毎朝、目が覚めて思う。 ―――あぁ、今日もまだこのままなのか。 そう、オレはきっと。 生きているんじゃない、死んでいないだけだ。 |
++ 神の坐す玉座 2 ++ |
+ 信仰の形、その内側 + |
白い朝日が窓から部屋へと差しこんで来る。 毛布を被ったオレの目にも容赦なくそれは射し、いやでもオレは覚醒を余儀なくされた。 身動きするたびに、上質のシーツがさらりと肌を撫でていく。真っ白なシーツは未だに太陽の匂いがするのではないだろうか。 上体を起こすと、散らばった髪を煩わしげに手櫛で梳いた。 手入れする気にもならず、伸ばしっぱなしの髪はもうじき腰にまで届く長さだ。あまり身なりに気を使う性格ではないのだが、何もせずに放っておいても痛む気配のない髪は、女性なら羨ましいと言うのだろうか。 あいにくとオレは男で、髪が痛もうと痛まずとも関係ない話だ。 外の廊下に遠慮がちな足音が響き、オレのいる部屋の前で止まった。そして、ノックの音。 「入っていいよ」 オレの言葉に、まだ若い男がおずおずと入ってきた。見ない顔だ。新入りだろうか。 「あ、あの、―――様。教祖さまが、昼の礼拝にご出席頂きたいとのことです」 「あっそう。ふーん…別にいいよ。そう伝えといてくれる?」 「はいっ」 いっそ滑稽なまでに畏まった彼に、「ラクにしてていいよ」と言ってやると、余計に身を縮こまらせた。そういう反応が面白くて、わざと気軽な口を叩いてみるオレもオレだが。 何時まで経っても出て行こうとしない彼に、どうしたのだろうと思って男の視線を追うと、趣味の悪いことにオレの剥き出しの咽喉元にその視線は突き刺さっていた。ちらりちらりと、視線がときおり下方にも移動するのが、見られている側は案外判る。 自分で言うのも何だが、自身の容姿がいわゆる『綺麗』の分類に入る自覚くらいはしている。容姿だけで性格も勝手に夢を見て、言い寄ってきた勘違い男をあっさりと叩きのめしたこともあるだろう。おそらく、今の性格のままだったとしてだが。 「なぁ、出てかないの?」 「えっ、あ、はいっ、失礼し―――」 「ならさ、ちょっとお願い聞いてよ?」 動揺を隠しきれていない男に、初々しいねぇと思いながら、オレは手近に放ってあった紐を彼に突き出した。 「髪、括ってくれる?」 「あ、はいっ」 「悪いね? オレこんなだからさ?」 寝巻きの胸元から、右肩が覗くように左手を差し込んで見せてやると、けして見間違いではなく男の咽喉仏が上下した。 こんな不恰好な身体に何を求めているんだか。 「―――なぁ?」 本当に触れてもいいのだろうかと躊躇しているらしき男に視線を合わせながら、オレは目を細めて甘えてみせた。 「髪、結ってくれねぇの?」 +++ 流れ去っていく日々は、まるで流砂のようにとりとめがない。 実感すらもなくただ食って寝て、そしてまた起きてを繰り返し、それが積み重なって季節は変わって行く。 今が何月で、何日で、そして此処は何処なのかすら、正直オレにはどうだっていいことだ。 何処かで何かを無くしたような気がする。 それがきっと、オレにとっての生きる全てだったのだろう。 けれど失った以上、オレにはそれが何なのかすら判らない。 知ろうとも思わない。 コツコツと、杖が廊下の石を叩く音だけが静かに響き渡った。 このタイル状の造りは杖がつき難いんだと一度文句を言ったことがあるが、まだ直されていない。 まぁそれもどうでもいいことだが。 どうせ、オレに行動の自由は無いに等しい。 この静寂と静謐と、そして信仰と神の住むこの『家』は、『牢獄』という名がついている―――オレにとっては。 与えられた自室には、有り余るほどの家財などが置かれ、要求するものは大抵差し出されたが、部屋の外には見張りがいて、こうして廊下を歩いていても、オレ1人になるということはない。すでに自室から礼拝堂へと続くこの道を数分歩いただけで、2、3人から声をかけられた。『―――様、こんにちわ』『本日の礼拝には、私も参加させて頂きます。―――様』生返事を返していたので、それが誰だったのかも、もう覚えていないけれど。 顔といえば、今朝オレの部屋に来たあの男も。 どんな顔をしていただろう、思い出せない。 オレの挑発にあっさりと乗って、馬鹿力でオレをベッドへと押しつぶそうとしたあの男。 あぁ、馬鹿だなお前。 オレがこんなだから、ろくに抵抗もできないと思ったか? 獲物を見下ろすぎらついた欲望の目に、オレは心の底から軽蔑と、そして落胆を覚えた。 (―――あぁ、この腕じゃない) 詳しくは割愛するが、あの若い男は哀れにも、しばらく生殖能力を失うだろう。 +++ 扉の前の信者たちに声をかけると、彼らは一様に畏まった。 「まだ礼拝、始まってねぇよな?」 「あ、いえっ、今は教祖様が…」 「あー、またあの長ったらしい講釈垂れてるわけね」 あのおっさん、本当どうしようもねぇな。 さすがに信者には聞かれては困るのでそう胸中で呟くと、オレはいつもの小さな扉のほうへと向かった。 「じゃ、後はよろしくな?」 「はいっ!」 (呼べば良い) (最高に最低な、舞台へと) (その主演である、このオレを) 薄い幕の向こうでは、数多くの市民たちが教祖の話に聞き入っている。 今日のお題目は『境界を越えた愛の尊さ』についてらしい。全く、見事すぎて泣けてくるね。 窓と言う窓を暗幕で覆い、照明をぎりぎりまで落とした薄暗い礼拝堂には、数10本の燭台とステンドグラスから僅かに差し込む光のみが光源となっている。 おかげで1人蝋燭に囲まれた教祖の姿がぼんやりと、どこか踊って見えるのがどこまでも馬鹿らしい。 空気が揺れているのだ。 そして、僅かに濁っている。 灯りとは別に、心身をリラックスさせるという目的で焚きしめられているお香の煙だ。 ヒトの判断力を僅かに鈍らせ、依存心を僅かに高めるだけの『お香』だ。 神とか恩寵とかいうモノの、これが正体なのだ。 教祖の話に区切りがついたらしい。万雷の拍手に教祖が愛想良く両手を振って応えている。 そして教祖は大げさな身振りで、オレを手招いた。拍手がいっそう大きくなる。 右肩で押し上げるように幕を除け―――自由な左手はいま、杖を持っているから使えない―――、オレはゆっくりと壇上へと上がっていった。足音と杖をつく音とが不調和気味に響く。 何処かで誰かがオレを『神の子』と呼んだ。 教祖の話で感情が高ぶったか、薄く涙を浮かべた群集がいる。 香の作用で今ならどんな命令でも聞き入れそうな、信者の群れがいる。 ―――最高に最低の、茶番だ。 そしてオレはその茶番の、締めくくりとなる演出家だ。 何の表情も浮かばない顔に笑みだけを貼りつけ、左手で右の手を一瞬掴んだ。そのまま右の手首を掴んで持ち上げ、そして両の手であらかじめ用意されていた石くれへと触れる。 発せられる、閃光。 一瞬で黒ずんだそれが至上の金の輝きを持ち、群集はどよめき沸いた。 オレがサービス精神を発揮して、それを神の肖像に仕立てたのもあるだろう。 人々は奇跡を待ち望み、そしてオレは奇跡を起こしてみせる。この不自由な四肢で。 神のしるしに人々は酔いしれ、彼らは何を願うのだろう。 宗教とはこんなものだ、と。 オレは何処かで知っていた。 どよ、と何処かで違う種類のざわめきが起こった。 教団の幹部や信者たちが、何やらそこへと集まっていく。 何だろうか。誰かが香のせいで何処かの神経がぶち切れでもしたのだろうか。 その騒ぎの中心にいたのは、いかめしい鎧を着込んだ人物だった。 そしてその人物はこちらを見て、興奮したように何かをまくし立てている… 目が、合った。 (黒光りする、その鎧) (どうしてだろう、その時) (その金属塊に感じていたのは、紛れもない暖かさ) |
to be ... |