生身の足と金属の足で交互に走るその足音は、片方が重く片方は鋭く響く。
そう、ボクは。


その足音をずっと、その隣で聞いていた。





++ 神の坐す玉座 13ーA ++

+ 地を這う紋様 +





    
それまで木製の義足であったため、兄は仕方なく左だけ裸足のままで移動することにした。
右腕とは違い、左足は膝までが生身で残っていた分彼の飲み込みは早く、少し歩き回っただけですっかり元のように軽快に歩くことを覚えた。
元来の運動神経の良さもあるのだろう。ボクの1m先を、すたすたと足早に彼は歩く。
その以前より筋力、体力ともに落ちているだろう身体でそんなに急激に動いて負担が大きくはないだろうか。
そう心配したところで平気だと突っぱねる人だと知っているから、ボクは何も言わなかったが。


それに、今はそんなことを言っている場合ではないから。


ボクは教祖から断片的に聞き取った話を、全て兄へと伝えた。
彼の望み、彼の行為、そして突然に襲いかかってきた彼らの、その理由。
兄は何でもない顔をしながら、それでも金の目は確かに動揺を示していた。


脳だけの分解。
それは、人体錬成に関わる禁断の術。


まだ記憶の戻らない彼に、過去の過ちを無理やりに思い出させることを、ボクはずっと躊躇してきた。
おそらく、彼は耐えられないだろうから。
かつてボクの魂を定着させた後に、まるで生き人形のように車椅子に座っていたあの儚い兄の姿は、今でもしっかりと覚えている。
捧げきれない感謝の念と、消えることのない痛々しさと共に。


「兄さん…」


「何だ」


「…助けようね」


誰を、とは今さら言わない。
それは兄にとってはキトという名の幼い少女であり、そしてボクにとっては―――。


「おう」


それまで闇雲に歩いていた道を、一旦引き返した。教祖の部屋に行っても、おそらく何もないだろうとの兄の見解に同意して、ボクたちは神殿の最奥を目指すこととした。
やはり何処にも人の気配はない。あったとしても、それが脳を弄くられた哀れな相手であるのなら願い下げだ。


今、ボクの目の前にはボクの知るままの兄がいる。
両足でしっかりと大地を踏みしめ、顔を真っ直ぐ上げて毅然と歩む、強く美しい人。
赤いコートがなく、三つ編みではないことぐらいが違いだろうか。
黒の詰襟の服と輝かんばかりの金目は、何時だって彼を飾っている。


(でも…)


本当に、あのロムルスという男は何をしようとしているのだろう。
脳を操作することを知り、大人数の信者を犠牲にし、そして永遠を望む彼。
キトという少女に何があったのか判らないが、いなくなったことに関係していることはほぼ間違いないだろう。


(…?)


何かが思考に引っかかる。


―――いなくなった、子ども?


そうだ。
そもそもを思い出せ。
この場所を…兄の手がかりを掴むことのできた、最初のキーワードは何だった?


(『いなくなった子どもを探して…親たちは”神の子”に縋る』)


それの指し示すものはいったい、何だろうか。


「アルフォンス」


「な、何?」


突然に思考を遮られ、ボクは慌てて前方を見た。すでにそこは静謐な空間からは程遠い。兄が立ち止まり、やけっぱちのように両手を広げた。


「団体さんの、お着きだとよ!」


凝視すれば彼らの…犠牲者たちの額がぼこりといびつに凹んでいるように見えるのは、きっと気のせいだ。
脳は頭蓋骨に覆われているため、例え失ったとしても外見に表れることはないのだから。
しかし生理的に走る悪寒だけは、どうにも拭い去りがたかった。


に、と兄が笑い、そして軽快に錬成反応の光とともに、床へとその両手とついた。
一気に彼らは足元の安定をなくし、崩れ落ちる。ボクの建物縦断移動を非難したくせに、兄はどうやら建築物破壊を気にしないことにしたらしい。


「まともに相手してられねーかんな」


全く、その通りではある。
どうやら彼らは思考力も低下しているらしく、這い上がる努力も見せないままに右往左往するばかりだ。
まるで出来そこないの人形のように、と言えば問題があるかもしれないが。


「ねぇ、エドワード兄さん」


「うん?」


「信者の人たちって…どのくらいいるの?」


「…さぁな。訊いたことねぇし。それに……急に増えたから」


いったい何人もの人々が、ロムルスの手にかけられたのか。
これまで相対したのが全てだとしても、ゆうに30人以上は軽い。
数10人もの人間を、たった1人で操り人形へと仕立てたとするなら、彼をそこまで駆り立てたものは何だろう。


落とし穴の横だけは床を残しており、その細い道を歩きながら兄は自嘲気味に呟いた。


「…オレが、パフォーマンスするようになったからな」


「違うよ。エドワード兄さんのせいじゃない」


「オレのせいだよ」


あっさりと彼は断言した。
ボクの言葉を聞き入れる気などさらさらないのだろう。彼の中だけで、全ての裁きは下されているのだ。
彼は何時だって、己への求刑を最も重くする人だ。
いくら声を嗄らしても、届く日が来ないのではと思わせるほどに。
そんな兄がボクは愛おしく、そして哀しい。





+++





とうとう、といった感じで、ボクたちは最も奥だろう部屋へと辿り着いた。


いつかボクが作ってみせた彫刻に似た動物が掘り込まれている。
用心しながら鍵を錬成し、重い扉の奥へと身を滑り込ませた。部屋は暗く、かなり広そうだとは判るが物が乱立しているようでうかつに身動きできない。アルコールランプとマッチを何とか見つけ出し、燭台へと灯す。
薄ぼんやりと浮かび上がった部屋は、興味を持った物を手当たり次第に詰め込んだのではないかと思われるほどに、雑多な物置と化していた。
あちこちに埃が積もっている。蝋燭の明かりが届かない片隅からの小さな物音は、ネズミの這いまわる音だろうか。
周囲の物品には埃の動いた跡すらない。最低でも数ヶ月、人の手が加わっていないことは確かだ。


「…何もないね」


「あぁ」


まさか、此処まで来て部屋が間違っていたのだろうか。


じくじくと染み出てくる不安感に兄を振り返ろうとして、ボクは存在しない心臓が止まるかと思うほどに驚いた。


「兄さん!?」


「…っあ」


ぐたりと兄が力なく側の脚立へと凭れかかっていた。埃が体積した泥がその髪を汚すことにも構う様子はない。


「エドワード兄さん、どうしたの?」


覗き込むと、ひどく顔色が悪い。
蝋燭の揺れる明かりが、よりいっそう彼を生気ないように見せかける。
揺さぶればよけいに悪化するかもしれないと、どうしようと考えている内に兄はボクの腕を支えに何とか立ち上がった。


「大丈夫、兄さん?」


「あぁ…何か、くらりとしただけだ」


まだ機械鎧に慣れていない影響だろうか。


しかし次の瞬間、ぶわりと聞き慣れた大気の振動と、強烈な閃光が室内へと差し込んできた。
この音と光はまぎれもなく、錬金術の錬成反応。


「兄さん!」


ボクが声をかけるまでもなく、兄は部屋の奥に密かに存在していた隠し扉(さすがに洩れる光までは抑えきれない)へと齧りつき、強引にその扉を開いた。ばちんとバネの弾け飛ぶ音と共に、室内へと入り込む。


「…っ!」


先ほどまでの暗さとは違い、晧々と灯りの点る部屋に兄が目を眇める。


「此処、は…」


まさか教団内に此処までの研究施設が完備されていただなんて。
ボクたちは唖然とし、そして広がる視界に驚愕を覚えた。


広々とした部屋には歴史を感じさせる書物が山となしており、先ほどまでの部屋とは違って細かに手入れされているのが判る。
古めかしい重厚な木の机には、薬品の染みが至るところにできており、机上には様々な実験器具が所狭しと林立していた。
床といわず壁といわず天井といわず、ある所には構築式が直書きされており、ある所には何かの科学式のメモがピンで留めてあり、そしてまたある所には、思いのままに書いたとしか思えない文章が書き殴ってあった。


―――『神を求める者よ永遠なれ!』


そして異様な室内に存在する、最もあってはならないモノが其処にはあった。
それは部屋の中央に走るように大書きされた、半径5メートル以上はあるかと思われる巨大な錬成陣―――


ひと目見て判った。
その複雑極まりない陣は、まぎれもなく6年前、兄が作り上げた陣と根を同一にするものだ。


ボクたちが羽根をもがれる罪状となった、あの陣と非常に似た構築式。


「やぁ、お二方。こんな処までご苦労なことだ」


「ロムルス、てめぇ!」


ボクたちにとっての禁忌に等しいその陣の前に、微笑んだ教祖が立っていた。
こちらの乱入も意に介さない余裕を保ちながら、彼は少しばかり片眉を上げる。


「おや? 手足が戻ってるね? 残念だ、杖をついて歩く君の儚さが好きだったのに」


「ふざけんな! お前…その錬成陣の周りにいる、そいつらは何だ!!?」


そう言って兄が指差したその先には。


錬成陣の周りに並べられたように横たわる、幾人かの幼い子どもの姿―――


「…キト…」


「……いるの?」


ボクの問いに、かすかに彼は頷いた。
兄から彼女の特徴は聞いている。髪をリボンでまとめた子は背中しか確認できないが、おそらくはあの子だろう。
此処からでは怪我をしていないかまでは判らないが、背中が緩やかに上下しているところを見ると、今はただ眠っているだけのようで少し安心する。
大丈夫。まだ助けられる。


「…その子を、どうするつもりだ」


隠そうとしても滲み出るほどの怒気を全く隠そうとはせず、兄はロムルスへとそれを叩きつける。
常人や2流3流の悪人なら、その気迫にすぐさま怯えを感じただろう。
しかし男は相変わらずの笑みを浮かべたままだ。


宗教者としてのアルカイックスマイルを固めたまま、男は立っている。


「宗教に興味はない。否定する気もないが、それでもお前のしていることは宗教とも何の関係もない。神の子だ? ふざけんな。お前の望みが何なのかこっちは知ったこっちゃないんでね。…その子たちは連れ帰らせてもらう」


兄はそう言い捨てると、迷わずにキトたちのほうへと足を向け…そして、陣へと近づいた次の瞬間には閃光と共に彼の身体は突き飛ばされたように弾かれた。


「兄さん!」


「…な!?」


間一髪で彼の身体を受け止め、異常はないか確認する。どうやら掠り傷もないようだ。


「あぁ、エドワード君」


初めて、教祖は兄の名前を呼んだ。さも当然のように、しかも親しげに呼ぶことに、こんな場であるにも関わらず不快感を覚えた。
ロムルスは意味ありげに視線を兄の肢体へと彷徨わせ、ひたりとその機械鎧の位置で静止した。


「残念だが、君のその身体はこの陣にはそぐわないようだ。君だけは入れやしないよ。……ふふ、その手足と、何やら関連がありそうじゃないか?」


本当なら君が欲しかったんだが、と冗談とも本気ともつかぬことを言う。


男は当然知らぬだろう。 ボクがどんな存在であるかを知っていたが、そのために兄に何が起きたかまでは知れるはずがないのだから。
そして今、この場でその理由が判るのはボクだけだろう。
彼は真理の扉を開けた少年だ。
細胞ひとつひとつに、残らず真理が刻み込まれた少年だ。
その手は陣を必要とせず世の法則を掴み取り、不可能と思われた特定人物の魂ですら、犠牲を払いながらも創り上げることのできたたった1人の存在だ。


だとしたら、すでに身体に焼きつけられている陣に再び組み込むなど、ありえないとしか言いようがないだろう。
兄をこの錬成陣に、あの子どもらのように並べようとしたとて、どだい無理なことであったのだ。


そして、ボクはようやく思い至る。


だからか?


だから今度は兄を利用して、彼の意のままになる手駒を増やすことから始めたのか?


もしかして。
もしかして。


『いなくなった子どもを見つけてくれるだろう神の子を創り上げた』のではなく、
『さらう子どもを得るために神の子を仕立てた』?


この、目の前の男は何を何処まで計画していたのか。


ボクは初めて、この宗教者を恐ろしいと感じた。


(おぞましさでも侮蔑でもない、純粋たる恐怖)

>>>B







>>>済みません!
実はこれ前編です!まだアル編は続きます。


>>>B


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