秘宝と大きく出たけれど、僕には、人に自慢できるほどのお宝は無い。
強いて言えば、甘い思い出くらいで
だからと言って、女性遍歴といえるほどの、剛の華々しい思い出ではない。
それでは、R指定なしのと、大げさに出たのが偽りの誇大広告で
「人を小ばかにするのもいい加減にして欲しい。」の声もあり
ぼちぼちでも、やはり
片思いであれ、あるいは付き合った女性のことどもを
書かねば男が廃(すた)ると言う物だ。
僕がまだ、母親の膝から這い出て間も無いころ
我が家は、化粧品店を経営しており
近くにあるレース工場で働く地方出身者である女工さんたちの
溜まり場であった。
女工さんたちの人生の、特に恋愛関係の相談に母親はよく乗ってやっており
母親が恋愛経験が豊富だとは到底思えない田舎の人だっただけに
その人気の秘訣は未だに謎ではあるが、母親は化粧品もよく売った。
ずっと後になって分かった事ではあるが、母親も長浜で
鐘紡の女工をしていた事があったらしい。
その事を本人からでなく、詩人のおじの詩集で知った僕だった。
僕が小学校の高学年になった頃、そのレース工場でストライキがあったとき
学校帰りの旧二条どうりのレース工場の南門で
赤旗の下、鉢巻をしてピケを張るその女工さんたちに声をかけられた。
「夕飯食べにおいでよ!」
「カツどんでも、親子丼でも何でも作ってあげるよ」
おませだったのだろうか?
僕は何かしら、怪しいものを感じて後ずさりしながら
「ワーッ」と
一目散に我が家へ飛んで帰ったことがあった。
臆病者である。
[栴檀(せんだん)は二葉より香(かんば)し]とは言うものの * 栴檀=白檀の別名
長じてもそのままであった。
就学前に一年だけ幼稚園に行った。 * 以下登場する
初恋と言って良いのだろうか。 人物、団体名は凡て仮名です。
いつも手をつながされる子がいたのだが
H大理石のHけいこちゃんと言い… つづく