何処か強迫じみた信念だけは感じ取れるような、ありていに言ってしまえば非常に人間らしい教祖様だった。 彼の朗々とした演説が終わり万雷の拍手と共に、ロムルスがその片手を高々と掲げた。更にざわめきはいや増す。 ゆるりと、奥に垂れ下がっていた薄絹の垂れ幕が揺れ、そしてコツリ、と何かが床を叩く音が響いた。 途端に、群集は一瞬静まり返った。 左上腕に輪のような部品を通し、杖と前腕とを固定する型の杖(いわゆるロフストランドクラッチというやつだ)をついた人間。 教祖と似た、黒を基調とした簡素な長衣に身を包んだ、少年の姿。 歩く様は明らかに左の足が不自由であるのに、同じ左手に杖を持っている理由はすぐ知れた。 右腕もまた、不自由であるからだ。 杖を逆手で持たねばならないゆえに、足音と杖音とが不自然なリズムで刻まれていたが、彼は慣れているのかためらうこともなく歩を進めていく。 見慣れていたはずのその金髪は、かなりの長さとなって彼の背に流れるように揺れている。 勿体をつけるように群集を眺め、どこまでも自然な(それでいて、ボクには奇妙に見えて仕方のない)笑顔で彼は『奇跡』を行った。 「――――――っ!!」 どうして手足が、とそんなことはいまやボクにはどうでもよく。 兄が何故こんな場所にいるのかも、何故こんな真似をしているのかも、考える余裕もなく。 ボクは押さえきれない感情のままに、叫びたてていた。 驚いたように身を引く周囲の群衆や、駆け寄ってくる信者たちの視線に混じって、彼の視線もまた、流れるようにこちらを見た――― (兄さん) (会いたかった) (生きて―――) けれども彼の表情は、ボクを見たにも関わらず何の変化も刻むことはなかった。 +++ 何の反応も見せないままに、教祖と兄は神殿の奥へと姿を消した。 そしてボクはまるっきり異分子を排除するかのように(確かに不信心者ではあるが)信者や門番らに追い出され、仕方なく神殿をぐるりと取り囲む壁沿いに歩いていった。 錬成して扉を造ることも可能であるが、兄が何処にいるのか判らない以上、すぐさま行動するのは早計というものだろう。 真っ白な壁には汚れひとつない。掃除を欠かさないのだろうか。 この向こうに捜し求めた人がいるのに。 こんな時、おそらく兄ならば『うだうだ考えてても始まらねーだろ、うら行くぞ!』と自分が止める暇もなく突入しただろうが。 そこまで考えて、自分と兄との性格の差に笑っていると。 よく知る光。 錬成反応の光が壁の向こう側で起こったかと思うと。 ボクのすぐ横の壁には、石造りの扉が(刻まれた獅子の彫像は、相変わらずの大雑把さだ)現れた。 ぎぃ、と扉はこちらへと開かれる。 願望と予想とが微妙に入り混じったままに、その奥を見つめる。 扉を開けたその手は、探し人の左手だった。 (その目が) (『弟』を見る目で見てくれることを) (望んでいたけれど) (望んでいたのだと、思うけれど) |
to be ... |