今のあなたを否定する気はありません。
元のあなただけを求めるつもりもありません。 あなたであったなら、それでもう十分に幸せなんです。 (何を望まなくても) (その隣にいさせて下さい) |
++ 神の坐す玉座 11 ++ |
+ 闇の灯りに聖者が笑う + |
突然に歩みを妨げられ、何だろうと思えばじゃらりと足に何かが絡みついていた。 見れば恐ろしく太い鎖が幾重にも巻きつけられている。 「うわ」 ぐら、とバランスを崩しかけ、慌てて足を踏ん張って何とか持ちこたえる。 が、落ち着く暇を与えてくれず、先ほどまで無人であった回廊が人で埋め尽くされているのを見て取った。 着用している衣服から察するに、全員教団の信者や幹部であった人たちだ。 「な?」 わらわらと、まるで兵士の人海戦術のようにこちらへと向かってくる。 この膂力を誇る身体でも、のしかかるように人間が群れ為してやってくればとても振り解けやしない。 「ちょ、何なんですか、いきなり!?」 答えはない。 彼らは一様に感情のない目をこちらに向けて、まるで統一された意思に突き動かされているかのように黙々と作業を続けた。 作業とは他でもない。鎖でかんじがらめにしたボクを、よっこらしょとばかりに持ち上げる。 100kgを余裕で超えてしまうだろうこの身体でも、大の男が10数人集まればどうにか運べてしまうものらしい。 不自由な手足をばたつかせながらのボクの叫びを完全に無視して、彼らはボクを運搬していった。 +++ 状況にいち早く冷静になるのは、どちらかといえば兄よりは自分のほうが先である。 暴れても何にもならないと身じろぎをやめ、いったい何処に行こうとしているのかと天井を眺めながら考えた。 すでに何処をどう曲がり、現時点でどの通路を辿っているのか、さっぱり判らない。 (あぁ、兄さんの部屋と門までの道しか知らないや) そういえば、と今更ながらに思う。 兄を見つけてからの自分は、恥ずかしいくらいに有頂天に舞い上がっていたのだ、これでも。 放っておけばさも当たり前かのように食事の2、3回は抜き、睡眠時間も少しうつらうつらすれば十分そうにしている兄。 あまりの不養生ぶりに、本来の世話焼きな性格がおおいに役立った。 毎日市場で新鮮な食料を選び、彼のためだけに、彼の好みに味付ける。 それを口にした彼が、何も言わずとも進んでフォークを走らせるのを見ているだけで、ボクは満ち足りた思いを味わうことができた。 (まだ、知らないよね。兄さん) (ボクの基準は全て、兄さんが中心だってこと) この広い神殿の、たった1つの通路しか自分には必要ない。 外の世界と、彼の部屋とを繋ぐ、たった1つの道筋しか。 それが今、ちょっとあだになってしまっているのだけれど。 彼らがボクを何処に連れて行こうとしているのか、皆目見当がつかないと言えば嘘になる。 しかし理由は本当に判らない。 なぜ今になって、唐突に? 彼らに敵対する者として認識されたのだろうか。 それとも、やはり。 (…兄さん?) 兄がらみで、何かあったのだろうか。 この教団のシンボルと化している彼の近くには、ボクが邪魔だと思ったのだろうか。 しかしそれならば、とうにボクを追い出していれば済むことだ。 ボクが隣に立ったことで、何かが変わったなどと思い上がりはしない。 だって、兄は。 何も変わってなどいなかった。 彼の自我は早熟で、もはや確立されている。 11歳の時に、子どもらしさを捨てることを余儀なくされた人だから。 記憶を失っていても、それだけは変わらずに彼は立っていた。 それがボクが今さら現れたところで、何が変わるというのだろう。 かすかな期待と醜い傲慢さ。 彼を地に引きずり落としたのはボクだから。 罪を犯しながらも、決然と前を見ていた彼を、縛りつけようとしたのはボクだから。 虚ろな身体と失われた感覚を盾に、彼が自分から逃れられないことを心密かに喜んだのは、まぎれもないこの自分。 そんな自分が、彼に何を残せるというだろう。何を変えられるというだろう。 彼は1人で生きていける人なのに。 ボクがいなくても、この場所で時を刻めていた人なのに。 それを無理やりに居座って、彼の中に少しでも居場所を作ろうとして。 ボクの身体の秘密を知った彼に、弱さを見せてまるでつけ込むようにその身体を再び抱いた。 涙と体液にまみれたとしても、快楽と欲に理性を一時失ったとしても、彼は変わらず綺麗なままでいるというのに。 それをまるでボクの手で、ボクのいる地べたに引きずり落としたような気になれた、浅はかなこの自分。 それが単なる錯覚であり幻想であると思い知らされた、この数日。 (それでも) (求めているのは) また、角を曲がった。 もう3分は移動しているかもしれない。いくら10数人がかりとはいえ、疲れないだろうか。 よけいな心配をした辺りで、頭上(ということは、何処かの壁だろうか)からぎぃと重い音がした。錆びかけた金属の扉が擦れ合う音だ。 嫌な予感が的中してしまい、ボクはあっけなくそこへと放り込まれた。 「っわ…!」 落下距離は予想していたよりも短くて済んだ。 5mも落ちてはいない。 がっしゃーんっ、と派手な音が響いたけれど、それに文句をいう先客はいないようだった。 あぁ良かった、兜は何とか外れず済んだ。自分で言うのも何だけれど、あの姿はかなり怖いと思う。 「ここ、何処…?」 狭くて小さな部屋だ。地下室だろうか。 放り込まれた扉を見上げると、この部屋の天井に近い壁に斜めに設置されている。まさかダストシュートだろうか。 この身体になってはじめての廃棄物扱いに、やや苦笑しながらボクは辺りを見渡した。 突然に、こんなことをしそうな人間に、偏見交じりとはいえボクは1人にしか心当たりがなかった。 そしてやはりその偏見の対象は、ボクの落とされた扉からこちらへと顔を覗かせたのだ。 「やぁ、アルフォンスくん。居心地はいかがかな?」 「………ロムルス、さんでしたよね」 +++ 覚えていてくれたとは嬉しいね、キミは彼しか見ていないようだったからな。 彼なりの軽口なのだろうか、ロムルスは機嫌良さそうににこにこしている。 ボクが彼を見上げようとすると、いまだに巻きついたままの鎖が抗議の軋みを鳴らした。 「済まないね、キミはそのくらいしないと縄では切ってしまいそうだからね」 「…何の、つもりですか」 「やれやれ、全く、余計なことをしてくれた」 「…?」 自己完結で独りよがりな話を進める彼に、どことかく違和感を感じる。 もともと高潔な人格、との印象は全くなかったけれど、ここまで浮ついた人間ではなかったように思う。 これではまるで――― 考えついて、その例えはおかしいのではないかと自分で思った。 それでも、浮かんでしまったのだ。 まるで。 まるで、長年の望みがもうすぐ叶うようだと…… 「もう少し試したかったが…まぁ、潮時ということか」 「…? どういう、意味ですか」 「私がこんな宗教団体を作り上げた理由は何だと思う?」 そんなもの、判るはずがないし判りたくもない。 ボクの思考が読めたのだろうか、彼は苦笑して己の心臓の上を軽く叩いた。 「私はね、永遠が欲しかった」 「…永遠?」 「そして脆弱な人の身は、私の望みにちと強度が足りぬ」 「それが、人でしょう…」 「それをキミが言うかね、その身体のキミが」 「!」 知られている。 この身体に、中身が存在しないことを。 しかも、信者らに襲わせて初めて知った、という風でもない。あらかじめ、知っていたのか。 「…でしたら、変わってあげましょうか、ボクと」 永遠と引き換えに、人として失えない感覚を全て引き渡して。 生きているとも、人間だとも断言できはしない、この存在を。 「まさか」 くくく、と教祖は笑う。 「魂の定着はなかなかだが…モノが良くない。鎧ではな。私は生身で永遠を手に入れたい。―――キミと違ってね」 「ボクだって、あなたとは違う!」 声を限りに叫んだ。 身動きがろくにできぬ現状が恨めしい。 もし身体が自由になれば、ボクはおそらく彼を殴りつけていただろう。 今の彼のセリフは、ボク以上に兄を侮辱している。 己の命を賭して、ボクを取り戻そうとしてくれた兄を蔑むことだけは赦さない。 「しかしキミの存在で、私の理論はより完璧になった。礼を言おう。キミの、兄にもね」 「知ってたんですね? 兄さんのことを」 「彼は有名だからな。とくに同業者の間では」 最年少の、国家錬金術師。 その二つ名は「鋼」 金属系物質錬成を得意とし、錬成陣を必要としない錬成を瞬時に行えるその才能。 常人では持ち得ないほどの、記憶力と集中力。そしてあくなき探究心と不屈の魂。 すべて、彼を称えるに相応しい。 「…あなた、錬金術師ですか」 「そうだとも。まぁ、独学に近いがね」 錬金術師が教祖を務め、いったい何を目的としていたのだろう。 それが男のいう『永遠』に成り代わるのか。 機械鎧や鎧姿であれほどの拒否反応が出る街だ。 錬金術を用いて宗教を立ち上げたところで、詐欺だと訴えられる確率は他よりぐっと少なくなるだろう。 「私の専門は医療方面でね。まぁ素人に毛が生えたようなものだが」 「だから、何ですか」 「要するに生体関連、ということだ」 生体。 その言葉に、ひどく嫌な予感がよぎる。 まさか、という思いと。 だからか、という納得。 「……1つ、訊いていいですか」 「何だね?」 たまらずに、声が震えているような気がした。 「さっきの人たちに…何をしたんですか」 (答えるな) (答えるな) お願いだから、錬金術を。 しかしロムルスはふふ、と感心した風に顎を撫でた。 「さすがに、国家錬金術師の弟だ」 (―――罪のわざだと、思い知らせるな) 「錬金術の過程を知っているだろう?」 答えないボクに代わり、ロムルスは1人で講釈を続ける。 理解・分解・再構築。 錬金術の基本であり、『等価交換』と並ぶ世の摂理。 「キミの予想通り、脳の一部を水と蛋白に戻してやっただけだ」 「あなたって人は…!」 人間の体細胞は、水が67%、蛋白質が15%を占める。 さらに分解してやれば、あっという間に血管内へと吸収されることとなるだろう。 それが脳膜に包まれていた灰色の細胞だったことなどなかったこととして。 「正確には前頭葉の一部だな。軽薄な多幸気質になるが、じきに使い物にならなくなる。やはり微調整が難しくてな」 部位や分解量、刺激の与え方。 様々に実験してきたが、思うような人形はなかなか作れない。 そう言って笑うこの頭上の男は、すでに1歩踏み出してしまっていた。 錬金術の、世の理の、そして神に落とされるための道への。 かつてボクたち兄弟が、知らず歩み出してきたその道の。 「さて、そろそろ私は去ることとしよう。キミのお兄さんもじきにやってくる」 かぁ、と頭に血が上ったような怒りがこみ上げる。 絡んだ鎖が鳴り響くのも構わず、いっそ視線で相手を殺せたら、とばかりに睨みつけた。 「兄さんに…兄さんに何をするつもりだ!?」 「警戒しなくていい。彼はどうやら特殊な身体らしくてね」 「…特殊?」 「彼の腕を見て、これならと思ったのだが……錬成陣に拒まれたよ」 心底残念そうに、男は肩をすくめた。 この男が何をするつもりだったのかは知らないが、『拒まれた』理由は何となく判った。 両手を合わせただけで行われる錬成。 兄の身体には、師匠と同じく真理が刻み込まれている。 それは記憶などという生温いものにではなく、その存在そのものに爪痕が残されていたのだ。 真理に陣など、不要の長物でしかない。 「待て…っ!」 背を向けて去ろうとするロムルスに、叫んだ。 足音で、彼が煩わしそうに立ち止まったのが判った。 「少し大人しくしていたまえ。その興味深い身体も、後で調べてみたいのでね」 「あなた、何をしようとしてるんですか!? こんな、大勢の人を巻き込んで…!」 「だから言っただろう?」 ぎぃぃ、と甲高い悲鳴を上げて、錆びついた扉が閉じられていく。 だんだんと細くなる教祖の顔が目を細めて笑う。 妄想と欲に彩られれば、人はこんな顔で笑うのだろうか。 「私は、永遠が欲しい」 そして闇が部屋中に満ちた。 +++ 完全ではない闇は、かすかに何処かから洩れてくる光に、少しばかり勢力を弱める。 薄暗く、かなり視界は制限されるが、改めて見渡すと周囲には雑多にガラクタらしきものが放り込まれていた。 どうやら一旦モノを放り込んでおき、後で処分か回収かをするようである。 「…まずは、出なきゃね」 この場所でじっとしているわけにもいかないだろう。 今も兄がもしかすれば害を加えられているかもしれないのだ。 まぁ、あの兄の性格が健在である以上、そう簡単に思うようには行かないだろうが。 ずり、ずり、とまるで金属製の芋虫のように壁沿いへと近づいていく。 この状態でも、壁になら何とか陣が描けるだろう。 錬金術師を閉じ込めて置きたいならば、身体の自由を完全に奪い、指先ひとつ動かせないようにして部屋の中央に固定しておくべきだ。 それとも、エルリック兄弟の弟のほうは、それほどの腕でもないと思われていたのだろうか。 「よ…っと……あれ?」 壁を伝うように何とか身を起こし、落ち着いて周りを見られるようになったところで、ボクは片隅に転がっていたモノに目を留めた。 黒ずみ、変形してはいるけれどアレは確かに。 曲がってしまったいびつなフォルム。所々外れてしまっているネジとシリンダー。あちこちに見られる凹凸。 原型など、それと知っている者にも薄らとしか判らないであろう、その金属塊は。 ―――『彼』の。 (あ…った…) ボクの記憶の中の兄が蘇る。 赤いコートを羽織り、髪を三つ編みに結わえたあの人の。 己の信条のためになら、何でも捨て何にでもなる強さを持った、あの人の。 「…待ってて、エドワード兄さん」 助けを待つのも助けられるのも、ごめんだった。 兄の手助けをし、支えとなり、笑いかけてもらうために。 彼の足枷になどなるつもりは毛頭ない。彼が頼ってくれる存在でいなくてはならない。 それがボクの存在理由なのだと、ずっとそう思って今までを生きてきた。 「いま、行くから」 (求めているのは) (あなただけ、なんです) (その願いが、どれほど分不相応であろうとも) |
to be ... |