近江国山上藩(滋賀県永源寺町)・稲垣家にも根尾氏がありました。文化八年の『武鑑』(当時の紳士録のようなもの)では、「御城使」という役職に根尾助左衛門という者の名前が記載されています。
 近江高校びわこ探求部編纂の『士史残記』という労作がありますが、これには山上藩家臣の分限帳が二つ収録されています。その一つが享保九年の『江戸御書附写』収載の「山上藩分限帳」です。これには「家老 田村茂兵衛 三百石」以下すべての家臣が記載されています。しかしながら「根尾」という名前は出てきません。
 もう一つの『士族卒禄高取調帳』(明治三年)では、「根尾惠直」と「根尾直克」の二人の名前があります。いずれも序列は前の方にあり、山上藩の上士であったものと思われます。
 明治三年の『士族卒禄高取調帳』と上述の『武鑑』に根尾氏の記載があることから、享保九年の時点では山上藩の家臣の列にはなく、後世に至って、召し抱えられたものと推測されます。
 この家系の子孫については調査中です。