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 「盗心」プロローグ「マルチ・エンディング」

 俺の名は藤田浩之。
 もしかしたら、聞いたことがあるかもしれないな。
 数年前、俺と俺の周りの奴らを題材にしたゲームが発売されたことがあった。
 けっこう人気が出て、色々なメディア展開を見せたので知っている奴は多いはずだ。
「おはよう、浩之ちゃん」
 歩いている俺の後ろから、いつもの声が聞こえた。
「今日も寝坊しなかったね、関心関心」
 その声の主は俺の幼馴染で、名前は神岸(かみぎし)あかり。何かあるとお節介をやいてくる。
「あかり、お前なぁ。社会人にもなって『浩之ちゃん』はないだろうが。前から何度も言っているだろう」
「だって、浩之ちゃんは浩之ちゃんだよ」
 そう言って、あかりはニッコリ微笑んだ。
 これがいつもの、俺たちの出勤風景だ。腐れ縁というやつか、高校、大学、そして就職先までこいつと同じになっちまった。
「あ、浩之ちゃん、マルチちゃんだよ」
「あ〜?」
 あかりが指差した方向を見ると、喫茶店の店先でほうきを持って一生懸命落ち葉を掃いている小柄な女の子がいた。
 いや、女の子と言っていいのかどうか。彼女は来栖川エレクトロニクス社が開発したメイドロボだ。そもそも俺たちを題材にしたゲームというのが、このメイドロボを売る来栖川社の戦略の一環だった。そのゲーム中には「マルチ」というメイドロボが出てくるんだが、来栖川社はそこで「マルチ」という名前を売っておいて実際に開発を進めていた「マルチ」を大々的に売り出した。売上は予想以上だったようで、実際、ゲーム中でも人気はピカ1だった「マルチ」は、その機能に応じたバカ高い販売価格をものともしない売上を記録した。発売した当時に買っていたのは、ゲームで「マルチ」のファンになった連中が無理に借金して買ったというケースが多かったようだが、今ではこうして町のあちこちで働いている姿をよく見かける。
 しかし、彼女たちはあくまで商品としての「マルチ」であって、俺やあかりが知っているマルチじゃない。俺たちの知っている、試作型として俺たちと短い間だけど一緒に高校生活を送ったあのマルチは、今の商品にメモリーを引き継いで解体されてしまったんだ。だから今、俺の目の前にいるマルチは・・・・。
「おはようございます、浩之さん!あかりさん!」
「おはよう、マルチちゃん」
 あかりは町中の全てのマルチを「マルチちゃん」と呼ぶ。俺はそれが気に入らなかった。
「あかり、その子はマルチじゃないだろう」
「え、だって、マルチちゃんだよ」
「だから、それは彼女たちの商品名っつーか、まぁそんなもんであって、マルチっていう名前は・・・・俺は使って欲しくねーんだ」
 そう、「マルチ」という名前はあくまでこのメイドロボの商品名であって、彼女らにどんな名前を付けようと買った人の自由だった。しかし実際、先にゲームで知っていた奴らは「マルチ」と呼んでいるのがほとんどらしい。中には、亡くした子供の名前を付けている夫婦もいるということだ。
 だが、俺の中のマルチは、俺の記憶に残っている、高校時代のマルチだけだった。
「ルノちゃ〜ん、外のお掃除はいいから、お店の方を手伝ってくれる?」
 喫茶店の中から声がした。
「は〜い!じゃあ、失礼します」
 元気良く返事をして、ルノは店の中に消えた。
「ほらな、あかり。彼女はルノって名前なんだよ」
「・・・・うん」

 俺たちを題材にしたゲームを知ってる奴らは、もしかしたら俺のことをすっげえ羨ましいと思っているかもしれない。
 だが、あんなのはゲームのために美化したにすぎない。だいたい自分で言うのも何だが、俺があんなにもてるわけねぇだろ。そうだな、マルチはけっこう本物に近い話だったと思うぜ。他の女の子の話については、話すと長くなるからやめておく。・・・・話したくないことも多いしな。
 そんなこんなで、今日も仕事が終わろうとしている。
 あかりの奴は何やら終業前に仕事をいいつけられたらしく、モタモタと事務仕事をしている。相変わらず要領が悪いというか、頼まれると断れないというか。俺はそんなあかりを放っておいて、先に帰ることにした。あかりは今でも、この歳になって一緒に帰ろうなんて言ってくる。たまには一緒に帰ってやるが、そういつもだとかなわない。
 だが・・・・。
 俺はそんなあかりを見るたびに、心苦しくなる。

 どこかに寄り道でもするかとブラブラしていると、見知った後姿を見かけた。
「よう、雅史」
「え、ああ、浩之」
 俺の学生時代からの親友、佐藤雅史。こいつは昔から勉強ができてスポーツもできる、あまり友達にはしたくない奴だが、なぜかこいつとはウマが合っていた。雅史は今、某一流企業に勤めている。
「帰りか?」
「うん。そうだけど、浩之も?」
「まぁな。なぁ、どこか寄っていかねぇか」
「え、いいけど・・・・」
「それとも、何か用があるのか?だったら無理には誘わないぜ」
 俺がそう言うと、雅史は少し考えていたが、突然思いついたように俺を自分の家に誘った。
「え、お前ん家にか?」
「うん、浩之、僕が1人暮らしになってから来たことないよね」
 そう言えばそうだ。一度、こいつの部屋というのも見てみたい。
「それなら、あかりの奴も誘えばよかったな」
「い、いいんだよ、今日は・・・・」
「ん?」
 何だ、雅史の奴、急に慌てて。

 雅史の部屋はマンションの8階にあった。眺めがよく、何より広い。
「なぁ、家賃いくらなんだ?」
「ヤボなことは聞かない、聞かない」
「雅史ちゃん、お帰りなさい!あ、浩之さん!」
 俺たちが帰ると、奥からマルチ・・・・いや、HMX−12型のメイドロボが現れた。そもそもこいつらは俺たちが知っているマルチのメモリーを受け継いでいるから、みんな俺のことやあかりのことを知っている。何ともややこしい話だ。
 それよりも今、こいつ雅史ちゃん、って・・・・呼ばなかったか?
「マルチ」
 雅史はメイドロボに近づいて、優しい声で言った。
「今日はメイドの基本パターンで話していいよ。僕のことは雅史さん、だ。君のことは今日はマルチと呼ぶ。それから、今日はそのかつらは取らなくていい」
 最後の方は小さい声だったので俺には聞こえなかった。

 メイドロボが作ってくれた夕食を食べて、俺たちは一息ついていた。マルチより料理の腕がいい。雅史が教えたのだろうか。
「しかし、驚いたな。お前がメイドロボを購入したなんて聞いてなかったぞ」
「友達に薦められたんだ。浩之、君もどう?」
「よせよ。買えるわけねぇだろ。いくらすると思ってんだよ」
 俺がそう言うと、雅史はニッコリと笑みを浮かべた。何なんだ?
「ところが、そうでもないんだよ。例えば、僕が買った販売店ではね。友達に紹介すると、1割のキャッシュバックがあるんだ。1割、凄いだろう?」
「1割もか?」
「そう。10人の友達に買って貰ったらどうなる?」
「10割・・・・って、タダになんのか!?」
「当たり。さすがだね」
 まてまて、その商法って何かヤバくねぇか?雅史のやつ、こんなのに手を出すような奴じゃなかったと思うんだが・・・・。
「ね、浩之。今、彼女とかいるの?」
「な、何だよ、唐突だな」
「どうなの?」
「いねぇよ。だいたい、いつもあかりが付きまとっているからな。他の女の子も俺に声をかけられないんじゃねぇかな」
「・・・・そう。じゃあさ、あっちの方は不自由してるんじゃない?」
「あっち?」
「お〜い、マルチ。片づけが終わったらこっちに来てよ」
「は〜い。あっ!」
 マルチの「あっ」という声と同時に、派手に皿か何かの割れる音がした。
「あわわわわっ」
 やったな、マルチ。
「いいよ、いつものことだから」
「す、すみません・・・・」
 マルチは申し訳なさそうに割れた皿を片付けている。
 相変わらずだな。俺は思わず顔がほころんでしまった。
 マルチが割ってしまった皿の破片を片付けているのを見て、手伝ってやろうかと思ったが、それほど手間がかかりそうにないので余計な手出しはしないようにした。
 その時、俺はマルチの後頭部の赤いものが気になった。
 あれは・・・・髪の毛か?てことは、緑の髪はかつら?マルチ、髪を赤く染めているのか。しかし何でわざわざかつらなんか?

「お待たせしました」
 片づけを終えたマルチが俺たちのくつろいでいるリビングに来た。
「マルチ、早速だけどいつものやつ、頼むよ」
「え、こ、ここでですか?あの、浩之さんもいますし・・・・その・・・・」
 いきなりマルチが頬を赤らめた。何のことだか俺には分からない。
「いいんだよ。浩之にも見てもらうんだ」
「は、はい・・・・」
「よう雅史、何が始まるんだ?」
「まぁ、見ててよ」
 言われた通りに黙って見ていると、マルチはソファに座っている雅史の前にひざまずいた。そして、おずおずと雅史のズボンのチャックを・・・・。
「お、おい」
「浩之、黙って。さ、マルチ」
「は、はい・・・・んっ・・・・」
 俺は俺の目を疑った。マルチが、あのマルチが雅史の・・・・!
「あぁ、いいよマルチ。ずいぶん上手くなったね」
「本当ですか?実はこっそり練習してたんですよ〜」
「うん、気持ちいいよ。はい、ごほうび」
 そう言って雅史はマルチの頭をなでた。俺が試作のマルチによくしてやってたことだ。こうしてやると喜んだのだが、そんな所も受け継いでいるようだ。
「は、はずかしいです・・・・」
 信じられないものを見た俺はしばらく放心していたが、急に無性に腹がたった。
「おい、雅史、これは一体何の真似だ!?」
「何って?」
「お前、どういうつもりでこんなことをさせているんだ!」
「?みんなやってることだよ」
「な・・・・に?」
 何を言ってるんだ、雅史は?
「やだなぁ、これがメイドの正しい使い道じゃないか。マルチを買う人って、ほとんどの目的がこれじゃないかなぁ。だって、純粋に家事や料理に使うんだったら、セリオの方が優秀だもの。逆にセリオって、あの時でも無表情らしいよ。まぁ、それが好きっていう人もいるらしいけどね」
「・・・・」
「そうだ、浩之。一度3Pってのやってみたかったんだ。どうかなあ」
「雅史さん、あの、さんぴーって、何ですか?」
「あのね」
 雅史から耳打ちされたマルチはたちまち真っ赤になった。
「後ろもちゃんと調教したんだよ。拡張パーツも付けられたんだけど、やっぱり自分で教える方がいいよねぇ。そうそう、この前カズノコっていう追加機能を付けたんだけど、凄くいいよ。ね、気に入ったら浩之も買ってよ。そしたら還元された分でいくらかカンパするからさ。浩之!?」
 ダン・・・・
 俺は、思わず雅史の部屋から飛び出していた。
 違う、違う、違う!
 あんなのは、マルチじゃない。マルチじゃない!マルチは、マルチは!
 俺の知っているマルチは、あんな・・・・あんなこと、絶対にしない!

 家に帰った俺は、ほこりのかぶったゲーム機を取り出して、あるゲームを起動させていた。
 このゲームをするのは、何年振りだろう?
 画面では、麦藁帽子のマルチが微笑んでいた。
 純粋な微笑み。
 これだよな。これが本当のマルチだ。
 マルチ・・・・お前、本当に商品化されて幸せだったのか?
 あのまま、俺たちとの思い出をメモリーに残したまま、そのまま商品化されなかった方が良かったんじゃねぇか?
 お前が日本中であんな使い方をされてるなんて、俺は・・・・信じたくない。
 なぁ、そうだろマルチ。
 お前は、あんなことのために生まれてきたんじゃないだろ?
 モニターの中のマルチは、俺の心を癒してくれるかのようにずっと微笑んでいた。
 マルチの開発者は、こうなることを予想していたのだろうか?予想していて、あえて作 ったのだとしたら、俺は・・・・。

 俺の中のマルチは、この画面の中にいる。

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