2025年10月27日の「朝日新聞」の中で、「カーリングペアレント」という言葉に出会いました。公認心理師の佐藤めぐみ氏の解説によると、以下の通りでした。
「子育ての場で耳にすることが増えた『カーリングペアレント』は、冬のスポーツ由来の言葉です。カーリングは、氷のフィールドに描かれた円の中にストーンを入れて得点を競う冬のスポーツです。ブラシで氷をこすることで表面を溶かし、ストーンを滑りやすくします。ブラシをかけるのが親、ストーンが子ども。子どもの行く先を先回りして道をならし、狙った位置に子どもを向かわせる。そんな親を指す言葉です。『過保護+過干渉、過管理』といったところでしょうか」
子どものためと思い、知らず知らずの内に「カーリングペアレント」になっていないか、振り返ってみる必要があると思いました。
2025年11月25日「朝日新聞(折々の言葉)」で、
「『障害』があるのは社会だから本当は『障害社』と書くべきなのですが」
という言葉が、紹介されていました。この言葉は、「社会をたのしくする障害者メディア」を謳う『コトノネ』が毎号、表紙裏に掲げる文章にあるものだそうです。
「障害」という言葉は、害のイメージが悪いということで、「障がい者」と表記することが多くなりましたが、考えてみれば、障害があるのは社会の方なので、「障害社」。鋭い指摘だと思いました。
また、「『障がい者』に対して『健常者』という言い方をするけれど、『常に健やかな者』などいない」という指摘も心に刺さりました。
すべての人が障害を感じない社会、そんな社会など無理だと言わず、常に心の中に、留めておきたいと思いました。
教育学者であり、有り難い念仏者でもあった西元宗助氏の『念仏に生かされて』という書物の中に、次のようなエピソードが紹介されていました。
「大学を辞める時、学生にお別れの挨拶をした。その時、榎本栄一氏の『ぞうきん』という詩を黒板に書いた。
ぞうきんは 他のよごれを いっしょうけんめい拭いて 自分は よごれにまみれている
挨拶が終わって、ある学生が『雑巾のごとく生きていきたいと思います』と言った。私は、『ありがとう。だけどな、雑巾さまにはなれんぞ、わかるか。われわれ人間は、雑巾にはなれない。この雑巾というのは仏さまのことです。仏さまは、雑巾のごとく、世の中のあらゆる汚れを一生懸命拭いて、そして、自分は汚れにまみれていく。世の中を清めていく』」(筆者要約)
「雑巾のように生きよう」という心は尊いけれど、そうなれない自分がいる。雑巾のような仏さまのはたらきと、そのお心を、忘れないで生きていくことが、大切なのだと思います。
(小池秀章)
保育課程をつくる ほうりんこころ幼稚園園長/武田修子
今月の『育心』は、浄土真宗本願寺派保育連盟教育原理委員として、「まことの保育」課程の編纂に携わられました武田修子先生のお話です。
この度ご編纂くださいました「まことの保育」課程を、繰り返し繰り返し味わわせていただきました。と同時に、国の保育所保育指針を再び読み返してみました。
指針(国が定めた全国共通の基準)と保育課程(国の指針をもとに、各園が定める保育方針または計画)の性質は少し異なるのですが、国の指針は当然児童福祉法に基づいたものであるのに対し、「まことの保育」課程は、国の指針を踏まえつつ、しっかりと仏さまの法(おみのり)が染みわたった、保育の道標であることを深く感じました。
難しい言葉ではなく、私たちの日々の保育に溶け込んだ、一言一句丁寧な言葉で示されていて、どれほどこの編纂に心血を注がれたことであったかと胸が熱くなりました。
この課程の序文の中に、「こども」とは、阿弥陀さまの願いの中でともに育ちあう、大人もこどもも含めた仏の子≠さします。とありました。
「まことの保育」課程のめあては私自身であることをしっかりと心に留め、保育を見つめていきたいと思います。
「言葉でやりとりする時間を大切に」 名古屋大学名誉教授/八田武志
2ページ目は、八田武志先生の『教育相談』です。
今回は、パパの真似をして、スマホゲームをなかなか止めることができない4歳のお子さんを持つお母さんの相談です。
この相談に対し八田先生は、4歳の子どものこのような姿はごく自然なことで、むしろ観察力や好奇心が順調に育ってきている証拠だと仰っています。
ただ、「社会性や共感、自己意識の形成の発達の途上である重要なこの時期に、親子がスマホゲームに夢中になるのは望ましくない」ということも仰っています。
やはり、この時期だからこそ、「相手の顔や表情を見ながら言葉でやり取りする時間」を大切にしなければならないということですね。
園でも、実際に見て聞いて感じて、友だちどうし思いを伝え合う経験ができる遊びが、十分にできるようにしていきたいと思います。
若者に仏教を 〜共にお育ていただく身〜
筑紫女学園中学・高等学校 非常勤講師/小杭浄海
『私の雑記帖』は、筑紫女子学園非常勤講師の小杭浄海さんのお話です。
小杭さんは、十代から二十代の若者を対象とした、仏教への「ご縁づくり」の多くの活動をされています。
「若者は仏教に興味がない」とひとくくりにしてしまうのではなく、仏教を知る「ご縁」を通して様々なことを共に学び合いながら、自分の生き方を見つめることができる若者の輪がどんどん広がっていくと、本当に素晴らしいと感じました。
貴重な原稿をありがとうございました。
やさしい手 文・絵/三浦明利
今月の『お話の時間』は、痛い、悲しい、寒い……全てを癒し包み込む、「やさしい手」のお話です。
子どもたちと体をいっぱいに動かして、厳しい寒さを乗り切りたいと思います。
(鎌田 惠)
令和8年1月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

