いつも幼稚園内にばかりいたわけではなく、園外に出るときには
男女で手をつながねばならず、いつもその相手は大好きなHけい子ちゃんであった。
他の園児はともかくも、僕は無邪気な幼稚園児を演ずるにはいささかマセ過ぎており 
他人の前を好きな女と手をつないで歩くなんてテレくさくてホントは出来なかったが
大人から見ればほほえましく見えるという計算は働くぐらいの分別もあり
仕方なく、手をつないで街中を歩いた事もあった。
しかし、そんな時、父親が得意先への配達のため
自転車で通りかかるのに、たびたび出くわす事があり
慌てて、手を離すことをした僕であった。
かように繊細な幼稚園児であった僕が
いつの頃から、紅顔から厚顔になったのだろうか?。
初恋というのならけい子ちゃんだが竹組担任の日下部(くさかべ)先生も
大好きな人であった。           

 小学校の時は何と言ってもN.Kさんが大好きだった。
4年から6年の三年間同じクラスで
クラス委員も児童会もどういう訳かいつもペアーだった。
にもかかわらず、担任の女性教諭の岡田先生が
何かの折にN.Kさんを含むクラスの数名の人気のある女の子達に
「好きな男子は?」と次々と聞いたところ
彼女は僕以外の男子の名前を言ったらしい。
恥ずかしくて本当のことが言えなかったなんて
想像もしなかったから
それを聞いたときは、とても悲しかった。
 N.Kさんの鮮やかなピンク色のセーターを今も覚えている。
班分けもきっと彼女と同じで
班の皆で放課後の当番である清掃をしているとき
ピンク色のセーターに可愛く膨らんだ乳房を見つめて
S君が恐る恐る、ほうきの柄で触ろうとした事があった。
彼は、ためらった後、軽くタッチした。
N.Kさんは本の少し赤面はしたが
ちょっと怒った振りだけで彼を許してやった。
真っ赤になったのは、それを見ていた僕であった。
中学生になって彼女は宇治の方へ転校していったが
僕の中学校のクラス、1年3組の名簿に彼女の名前を見つけた。
そこに引かれた斜線を見たとき
宿替えしなければ、また同じクラスになるはずだったのにと残念でならなかった。
その後も折に触れ彼女を思った。
12歳の別れから数年後
高校生になった僕らは再会したが
彼女の身長はそのままで
僕は三十数センチも伸びており
ずいぶんとチビだと思ったが
可愛らしさは、前以上だった。
今は古くなったが
クラウディア・カルデイナーレのような可愛いらしさだった。

 中学の3年間は、女の子を好きになるパターンが同じだった。
中学ではクラス委員は半年に1度の割で選出されたが、前期でペアーになった子と
必ずと言っていいほどまたペアーになる。
ここでは詳しく書かないが
そういう仕組みになるような選出方法だったのだ。
なぜそうなるのか?
選出方法の事でなく
クラス委員を一緒にした女の子を決まって好きになる理由だ。
1つは、この時期、女の子に対し強烈な関心と憧れがあるのに
そのことを知られるのが恥ずかしいのと
優しく接する方法や気持ちをうまく表現できないことなどから
ほとんどのクラスの女子と1年間没交渉になるためだ。
容姿だけでは好きという感情は育たない。
一緒にするクラス委員というオフィシャルな関係だからこそ
深く意識することなく会話が出来
楽しい気持ちが話しやすさや相手のよさの発見につながり
1年限りの「好きな子」になるのだと思うがどうだったろうか。
もう1つはやはり僕はこの時期、頭のいい子が好きだったのだと思う。
こうして、3年間で3人のクラス委員をワンパターンな方法で好きになったが
例外が無いわけではない。
上記のパターンでないのが1度ある。
そのとき彼女の事を毎日日記に書いていた。
B.Bという表記で。
何の略かといえば…                           つづく
                    
A
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