家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん1月号(2024年1月1日発行)は

明けましておめでとうございます。今年も、色々な人の言葉やエピソードを味わってみたいと思います。
「福岡伸一の新・ドリトル先生物語」(第2回・『朝日新聞』2023年4月1日朝刊)に、「一度書かれた文字はそのまま動くことはありませんが、その文字を受け取った人の心の中で文字は自由に運動を始めます」とありました。
私の書いた文字が、それを受け取った人の心の中で、どんな運動を始めるのでしょうか。少し不安もありますが、大きな楽しみでもあります。
昔、あるシンガーソングライターの方が、「自分の書いた歌詞を、自分の思いとは違うけれど、素晴らしい受け取りをしてくれることもある。私はそれを、『大いなる誤解』と呼んでいます」と言われていたのを思い出しました。
言葉は、それぞれの人の心の中で、新しい世界を開いてくれます。南無阿弥陀仏という言葉が、どんな世界を開いてくれるのか、しっかり聞かせていただきましょう。

昨年放送されたNHK朝ドラ「らんまん」から、紹介出来ていなかったものを3つ。
2023年8月16日、主人公植物学者・槙野万太郎と、その友人・広瀬佑一郎の会話。
佑一郎「おまん、昔から、いっぺんじゃち、草花に優劣をつけちゃあせんかったろう?」
万太郎「当たり前じゃろう。それぞれが、それぞれに面白いき」
佑一郎「そう考えられる事、当たり前じゃないき。生まれた国、人種、どこでどう生きるか。それぞれに面白うて優劣らあない。おまん、この先も、ずっと変わりなよ」
「植物のいのち、人間のいのち、そこに優劣はない。そう考えられることは、当たり前じゃない」。心に刺さる言葉でした。

2つ目。2023年9月14日「らんまん」より。
早川逸馬(高知県の自由民権運動家)の台詞。
「わしは……、誰もが己のまんま生きていける世の中を夢見たけんど……。また、戦いの世になってしもうた。自由とは、己の利を奪い合うことじゃあない。それやったら奪われた側は痛みを忘れんき。憎しみが憎しみを呼んで……。行き着くところまで行くしかのうなる」
「誰もが己のまんま生きる」ということが、「欲望のままに生きる」ということになってしまった時、戦いの世になってしまうのだと思います。そして、己の利を奪い合うのは、決して自由ではなく、煩悩に束縛された人生です。本当の自由とは、自らの煩悩から解放されたところにあるのです。

3つ目。2023年9月21日「らんまん」より。
関東大震災が起こり、万太郎が植物の標本を背負って、火事から逃げる途中、警察に「火が移る、荷を捨てろ!」と言われた。それに対して、「これは捨てん! この先の世に残すもんじゃ!」と叫んだ。
大切なものを、この先の世に残す。今を生きる者として、重い責任を感じました。
(小池秀章)

育心

きらきらのまなざし   西正寺住職 龍谷大学非常勤講師/中平了悟

中平了悟先生の、今月の『育心』を拝読すると、楽しそうにドングリ拾いをする、子どもたちの姿が浮かんできます。どの子も目をきらきらと輝かせています。子どもたちにとって、「ドングリは魅力的な宝物なんだなぁ」と、いつも微笑ましく見ています。
秋の芋ほり(サツマイモ)では、「見て見て、こんなに大きなお芋があるよ!」と、保育者たちは声をかけますが、子どもたちは土の中から、小指の大きさにも満たない「赤ちゃんのおイモ」を探し出し、愛おしそうにながめています。
「大切な誰か、尊いなにかがもたらしてくれているものは、私がものを見つめる、そのまなざしの中にもある」という中平先生のお話を通して、土にまぎれた小さな「赤ちゃんのおイモ」がここにあるよと、子どもたちがもたらしてくれた、「私のまなざし」となっていることを学ばせていただきました。

親と子の育ち合い広場

出会うことで広がる世界   子育て支援コミュニティワーカー/藤本明美

藤本明美先生の『親と子の育ち合い広場』では、「共に場の仲間として存在する人たち、すべての人たちがつながることの意義」を学ばせていただきました。
保育の現場では、子育ての悩みなど、様々な悩みを抱える保護者の方に接することが多くあります。
しかし、自分がしんどい胸の内を話しに来てくださる方はほんの一握りで、「こんなこと人に話せば何て思われるだろう」「誰に相談したらいいんだろう」と、一人で抱え込んでしまわれる方が、ほとんどではないかと思います。
相談室の門をたたくのは、やはりハードルが高く勇気がいるようですが、子育て世代が集う「広場」に誘ってもらって、「一回ぐらい行ってみようかな」と、ある日参加したことで、一人で閉じこもってしまっていた世界から一歩踏み出すことができたり、目の前の視野が、ぱぁーっと広がって、心が軽くなる出会いがあれば、本当に素敵だなと感じました。
園の保護者会や行事を、そんなきっかけの場として工夫し、お父さんやお母さんたちに、子育てを楽しんでもらえるようにしていきたいと感じました。

私の雑記帖

人は何のために生まれたのでしょう   みやざきホスピタル副院長/宮崎幸枝

今月の『私の雑記帖』は、みやざきホスピタル副院長の宮崎幸枝先生のお話です。
宮崎先生は、多くの人々の臨終の瞬間に立ち会ってこられましたが、医者という立場を超えて、一人の念仏者として、「私のいのちの解決は阿弥陀さまの本願」であると受け取られ、日々、命と向き合っておられます。本当にありがたいことと、お念仏がこぼれてくださいました。
貴重な原稿をありがとうございました。

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皆さん、新しい年を元気にお迎えください。
(鎌田 惠)

令和5年12月8日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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