昭和六十三年三月末、旧根尾村に隣接する岐阜県揖斐郡徳山村が廃村になり、地図上からその名が消えてしまいました。一つの村をまるごと水没させるというダムがこの地に建設されることになったからです。四百六十六世帯が住み慣れた故郷を離れ、住民のいなくなった徳山村は隣接する藤橋村に吸収されてしまいました。そのダムは「徳山ダム」といわれ、その地にあった集落は、現在湖底に沈んでしまっています。
 先に紹介した『根尾根元記』などによれば、根尾右京亮の二男がこの地に住み着いたというような伝承があるようですが、確証を得ません。しかしながら、徳山郷の根尾一族の宗家とされる根尾惣八家の系図では、根尾清左衛門直教を初代とされ、前述の「徳山氏系図」にも親類縁者の法名一覧に「徳蓮院殿然叟玄郭居士 天和二壬戌年三月十六日(没)根尾清左衛門尉直教」とあることから、この者が徳山村の根尾一族の始祖と思われます。
 代々、惣八を襲名する根尾家は、徳山郷八ケ村を統括する大庄屋を何代かにわたって務めていました。大庄屋の職にないときも村役人として、指導的な立場にありました。
 徳山では、根尾を名乗る家にも二つの系統があるといわれてきました。菩提寺も増徳寺(曹洞宗)と旧根尾村にある西光寺(浄土真宗)とに分かれています。こういうことから、全てが根尾惣八家につながっているのかどうか判然としません。しかしながら、途中で一時期、姓を変えていたことや家紋も同じであることからして、もともとは同系であったといわれています。
 この一族からは、徳山村長を務めた方が何人か出ています。また、岐阜県内を中心に各分野で多くの方が活躍しておられます。大阪の大学病院で教授として、活躍しておられる方もこの家系を出身とされています。


    ありし日の旧徳山村役場   根尾一族を育んできた旧徳山村本郷の町並み
      旧徳山村本郷の町並み