家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん11月号(2023年11月1日発行)は

年長組のA君が、頭が痛いと言って事務室にやってきました。病気ではなさそうですが、浮かない顔をしています。「今日はお芋ほりなのに」とY先生が呟きます。楽しみにしていた芋ほり遠足さえ、行く気持ちになれないなんて。このところのA君は、こんな様子が続いているようです。
おばあちゃんに電話をかけると、すぐにお迎えに来てくれました。おばあちゃんは困った顔をしながら、「わたし今日、用事があるのよね。連れていくしかないかね」と言いました。A君は黙ったまま、青白い顔で座っています。Y先生が「せっかくのお芋ほり、やっぱり行ってみようよ」と声を掛けましたが、A君は固い表情で首を横に振りました。
帰り支度をするあいだ、おばあちゃんが小さな声で教えてくださいました。「なんだかね、お友だちに言われるんだそうです。なんでお前のところは、ばあちゃんが来るんだって。なんでお母さんがいないんだって、それを聞かれるのがいやだって」Y先生はその言葉に胸が詰まりました。A君は父子家庭で、おばあちゃんに手伝ってもらいながら、お父さんが必死にA君と2人のお姉ちゃんを育てているのです。
そういえばと、Y先生は思い当たりました。別件ですがついこの間も、Cちゃんが体型のことで男の子にからかわれたことがあったのです。Y先生は悲しくなりました。相手のことをたいせつに思う気持ちやその表し方は、どう育んだらいいのだろう。A君は結局、おばあちゃんと一緒に帰って行きました。園生活最後の芋ほりをさせてあげられなかったことが、心残りでした。
園には、さまざまな事情をもつ子どもたちがたくさん通っています。というより、園であれ学校であれ社会であれ、一人ひとりの抱く事情は多種多様であると言うべきなのかもしれません。家族がそろっていることがあたりまえ、元気でいることはあたりまえ、みんな同じがあたりまえ。自分はいつでも○で、×なのはいつも自分以外で、それもあたりまえ。わたしたちは心のどこかでそう思って暮らしています。だから、自分が思うあたりまえは、他の人には全くあたりまえではないという現実に直面した時、わたしたちは戸惑い、受け入れられずに、相手や出来事に対して簡単に×をつけてしまうのかもしれません。あみださまがいらっしゃらなければ、わたしたちはそんな自分の姿にも気付けない、自分本位の存在なのです。

「自分が苦しい思いをしたり、傷ついたり傷つけたりした経験があると、優しい言葉の意味はわかりやすいかもしれないね」「苦しい時は、思いやりのある言葉や態度に助けられるよね」「相手から大切にされた経験が自分の心に沁みて、優しさになって還っていくのかな」年長の先生たちは丸くなって、思いやりの心をどう育むか、その難しさについて、話し合いました。話し合いの間じゅう、Y先生はクラスの子どもたちの顔を思い浮かべていました。「まだまだ、かれらが経験すべきことがたくさんあるような気がします。まず、わたし自身が優しくなりたい」そう話すY先生の背中には、小さな決意が光っています。
(武田修子)

育心

素材経験から学ぶこと 〜「○○はそんなことには使わない」を考える〜   
龍谷大学短期大学部教授/羽溪 了

羽溪先生の『育心』を拝読しながら、M君の姿を思い出しました。
テーブルの上にこぼれた水の塊を、小さな手で伸ばしたり集めたりを繰り返し、その水玉をキラキラした目で追いかける2歳児のM君。(保育室のテーブルは、ツルツルした素材でコーティングされているので、水が浸み込まずよくはじくのです)保育者は、うっかりこぼしてしまったテーブルの上の水が、これ以上広がって床に落ちないように、早く布で拭いてしまいたいところです。しかし、M君にとっては、これが「水」(「素材」)との出会いであり、「素材経験」の瞬間だったのでしょう。
「これはこのように使うもの」という、いつの間にか一方の視点でしか、物を見辛くなってしまった大人とは違い、いろんな感覚を五感で吸収しながら、「素材経験」の途上を楽しむM君の姿だったのだと、羽渓先生のお話を通して、改めて学ばせていただきました。
子どもたちの飽くなき探求心が十分に満喫できる、そんな「素材経験」を大切にしていきたいと思いました。

子育ちフォーラム

「不適切な保育」を保育の質向上のきっかけに   
和洋女子大学教授/矢藤誠慈郎

2ページ目は、矢藤誠慈郎先生の『子育ちフォーラム』です。
入園したてのSちゃんは、園の食事になかなか馴染めず、給食の時間が近づくと不安そうに目に涙をためています。担任のT先生は、どうしたらSちゃんが楽しく笑顔で食事をしてくれるのだろうと、あの手この手で励まします。
ある日T先生は、お皿に盛るおかずの量を少しにしてみようかとSちゃんに提案しました。Sちゃんは、お皿の上のほんの一口のおかずを、勇気を出して食べることができ、その日を境に、少しずつ笑顔が見られるようになりました。
そんな時、食事の配膳時の不適切について、ある記事を見たT先生が不安そうに言いました。
「私はSちゃんに不適切な保育をしているのでしょうか…?」
矢藤先生の「『やってはいけないこと』ではなく『やってみること』に着目することがコツです」という言葉をしっかりと受け止めて、目の前の子どもの姿を、専門家としてしっかりと見ながら、子どもたちと共に、試行錯誤していきたいと思いました。

私の雑記帖

コロナ禍でこどもたちが経験した「あいまいな喪失」について   
龍谷大学短期大学部教授/黒川雅代子

今月の『私の雑記帖』は、黒川雅代子先生が「あいまいな喪失」についてご執筆くださいました。
新型コロナウイルスが5類になってから、少しずつコロナ前の保育が戻ってきました。しかし、何とも説明のつかない違和感のようなものを感じていました。
黒川先生のお話「あいまいな喪失」を読んで、その正体がはっきりしました。
これからは、何を大切にしていけばよいかを学び合いながら、子どもたちと共に歩んでいきたいと思います。
貴重な原稿をありがとうございました。

お話の時間 つきみとほし24

旅はいつもハプニング   文・絵/三浦明利

今月の『お話の時間』は、旅のハプニングが思わぬ楽しいひと時になった、つきみちゃんとほしくんのお話です。

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秋の深まりと共に、子どもたちのイマジネーションが広がります。
(鎌田 惠)

令和5年10月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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