家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん3月号(2026年3月1日発行)は

広島市の私立保育協会の役員をしている関係で、昨年、カスタマーハラスメント防止を啓発するポスターを製作しました。いわゆる「カスハラ」対策が国で法制化された影響です。一般企業と同じように、園・所でもカスハラ防止対策が義務付けられることになりました。園に対する理不尽な要求や、誹謗中傷などを防止するという目的で、他県ではすでにさまざまな取り組みが始まっているそうです。わたしの所属する広報部でポスターを作ってくれという依頼に、同じ部のY先生と二人、しばし考え込んでしまいました。Customerカスタマー、顧客、お客さま。「園の保護者に対してカスタマーだって思ったことは、そういえば一度もないですね」「たしかに、そうですね」「でも職員が保護者からの要求に悩む、というケースはありますね」「ええ、ありますね」「SNSで中傷するようなことを書かれても、困りますね」「すごく困りますよね」……。
ハラスメント意識の高まりは、人権意識の高まりですから、歓迎すべき流れではあります。誰かがなにげなく放った一言で深く傷つくということはあるし、誰も傷つけないように言葉や態度に慎重になることは、どんな場面でも大切です。園の中でも、先輩が後輩を優しく導けているか、妊娠した保育者も平等に働けているか、気をつかうことが増えました。優しい社会をつくろうとする草の根の取り組みを、法律で縛らなければいけないのは少し悲しいけれど、方向性としては間違っていないと思うのです。
引っかかるのは、カスタマーという名称でしょうか。保育にも教育にも、たしかにお金がかかります。親の側からみれば、自分はお金を払っているカスタマーという意識があるかもしれません。園側だって、園児とそうでない子を分けるのは費用徴収の有無と言えなくもない。ただ、定義上はそうだとしても、拭えない違和感が残るのはなぜなんだろう。保育という営みにおいて大切だと思ってきたことが、カスタマー相手のお仕事となると、なんだかよそよそしいというか、主題がすっぽり抜け落ちてしまうような気がするのは、なぜなんだろう。
うまく言葉にならないまま、必要に迫られてポスター作りをしました。「職員は、保護者の方と一緒にこどもたちの安心・安全を守り、すこやかな育ちを見つめる仕事をしています」と書きました。書いて改めて、保護者と保育者はともに同じ仕事に向き合っているのだ、と思いました。その子の一生で一度しかない乳幼児期に立ち会える、苦労も多いけれど喜びの多い共同作業。あるいは協働作業とも言えるでしょう。
「協働」とは「同じ目的のために、対等の立場で協力して働くこと」と辞書にあります。保護者と保育者が対等に協力して働く中で、こどもたちがのびのびと育つ。その環境こそ、わたしたちが「園」と呼んでいるものの正体なのではないか。そしてまた、大人もこどもも同じ仏の子とする「まことの保育」の願いなのではないか。誰もお客さまにならない、みんなの「わたしの園」づくりに努めたいと思いました。
(武田修子)

育心

「施す」ということ   相愛大学准教授 善教寺副住職/赤井智顕

今月の『育心』、赤井智顕先生のお話の中の「クレヨン」のエピソードを拝読しながら、幼い頃の思い出が蘇ってきました。あまりに古い記憶なので、茶色く色あせた淡い光景が思い浮かびます。
私の子どもの頃のおやつは、今のように個包装で、ひとりに一つという時代ではありませんでした。
「皆で分けておあがりなさい(食べなさい)」と、一袋のお菓子をもらって、年長の子どもが分けるということがよくありました。
その日も、一袋のお菓子を年長のいとこが、平等になるように、丁寧に分けてくれていました。すると、割り切れないお菓子が一つ、袋の中に残りました。私は、とっさにそれを自分の口の中にパクッと入れて食べてしまったのです。
その後しばらく、何か物を分ける機会がある度に、あの時の皆の悲しそうな顔と、情けなく恥ずかしい自分の姿が浮かびました。
赤井先生のお話から、「施す(無財の七施)」とは「他者に対する思いやりの心と、分かち合うことを通して、お互いがよろこびあえる世界」であることを学ばせていただきました。
幼い頃の後悔を、時には思い出しながら「施すこと」分かち合うよろこびを味わっていきたいと思いました。

子育ちフォーラム

生成AIの広がりと子どもの育ち   和洋女子大学教授/矢藤清次郎

2ページ目は、矢藤誠慈郎先生のお話です。
実は最近、私の園でも生成AIを活用することが多くなりました。主に会議録の作成や、文書の誤字脱字などのチェックをAIさんにお願いしています。その結果、事務負担が大幅に改善され、時間に余裕ができました。
しかし、あまりにAIさんが優秀なので、ふと、怖ろしくなることがあります。「ひょっとして、AIさんがいれば私は必要ないんじゃないか」と……。
将来、様々な仕事はAIに取って代わられるかもしれないが、「保育」はAIにはできないという声を時折耳にします。「子育て」も然りです。それがなぜなのか、矢藤先生のお話を拝読して、理解できたような気がしました。
子どもたちの育ちには、実際に「見て」「触れて」「感じて」「発見して」「試して」が大事。そこから生まれる興味・関心がどんどん広がり、学びに繋がり、子どもたちの歩む未来が豊かになっていく。そしてそれを支えるのは、やっぱり信頼できる大人の愛情や共感だと思いました。

私の雑記帖

ユーモアで仏   武蔵野大学名誉教授/ケネス田中

『私の雑記帖』は、武蔵野大学名誉教授ケネス・タナカ先生のお話です。
若い学生さんたちにとって「仏教」というのは、かなりとっつきにくいものかも知れません。
若者は「仏教」に興味を持たないと諦めてしまうのではなく、「ユーモア」で「仏教」と若者の距離を縮めようと、自ら視野を広げてチャレンジされたというエピソードは、とても興味深く感じました。

お話の時間 つきみとほし49

ネコの言葉   文・絵/三浦明利

今月の『お話の時間』は、ネコのチャーの気持ちに寄り添う、つきみちゃんとほしくんです。

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卒園を迎える子どもたちの歌声が、盛んに聞こえ始めました。
(鎌田 惠)

令和8年2月16日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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