茫洋とした頭を抱えながら、周りを軽く見渡した。
真っ白な部屋。真っ白なシーツに包まれた自分。真っ白な記憶。
かすかに残る何かの香りに、ふと意識が揺らいだような気がして、そのまま身を任せて眠りに入る。


何処かで、耳障りな男の声がした。


(―――器には、最適だと思ったのだがな)





++ 神の坐す玉座 12 ++

+ 追い求められる者 +





    
「…っ、ちぃっ!」


勢いよく振り落とされてきた棍棒を何とか身をそらして避け、バランスを逸しかけて慌てて身体の水平を保つ。
相手に背中を見せることなく瞬時に向かい合ったが、詰問しかけてそれが1人ではないことに気づいた。


いつの間に近づいてきたのか、気配を全く感じないままに、回廊は10数人の信者で混雑しきっていた。
普段回廊ですれ違うばかりの者、礼拝にて進行役をしている者、門や出入り口の見張りを務めている者、そして―――確かに数日前、キトを預けたはずの男の顔もそこにあった。


「おい、お前…っ!」


キトを、あの子をどうした。


疑問を口にする前に、男はこちらへとその太い腕を伸ばしてきた。
そして気づく。
皆、目の焦点がどこか合っていない。その上、意味もなく笑みを浮かべている人間がちらほらと見受けられる。


(何だ、こいつら―――?)


腕を掴まれかけるが、反射的に振り解く。
しかしオレの腕は1本。オレの足も1本。(随意運動できるものでは、だが)
対して相手方の腕は計20数本。足も同じく。
これで人海戦術しかけられて、普通はまぁ逃げられるわけがない。そうだろう?


手首を掴まれたのを皮切りに、次々と連中の手が絡みついてきた。
二の腕を掴まれる。首筋を押さえられる。関節を固定される。


「こ…の……っ」


足首を捉えられ、義足側にだけかかった体重によりぎしりと負荷がかかり過ぎたらしい。
一気に崩れ落ちた。がくんと膝が折れた感じと言えば近いか。
そして上からのしかかるように、オレを押さえつけにかかる顔だけ知っている男たち。
手といわず足といわずからめ取られ、オレを1番近くで押さえ込んでいる男(確かこいつは、オレが礼拝に出る時いつも裏にいる奴だ)と目が合った時、その顔に言い知れぬ不快感を覚えた。
ぞっとした悪寒と溢れてくる生理的嫌悪感。


「き…気安く触んじゃねぇっ!」


なかなか思うように動かせない指先で、何とか床にこしらえていた錬成陣を発動させる。
ずず、と奴らの立つ床の硬度が変わり、彼らはバランスを崩しかけて注意がオレから逸れる。


それを見逃さず何とか連中の腕を振り払うと、改めて左手で義手を掴み、そして今まさに人工アリ地獄に飲まれかけている連中に、追い討ちをかけた。
アリ地獄の深さを容赦なく5メートル単位で指定し、ついでに天井を少し頂戴して蓋にする。
ばぐん、と重苦しい音で閉じ込められた男たちは、どうやら助けを呼ぶでもなく地下をうろうろとしているらしい。
この程度、オレにした狼藉を考えれば慰謝料代わりにもなりやしない。
むろん、これはちゃんとした正当防衛である。過剰防衛上等だ。我が身あってこそのその他。


「…まじかよ」


思わず口から滑り出てしまったのは、突然彼らが襲いかかってきたのことについてではない。
あの時、たった10センチ程の間隔で男と目が合ってしまった時に感じた、湧き上がってきた感情についてだ。


他人との接触が好きな性質ではないのだけれど。
好んでするタイプでもないのだけれど。
それでも、あの時男に対して感じたのは、圧倒的な拒絶。


―――他の男に触れられたくない。


「…つーかさ、貞操観念とかって、ガラじゃねーだろオレ……」


我ながら泣きそうな声でそう呟いた。
過分に自嘲が混じった声で。


進んで撫でられに行く趣味は持ち合わせていないけれど、目的があるのならば誰に触れられようと眉ひとつ動かさず我慢できる。
今まで自分のことをそう思ってきたし、事実そうだったはずだ。
それなのに。
それなのに。


至近距離とはいえあの程度見つめあっただけで、ちらとでも(あいつじゃない)と思ってしまった自分は。


目的が違うというのに、身体を這い回る手に(あいつの手じゃない)と考えてしまった自分は。


「…くそ」


これでもかとばかりに思い知らされてしまった、消え入りたくなるような自覚。
悔しい。
自覚はしていた。相手と自分の狭間が鬱陶しくて仕方なかった。
けれど、反射であの男を望んでしまうまでに、自分が喰われていっているとは。


現実が、願望を超え出した。


「何か…むかつく」


胸の中で、何やらもやもやとした思いを抱えながら、オレは再び歩き出した。
先ほどのようなことがあっては堪らないので、今度は足音や気配に細心の注意を払いながら進んでいく。
静かな回廊。本来宗教とはこういう空間そのものではないだろうか。
神を信仰する心そのものを持ち合わせていないらしい自分には、知った風な口を聞く気はないが。
そして、迂回しながらも教祖のいるはずの部屋近くにたどり着いた時だった。


ぱぁ、と右手の壁が鋭く光った。
錬成反応の光だ。


たかが扉を造るために、そこまで細部にこだわってどうするんだと思うような彫刻の施された扉が現れ、そしてゆっくりぎぃと開いた。
オレは警戒も露に、いつでも相対しそして逃げられるよう、姿勢を整える。
そしてオレはふと思い出した。
そういえば、最初にあの男に声をかけたのも、こんな状況ではなかったかと。
ただ現状とは、扉を造る者と驚く者とが入れ違っているけれど。


そう、のっそりとその迫力ある顔を覗かせたのは―――先ほどさんざ捜していた鎧の男だった。


「…あれ、エドワード兄さん! どうして此処に゛っ!?」


「てめぇっ! 何のこのこ出てきやがんだっ!」


アルフォンスの語尾が濁ったのは他でもない。
オレが間髪いれず、容赦なしにロフストランドクラッチで殴りつけたせいである。
能天気にオレの名を呼ぶ彼に、さらに無駄な腹立ちは募った。


「い、いきなり何するの!?」


「うるせぇ! 黙って殴られろ!」


お前のせいで、しなくていい気恥ずかしさの真っ只中に放り込まれたんだからな!


とは、さすがに本人に言えるはずもないが。
どうも最近自分は暴力づいている。
これはきっと、元からこういう性格だったに違いない。
つまりはオレに責任はない。


元からそれほど体力がなく(我ながら不摂生だとは思う)、普段からもかなり酷使している杖をこれ以上破損させるのも躊躇われたのでオレが動きを止めると、アルフォンスはじっとオレを見つめ、何故か安心した風に頷いた。


「良かった、兄さん…無事だったんだね」


「ふん。お前こそ、どーしてんなトコから出てくんだよ」


「あ、あはは…道が判らないから、まっすぐ扉造って直進してて…」


「建物内を縦断するな」


こんな事態でなかったら、さぞかしいい迷惑な移動方法であろう。
と、その時ようやく、アルフォンスが手ぶらではなく何かを抱えていることに気がついた。
何やら汚らしい、金属製のガラクタに見える。


「それ…」


何だ、と訊こうとしたが、それはまた後方から現れた信者の影に叶わなかった。
くるりと回るように相手に向き直り、杖を振るって連中をくず折れさせていく。アルフォンスも携帯している白墨を活用し、相手を足止めしているようだ。
義足に重心全てをかけるわけにはいかないのでどうしても機敏な動きは制限される。
あぁ、くそ。この足が。
つんのめり、たたらを踏んだところで、頭上に連中の気配を感じた。
間に合わない。


「……ぁ…っ!」


小さく、息を呑んだ。


「兄さん!」


ぐいとオレの腕を掴み、自分のほうへと引き寄せたアルフォンスは、オレとは逆に彼らへと向かい合うとその力強い腕で一気に相手をなぎ倒した。
普段はオレより温厚な男であるはずだが、どうも先ほどから容赦がない。
まさか守る対象がオレだから、というわけではないだろうが。…いや、そう思いたい。末期なのはオレだけで十分だ。


「兄さんは、そこにいて!」


そう言いつけると、彼はあらかた奴らを再起不能にしてオレの手を引いた。
そして走ろうとして、オレが走れない身体であると思い出したらしい。 オレに何も言わせぬままに、いきなり奴はオレを抱き上げた。
オレはといえば、あまりのことに驚くどころか声をあげる気すら起こらなかった。大人しく抱き上げられ、落ちないように左腕を彼の兜へと絡ませる。
そのまま人気のないところを探しているのだろう。土地鑑も何もないくせに、野生の勘だけで走り回っているようだ。
アルフォンスの走る振動をどこか心地よく感じながら、オレは情けなさに唇をかみ締めた。


どうして、いつもいつもオレの知らないところで全てが動いていくのだろう。
明らかに彼は、オレよりもこの事態を理解している。
そして、このオレを守るべくこうして知りもしない道を走っている。


「…何で」


苛立たしいのは、他でもない自分。


「もう、此処らで大丈夫だ」


「…そう?」


ゆっくりと、立ち止まる。
見回してみると、神殿のかなり奥へと来てしまっていた。さすがにこんな場所には用がないため、立ち入ったことはない。
まるでエスコートされているかの素振りで、オレは彼の腕から下ろされた。いや、下ろさせたというべきか。


「…助けられたな。サンキュ」


「何言ってるの。当たり前だよ」


違うんだ。アルフォンス。
オレの抱くわだかまりを例え声にしたところで、きっとお前には判らない。
全てを「兄弟じゃないか」で済ませてしまうお前には、永遠に。


「……オレは今、この手と…足が。心底憎いよ」


それでも欠片でも伝わるだろうかと、ぽつりと呟いた。
人間は、強欲で。
自分の欲しいもの守りたいもの譲れないものを際限なく求める生き物で。
しかしそのための道具である手足が、オレには一組欠けている。


オレが、手にしたいものは。


「…エドワード、兄さん…?」


訝しげな彼の声音。
それが発せられているのは空の鎧だともう知っているけれど、どこまでも体温のこもった、柔らかな声。


すっ、と。 アルフォンスはずっと片方の腕で抱えていた金属塊を、オレの前へと差し出した。
あちこちがへしゃげ、原型など僅かほどしか留めていない。
泥と灰とに覆われ、どこかのゴミ溜めを探せばすぐ見つかるような汚らしいそれは、よくよく見るとネジやらシリンダーやらがついている。


「これ…?」


「エドワード兄さんの……機械鎧だよ」


「え」


予想していなかった内容に、オレは目をみはった。
機械鎧?
肉体の神経と繋げ、持ち主の意のままに稼動できる金属の手足。
かつて義肢の代わりにあったはずのそれを、どうして彼が持っているのか。


「見つけたんだ。捨てられてた。廃棄されては、いなかったんだよ。まだ」


「機械鎧…」


「これが、エドワード兄さんの手足。ずっと、この足で兄さんは立ってた」


事態についていけないオレに、アルフォンスは「ちょっと壊れちゃってるね。待ってて」と床にそれを置き、周りに陣を描き始めた。


「ボクにはプロほどの知識はないから一から機械鎧を作り出すことはできないけど。でも、元があるのならそれを戻すくらいはできると思う」


やっぱり、ウィンリィのには敵わないだろうけど。
そう言ってアルフォンスは笑った。彼から聞いたことのあるその少女の名は、確かオレたちの幼馴染だったろうか。


そして廊下は再び錬成反応の光に一瞬覆われた。
光の静まった先には、ほぼ原型に戻っているのだろう、手の形を模した金属が並んでいた。


これがオレの、手であると。


「…機械鎧」


再び呟いて、オレは膝をつくとそれを取り上げた。
完全に人体の腕を模した造り。これが完璧なまでに意のままに動くというのか。
滑らかなフォルムは、まるで繊細な芸術品のようですらある。


「…ねぇ、エドワード兄さん…つけて、大丈夫?」


遠慮がちに、彼が問うてくる。
元からそれを望んでいるくせに、どこまでオレの自由意志にするつもりなのか。
どこまで、オレが望むことにしたいのか。


「好きにしろ」


「…うん」


おずおずと、その無骨な指からは想像もつかない丁寧な動きで、彼はオレの肩口を覆う幾重もの布を外し始めた。
当然、その前に邪魔な義肢は床へと放っておく。
オレを落ち着かせるためか何なのか、アルフォンスはオレを彼の膝へと座り込ませた。オレの背が彼の腹部分にあたっている姿勢である。
肉体に直接埋め込まれた金属のジョイント部分に義肢を取り付けるわけにもいかないので、その上から強引に留め具をつけてあったために、その周りにはぐるりと鬱血があった。いつか忘れたが、それをこの男がひどく気に病んでいた記憶がある。
初めはどうしてオレの身体に金属がついているのだろうと疑問に思っていたのだが、その理由はとうに判明している。
手足を、繋げるための箇所であったのだ。


最後の布が取り除かれると錯覚だろうか、神経が空気に直接晒されるような感触がした。


「たぶん、痛いよ…我慢、して?」


「うっさい……やるんなら、さっさとしろ…っ」


これでちゃんと接続できると思うんだけど、と聞きようによっては非常に恐ろしいセリフを吐きながら、アルフォンスは錬成したての腕を、オレの肩口へと一気にはめ込んだ。


「っ、う、あぁ……っ!!」


知らない痛覚が背骨を這い上がる。
身体の内側に直接叩き込まれる刺激に、四肢(現時点では三肢か)が一瞬痙攣した。


神経と機械。
有機物と無機物とが、無理やりに重ねられるその衝撃。
初めて脳からの電気信号が伝えられた瞬間だ。


「は…っ、あ……っっ」


苦痛の逃し方が判らず、息をつくので背一杯だったオレの口元に、彼の手が添えられた。
落ち着かせるように、呼吸を調整するように、ゆっくりと撫で上げられていく。


大丈夫だから、と後ろから囁く彼の声に目を細めた。


「…動かせる?」


「ん」


右腕を動かす、という行動をどうすればいいのか判らず、オレは少し困った。
使ったことのない神経にどう力を込めれば、このだらんとした金属は持ち上がってくれるのだろう。


「ほら、こうして」


アルフォンスが右腕を優しく取り、軽く振るように上下させる。
何となく、感覚は掴めた。


恐る恐る力を込めてみると、願い通り右手はぎゅうと握りこぶしを作った。
オレが初めての両手が揃った感覚に小さく感動していると、アルフォンスが残されたままの金属塊を指差した。


「それでね、エドワード兄さん。…これが、脚」


「おぅ」


「作って? 兄さんの手で」


「…無理だろ」


てっきり、またアルフォンスが錬成してくれると思っていたのに、彼はそんな要求をしてきた。
無理な注文この上ない。
知らないものを、どう作れというのか。 思わず錬金術の三過程を述べよ、と言いたくなってしまう。


「大丈夫だよ。だって、形を兄さんは『知って』るはずだから。それは、兄さんの足だったんだから」


その記憶がどこかにふっ飛んでいても、それでもできるはずだと弟は言う。
あぁ、全く無茶苦茶な。


できるはずがないじゃないか。
知っていると言い切られて、余計にできるはずがない。
何故なら、もしできなければお前がどう思うだろうと思うと、無性に怖くて仕方ないからだ。


お前がオレを兄と呼ばない日が来ることに、きっとオレは耐えられないだろうから。


(だから、お前が錬成してくれ―――)


そう言おうとした、その前に。
オレは、木製の義手から鋼の義肢へと代わった右手を見下ろした。


動く、手。
いまだ動かない、足。


木でできたその足がひどく歪んで見えたのはおそらく錯覚だろうが、オレが今自身に求めているのは何だっただろう。


そう、それは。


それはお前に追いつくための。


―――お前の隣に立つための。


「…アルフォンス」


「なに?」


「…明らかにおかしい出来になったら、そう言え」


「うん」


嬉しそうな、アルフォンスの声を後ろに聞きながら。


オレは、初めて身体の前で両手を合わせての錬成を、行ったのだった。





(お前の記憶の中のオレに近づくたびに)
(痛む思いがあることをお前はきっと知らないままだ)





(それでも望む心は消せない矛盾)

to be ...











>>>今回珍しくエドが受身です済みません(笑)


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