七番の少年   A
 2町歩凡てを三歳堀りしなければならないと思っていた喜一に
父親の弥三郎の言った言葉は意外だった。
「社(やしろ)の向こうの村はずれの収穫の悪かったあの2段だけは
正月明けに何とかしよう。
結果がどうなるかわからんし三歳堀りは
きつい事はきついが、とりあえずやるだけはやってみよう」
それを聞いた喜一はほっとしながらも
「うん」
研究熱心で、努力家の父親に、力強く答えたのだった。。

 各家が甘酒を仕込み終わり、秋祭りの当日が来るまでの2週間程の間に
青年団には他の仕事が待っている。

 愛知県の稲沢にあるN村の農家に青年団ごと
稲の刈入れのお手伝いに行くのである。
隣県とは言え、N村は喜一の村から直線で13Kmほどで
道もほぼ真っ直ぐついており
3里とちょっとなら、青年の足なら3時間あまりで着ける。
勿論、若者の事である、移動はちょっとしたピクニック気分に違いない。
今年の参加者は、この時期に姉様の婚礼がある本家の捨雄(13番)を除いて12人。
これが3人づつ4組の班に分かれてそれぞれ担当の農家に泊り込み
その家の田の稲刈りを手伝うのだ。
各農家とも、だいたい4日ほどで収穫出来る事となる。
その間、青年団には僅かながら手間賃も貰えるが
田んぼで食べる昼食はともかく
朝夕の食事は、各家が競って大そうなごちそうを振舞ってくれる。
この村でそれぞれの班は、3クール(1クール4日)で3軒の農家に寝泊りするが
各家も「あの家はごちそうが出たなぁ」などと勿論言われたくもあるが
それよりも、自分達の村の収穫を早々と済ませ、他所から来て
2週間近くもきつい稲刈りを少ない手間賃でありながら
陰日なた無く一生懸命に働いてくれる青年達への
感謝の気持ちから振舞われるごちそうである。
 朝早く出発した青年団は10時過ぎにはもうそれぞれの田に出て
稲刈りを始めている。
喜一(七番の少年)の班は宮前家の担当で…         つづく


 
                                          
                                                  
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