七番の少年
 揖斐川、長良川、木曽川の三川に囲まれた美濃の田舎に生まれた私は
秋の祭囃子が聞こえると、いつも思い出すことがある。
決してお酒には強くは無い。
むしろ甘党の私にとっても、忘れられぬ味ではあるのだが…        

 私の住むA村の青年団は安藤さんが筆頭で、脇(わき)が市さんと言い皆で13人いる。
男子ならば15歳になれば入団。
年齢順に上から筆頭、脇(わき)以下
三番、四番、五番…と呼ばれ、
私は目下のところ七番目の団員と言う事になる。
結婚をするか、独身なら30歳になれば引退ということになるが
昭和初期のことであるから、日本は徴兵制の中にあり
20歳からの2年間は現役徴集され、青年団からは一時脱退と言う事になる。

 どんどんと、太鼓の音が村に響いて
それにつられたように、村人達がそれぞれの手に荷物を持って
村はずれの船着場に現れる。
それぞれの手には米の入った袋が持たれている。
そう、今日は秋祭りのための「甘酒」のもとを求めて
みながここに集まる日なのだ。
欲しい米麹(これに水を入れ発酵すれば甘酒となる)の分、生米を持って集まるのだ。
そして、青年団が村人全家庭のl注文を聞いて
川上の町にある「甘酒」用の米麹屋に
生米と米麹を交換に行くのである。
2升の生米に対し2升分の麹菌をふりかけた米麹がもらえる。 
船頭は雇うが、今年は脇の市さんと、七番の私が当番で
この交換のための役割をになうのであった。
もう私が生まれるずっと前から毎年、毎年
脇と七番がこの当番だと決められていた。

「喜一よ!」艫(とも)に居る市さんが, 前方を見ていた舳先(へさき)の  〔艫―船尾のこと〕  
私に声をかけたから, 振り返って船頭越しに艫の市さんの方を見た。           
「お前もそろそろ現役招集だろ」薄暮の中でも市さんの白い歯が見えた。
「来年ですよ」 
「そうか、それでも三歳堀(さんさいぼり)をするんだって?」 
「誰に聞いたんです」
「オヤジさんだよ、俺の親父に話していたのを聞いたのさ」  
「うちの父親は、まじめが着物を着て歩いているような人だから
言い出したら聞かなくてね」
「この村じゃ、まだ誰もした事が無い三歳掘りを
研究熱心なオヤジさんがしようと言うのだから
喜一も大変だな」
 全くと言って良いほど機械化されていないこの当時(昭和初期)の農業において
ほとんど手仕事と言って良いこの三歳掘りは、ただせさえ過酷な労働を
さらに過酷なものにするだろう。
喜一の家では、村でも1、2を争う二町歩(約6千坪)を超えるという
広さの農地を耕作しており
何も長男の喜一の現役召集を前にそんな過酷な事をしなくてもという
やさしい市さんの想いから出た言葉だった。
 米作りにおいて、秋の収穫が終わると数年に一度
栄養の少なくなった表面の土と
たっぷりと栄養のある深くにある土とを入れ替える作業をする。
この掘り返しに使う道具が丁度1尺(約30センチメートル)の長さがあり
入れ替えた土の分が一歳分ということになる。
これが三歳掘りと言うことは1段(300坪)の農地の
先ず、表面の土1尺分を取り除き周囲に積み上げ
さらにその下にあった土1尺分を取り除き周囲に積み上げ
さらにその下にあった土1尺分を取り除き周囲に積み上げ
3尺掘った田んぼに表面の分の土から順に埋め戻し
表面には3尺(約90センチメートル)下の深さにあった栄養たっぷりの土が
表れるという事になる。
しかし、大変な作業である。
これが2町歩という事になると、考えただけで卒倒しそうだ。
この祭りが終わり、しばらくすればこの過酷な作業が待っていると言うわけであった。


          
       
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