そういえばと、今更ながらに思い至る。 ボクは朝日や夕焼けを独りで見たことが、殆ど無かったのだということを。 |
++ 神の坐す玉座 1 ++ |
+ 旅の途中 + |
情報や分析、調査を待てと言って奔走してくれた大佐たちには悪いと思ったけれど、ボクは置手紙を残して夜逃げ同然の状況で旅に出た。 彼らは彼らなりに、いやそれ以上に事態に当たってくれたとは判っている。 けれどそれでも、兄の安否を他人の口から聞かされるのはごめんだった。例えどんな内容であろうとも、自分の目で確認しない内は、ボクは何が何でも認めないだろう。 もっと小さな子どもの頃、大きくなったら兄さんになるんだと主張していた、無邪気な感情がいまだに何処かに残っているのかもしれない。兄と自分は、一心同体なのだと。 けれど、おそらく今はそんな純粋な思いだけではない。 自分の中での最優先が兄であるのと同様に、兄の最優先が自分であることは疑っていないけれど、いつかそれが離れてしまう日が来ることを知っている。兄弟とはそういうものなのだと思い知ったのは、ボクが成長してしまった証なのかもしれない。 気づいてしまったことに焦って、がむしゃらに兄を求めたこともある。兄はそれを平然と受け入れた。何を考えていたのかまでは、ボクには判らない。身体を持たないボクに、何かを分け与えるつもりだったのか、流されただけなのか、それとも―――。 都合の良い勘違いは、時にひどく身を苛んだ。 +++ 兄はかたくなに、父親の財産に手をつけることを拒んだ。 母さんが亡くなってからは、ピナコばっちゃんの元で食事を摂ったり、周りの人たちがあれこれと心配して世話を焼いてくれていたから、母さんの言っていた「父さんの残してくれたお金」がどれほどあったのかすら、ボクたちはろくに知らなかったし、兄さんはお金のことすら考えたくないようだった。 中央に出て、兄さんが国家資格を取った後の旅費は全て、兄さんの研究費用から出されていたし、それは10代前半の少年には莫大な額だったので、金に困るということはまずなかった。 けれど今、兄はいない。 兄を探すために、旅をするのだから。 ボクは急遽リゼンブールへと連絡をつけ、驚く幼馴染に事態を簡単に説明した後―――彼女は少し動揺していたが、それでも気丈だった。「見つかったら、整備に帰らせなさいよ!」と発破をかけて見送ってくれた―――遠慮も何もなく、父親の残したお金とやらに手をつけた。 ボクの最優先は兄なのだから。 いくら兄自身がこのお金に手をつけることを厭っていたとしても、些細なことだ。 ボクには、金銭を得る手段は無いといって良い。 まず、普通の職場では働けない。では工事現場や土木などの力仕事ではどうかというと、日雇いならばともかく、(日雇いだとしても、危ないかもしれない)鎧姿で働きたいといっても、戦場か博物館にでも行けと揶揄されるのがオチだろう。 いちいちそんな手間をかけて旅費を稼いでなどいられるはずがない。 運の良いことに、母の言った通り、その金額はかなりのものだった。 今まで一度もしたことがない父親への感謝を、心僅かにして、ボクはそれを甲冑内へとしまい込んだ。 紙幣であるから、余計な音を立てる心配はないし、袋詰にしてあるから、隙間に挟まる恐れもない。 さらに盗まれる心配など元よりないという、自分としては最高の隠し場所である。 +++ 事故現場から流されたのかもしれないと、下流方面の町々を手当たり次第に捜し歩いた。 目的のある中での月日は、恐ろしいまでに早く流れるものだ。 事故の日から、すでに3ヶ月が経っている。 兄の情報はまだ有力なものは何一つ無い。 時折、マスタング大佐と連絡をつけているが、あちらとしても運搬ルートの復旧やその他の死傷・行方不明者にかからねばならず、いくら国家の重要な人材といっても、割ける時間は限られているようだった。当たり前のことだが。 その東方司令部の方へも、兄に関する情報は入ってきていないようだった。 そもそも、事故の起きた現場が良くなかった。 北方と東方のちょうど境辺りに位置する場所で起きたばかりに、双方の司令部の命令が混線して事故発生から数時間、命令系統が完全に機能停止していたのだ。 どうやら規定上は東方司令部の管轄だったようだが、北方にでしゃばりがいたらしく、後日その人物は左遷されたと聞く。ボク個人の意見としては、左遷程度ではまだ甘いと言いたい。その誰かさんのせいで、兄の発見が遅れに遅れてしまっていると言っても過言ではないのだから。 3ヶ月の間に、ボクと兄さん、両方の誕生日が過ぎてしまった。 ボクは16歳になり、兄さんは17歳になった。 誰も祝ってくれない誕生日、独りで宿で過ごした誕生日は初めてのことだった。 ボクにとっても、兄にとっても―――おそらく、だが。 しかし、と。事故から2ヶ月を過ぎた時点から、ボクは疑問に思っていた。 どうして何も噂すら聞こえてこないのだろう。 兄は良い意味でも悪い意味でも、とにかく目立つ。努力や忍耐に長けているくせに、我慢や辛抱が利かないという一風変わった性格ゆえに、今まで幾度となく騒動に巻き込まれてきた。 そんな兄が、2ヶ月も経って何一つ噂になっていないとはどういうことだろうか。 鋼の錬金術師、最年少国家錬金術師、エドワード・エルリック。 どれを取っても、それなりの知名度を得ているくらいには、兄は有名人だ。 もしやボクという目立つ同伴がいないから、案外馴染んでいるのかもしれないと思い、少し笑ってしまった。 +++ とある町でも、やはり兄の情報は手に入らなかった。町に寄るたびに気落ちしていても仕方ないので、ボクは次の町への情報を集めにかかる。買出しをする必要はない。 こういう時、生身でなくて良かったと思う。旅の身でありながら、水や食料の心配はしなくても良い。睡眠の必要すらないのだから、本来は宿に泊まらずともその辺りで佇んでいていいのだが、以前兄にそれを伝えたらこっぴどく怒鳴られたことがあったのだ。 『お前だって疲れてんだから、ちゃんと宿で休め! 人のこと口うるさく言う前に、自分のことも面倒みろよな!』 何処までも自分を弟として労わってくれる兄。 それを少し痛く感じると共に嬉しく思って、ボクは出来うる限り兄の意向に沿うべく、宿は確保することにしている。 「え? 行方不明?」 使っている地図の最新版が出ていたので、それを買いながら店の女性と話をしていたら、「君も気をつけなさいよ?」と忠告された。 「ええそうよ。最近ね、子どもがちらほら、行方不明になっているのよ。皆小さな子どもばかり」 あなた声は子どもだけど、それだけ成長しているなら大丈夫かしら、と女性は続けて笑った。 「もうちょっと、聞かせてもらえますか?」 「あら、でもそんなに詳しく知らないのよ?」 「子どもって…小さいって、どれくらいですか? このくらいの子、ですか?」 甲冑の腹部分―――だいたい兄の身長くらいだ―――に手をあてて訊いてみると、女性は首を振った。 「いいえ? もっと小さな…せいぜい7、8歳くらいの子ね。今まで3、4人いなくなってるわ」 「嫌ですね、それならボクだって大丈夫ですよ」 「それもそうね」 笑う女性から地図を受け取って、ボクは店を後にしようとした。兄とは関係のないことだろう。そう思って。 「でも、そういえば」 「何ですか?」 「……いえ、聞いた話なのだけれど、『神に愛された子』がいるそうよ」 「何か関係あるんですか?」 「ええ…何でも奇跡を呼ぶとかで、それで行方不明になった子の親がその子の元へ行くようなことを、言っていたわ」 本当に、そんなことあるのかしらね? 首をかしげる女性に、ボクは何も言わなかった。 奇跡だとか、神だとか、よくある話だ。救いを求めざるを得ない人々を追い落とす、そんな下劣な手段を使う人間を、ボクはかつて見たことがあった。そういえばあの男も、宗教者を名乗っていたが。 新たな客が店内に入ってきた。ボクは慌てて辞去しようとしたが、どうやらその客は店主の知り合いであったらしい。 興奮したように軽く乱れた服装も構わず、彼女は店主の女性へと抱きついた。 「聞いて、聞いて、ミケラ! 神はいるわ!」 「アンジュ、どうしたの?」 「神はいたのよ! 神に愛された子はいたわ! きっと、ミールも見つかる…」 あぁ、神様。 心から安堵したように手を組むその女性は、おそらく先ほどの会話に出てきた行方不明の子の親なのだろう。 ボクはその女性を可哀相と思うと同時に、悲しく思った。 訪れた先で何を見せられたのかは知らないが、先に待つものは失望か、はたまた絶望か。 一度希望を与えておいて突き落とすだろうその『神』を、ボクは本気で憎いと思った。 子を愛する親の気持ちを、何と思っているのだろうと。 「あぁ、ごめんなさいね、さっきの話の人なの…」 「? 何なの?」 「いえ、このお客さんに、『神に愛された子』の話をさっきしていたのよ」 「そう」 アンジュと呼ばれたその女性は、くるりとこちらを向いた。涙のせいで多少化粧が崩れてしまっているが、表情はとりわけ明るい。 「ごめんなさい、恥ずかしいところ見せちゃって。あまりに嬉しかったものだから」 「…あ、いえ。あの、どういう『神様』だったんですか?」 「え? 興味あるの? もう凄いわよ。本物、って感じだったわ」 興奮したようにまくし立てる彼女に、ボクが言えることは何もなかった。 彼女はいま、何かに縋らずにはいられない状態なのだから。その支えを取り上げることのほうが、今は残酷なのかもしれない。 そして、ボクが辞去のタイミングを図っている時に、彼女はうっとりと呟いた。 「とても綺麗な少年だったわ…細身で小柄で―――とても美しい、金髪で金目の」 「……っ!!」 (金髪で、金目の) (神に、愛された子) (奇跡を、呼ぶ―――) 目の前が真っ暗になりそうな衝撃に駆られながらも、ボクは目的地の変更をその瞬間に決めたのだった――― |
to be ... |