居酒屋をやろうと思った。
 居酒屋を始めるにはどうすればいいのだろうか?
 五里霧中である。
 そこで、手探りしていくフェルナンデスをドキュメントで綴り
 居酒屋が出来るまでを書き残したい。
 運良く、居酒屋が出来たら店のHPを作って
 開店始末記のページにしようと思う。
 
 だが、名前がまだ無い。
 名前を決めなくてはいけない。
 名前が決まれば、見えてくるものがあるはずだ。

 この間、時の経過があったが名前は決まらない。
 従って、頭の中には「店」に関して何の構想も浮かんでこない。
 かつて父の仕事を継承し30年間働いた時は
 前半の15年間の父と共に働いていた頃は勿論の事
 後半の父の死後の15年間も
 店名はずーと父のファーストネーム入りのままだった。
 どこかにこの店は父からの「預かりもの」と言う意識が強かったからだ。
 だからその店を止めるとき、亡き父に返還するような気分があった。
 
 結婚したての若い頃から年が行けば二人で小さな飲食店を
 やろうとずっと、しかし見果てぬ「小さな夢」を妻と話しては来た。
 この仕事で自分らしく生きていけそうも無いと心のどこかで思っていたから
 子供達が大きくなったら「自分らしい」生き方がしたいと言うような
 それが飲食業なのかどうかも深くは考えることは無かったが
 なじめぬ仕事のまま人生を終えることへの抵抗感が
 そういう漠然とした「小さな夢」を私の心に保有させ続けていたのだ。
 商店を閉めるときもチャンスではあったが
 三男が小さすぎた。
 まだまだ母の手を必要とする小3であることが
 この計画を5年間延長させた。
 そしてタクシーへ。
 
 当初は「腰掛仕事」としてそれなりの誠実さで取り組もうとした。
 メーターの仕事はそれでよかった。
 極めて愛想のよい心地良い安全な旅客輸送だ。
 だが、「貸切観光」ではそうはいかなかった。
 1日に3万円を越す報酬に対して始め私は稚拙すぎた。
 逆の立場なら納得して支払いなど出来ないと思った。
 経験も確かに必要だがこの報酬に見合う案内のための
 知識が不足しすぎていた。
 そこからやっと本気で勉強し始めたのだった。
 やめる頃には報酬に見合う仕事が出来ていたろうか?
 ただ、高額の報酬を平気で請求できるような
 厚顔を身につけていたので無ければよいのだが。
 そしていつしか5年近くたっていた。
 しかしこの仕事をやめたのは全く計画的な物ではなかった。
 計画的なものではなかったがやっと「小さな夢」にたどり着けそうなのだ。

 名前の決まらぬままかつてはテニス仲間だった大工さんに連絡をとる。
 今住んでいるこの場所でやろうと決心したからだ。
 それから設計の人もいれて何度か話し合いを持つが
 何しろ私に具体的な構想と言う物が無いからなかなか進展しない。
 私は、プロの意見を聞きながらゆっくり構想を立ち上げていこうと思っていたのだ。
 資金だって、限られている。
 何がしたいかより、この限られた資金でどれほどの物ができるのかを
 相談しながら構築しようと考えていたのだ。
 だが、言われてしまった。「先ず、構想を話せ」と。
 そこでも、私は名前さえ決まれば後は何とかなると思っていた。
 しかし、名前は浮かばぬ。
 「1週間から10日下さい」というのが精一杯だった。
 
 追い詰められると貧しくとも「構想」は捻出できる。
 だが私には、飲食業の経験が無い。
 一日たりともアルバイトでもその経験が無いのだ。
 むしろ妻の方が、パートタイマーとはいえ3種もの飲食店を経験している。
 「自信が無い。」私に
 「修行に行ったらどう?それが無理ならせめて実家の兄(料理旅館)に相談したら?」
 と、妻が言う。
 「うん、いずれYちゃん(義兄)にも相談するよ。」と煮え切らなく答える私に
 妻は不満そうだ。
 私は、心の中で居直る。
 「…消え入りそうになる自信。自信喪失の一歩手前で精一杯踏ん張って
 俺流のやり方で頑張る。何も高い値段をとろうとしたり割烹をしようというのではない。
 持ってるだけの資金で自分の身の丈に合った小さな店を作ろうとしているだけだ…」
 そのとき「伊賀流」という言葉が浮かんだ。
 そうすれば伊賀流の『何か』が決まらぬままではあったが
 具体的な「構想」を設計士さんと大工さんとに話すことが出来た。

 見積もりの金額と当方の資金の差額を摺り寄せる作業が
 進行していく中で
 私は頭を丸めた。
 何事も形から入って、自分を追い込んでいくタイプだからだ。
 床屋から帰って相変わらず伊賀流「***」を口ずさんでいるとき
 閃いた。
 『悠々』(ゆうゆう)と。
 スローライフの悠々。
 ゆうじんの友
 あなたのYOU。
 やさしさの優。
 ユーモアーのユー。 
 座右の銘フェスティナ・レンテの
 悠々として急げ!
 
 伊賀流悠々にしようと思った。

   某日手慰みに家紋入りの暖簾をビットマップで作ってみた。

 
 
 
 
 
 
伊賀流悠々
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