家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん4月号(2022年4月1日発行)は

3年生になったR君は、クラスメイトのK君に良くないことをしました。言ってはいけないことを言い、すべきではないことをしました。お風呂に入りながらK君がお父さまにボソッと伝えたところから、事態が発覚しました。
R君の言動は、いじめやからかいと受け取られても仕方ありません。K君もR君も、ともに卒園児。らいらくで、普段は何があっても朗らかに笑っているR君のお母さまが、泣きそうな顔で園に相談に来られました。
「完全にうちの子が悪いんよ。ほんまに、いけんことをしたと思う」
いたずらっ子でふざけ好きなR君に対して、口数が少なくてクールなK君は、群れて遊びたい盛りの男子の輪からは浮いてしまうこともあるのかな。年長の頃のK君は、大人びた雰囲気を持つ、穏やかな男の子でした。
一緒に遊びたい、かかわりたいというポジティブな気持ちを、間違った方法で相手に押し付け、結果的に相手を傷つけてしまうというのは幼児期にはよくあることです。かれらが年長の頃にもそんなトラブルは日常茶飯事でした。何度もそんな失敗を繰り返して、謝って、仲直りして、また喧嘩して……、少しずつ他人とのかかわり方、互いに快適な距離感を体で覚えていく。相手の気持ちにも気付けるようになる。それが幼児期の集団生活の意義です。
R君のしたことは確かに良くありません。ただ、彼の性格からみても、そこまで深い悪気があったとは思えず、むしろ大人っぽいK君とかかわりたい気持ちの変化球のように感じました。「きっと大丈夫ですよ。謝って思いを伝えれば、関係を作り直すこともできるでしょうよ」そうお母さまを慰めましたが、なぜか表情はさえません。
実は、お母さまが深く悩んでおられたのは、後日譚の方でした。この件で憤慨されたK君のお父さまが、謝罪に出向いたR君を大声で?責してしまったのです。天真爛漫なR君が、それ以後、塞ぎこむようになりました。学校に行っても友だちに声をかけるのが怖くなり、この頃では「おれが死んでお詫びすればいい」などと口走り、お母さまも学校に行かせることが恐ろしくなってしまったのです。
子ども同士の関係は、どんなにこじれても、どこかほんのりと希望が残っているものです。それは、子どもの心の柔らかさに起因する希望です。どんな喧嘩をしても「ごめんね」「いいよ」で水に流すことができる。けれど大人になるにつれて、事態は難しく複雑になります。とくに自分が被害者になってしまうようなとき、「わたしは悪くない」という思いは芯のように固まって、相手を傷つけることも厭わなくなってしまう。
K君のお父さまも、息子を守りたい一心だったのでしょう。わたしがK君の母だったら、同じことをしないと言えるでしょうか。わたし自身の心の奥を覗き込めば、我が子しか見えない身勝手な母がそこにいるのです。
午後の陽が差し込む教室に二人で座り込んだまま、どこに向けることもできないその痛みを飲み込みました。光に照らされることなしに、自分の影に出会うことはできません。阿弥陀さまの光は、解決のつかない母の心の奥底まで照らしておられました。(武田修子)

育心

おおきくなるって どんなこと?   京都女子大学教授/黒田義道

黒田義道先生が、今月の『育心』でご紹介くださいました絵本『おおきくなるっていうことは』(中川ひろたか・文/村上康成・絵)は、私の園でもとても親しみのある絵本です。
自分がおおきくなったことを、自分自身で実感するのはなかなか難しいことですが、この絵本を一緒に読むと「おおきくなったよ!」と、子どもたちの顔が輝きます。
入園・進級を迎えたばかりのある日、新5歳児の子ども達と新3歳児の子ども達が、二人ずつペアになって並んでいました。園の周辺をひと周り、お散歩に出かけるようです。
(「つい先日まで2歳児クラスで、保育者と手を繋いで歩いていた3歳児が、上手く歩けるのかしら?」)と、そんな私の心配とは裏腹に、5歳児の子ども達が、3歳児クラスに進級したばかりの、不安げな子の手をとり、歩幅を合わせて優しくリードしながら歩いています。
卒園児を見送ってからほんの数日、頼もしく立派な園のお兄ちゃんお姉ちゃんの姿がそこにありました。
「おおきくなったんだね」と、その優しさ溢れる姿にこころが温かくなりました。
私も子どもたちとともに、今年も育ち合っていきたいと思います。

マッキー先生のアートで子育て2

《あさかん》を楽しみにする理由   
美術館アートナビゲーター 福井県坂井市立高椋小学校校長/牧井正人

2ページ目は、牧井正人先生の『アートで子育て』です。
今回ご紹介いただいたアートの楽しみ方(あさかん)をヒントに、新任の先生と、保育を1〜2年経験した先生達の研修で、アートの鑑賞会をやってみました。
日常の保育の中で、子ども達の発見や驚き、嬉しさや楽しさ、ウキウキした気持ちを受けとめる前提に、全てを受け入れ共感してもらえるって、どんな気持ちなのかを経験して欲しかったのです。
ワーク終了後、「思ったことを自由に言えて楽しかった」「自分とは違う見え方や感想を聞けて面白かった」「またやってみたい」などの感想が聞けました。図らずも、マッキー先生がご紹介くださっている「子ども達が挙げたあさかんの魅力」@〜Bと同じだなと感じました。
保育者は、子ども達が創っていく、多様な考えを受け入れられる、未来のための応援団でありたいと思いました。

私の雑記帖

情緒と音符
社団法人農鉱化学研究所理事 アシヤユースコーラス指揮者/水口 順

今月の『私の雑記帖』は、アシヤユースコーラス指揮者の水口順さんのお話です。
岡潔先生の「数学は情緒である」と同じように、「音楽も情緒である」と、水口先生は叫んでおられます。
私達が携わる保育でも、マニュアルや型のみに頼るのではなく、楽しさ嬉しさ、時には悲しみや淋しさなどの、「情緒」を表現することが大切であると、学ばせていただきました。
貴重な原稿をありがとうございました。

お話の時間 つきみとほしE

花まつりは誕生会   文・絵/三浦明利

花まつりの行事が、お風呂でのごっこ遊びに発展しました。お母さんも仲間入りして、楽しいふれ合いの時間ですね。

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桜のつぼみが膨らんでいくように、新しいスタートに希望が膨らみます。
(鎌田 惠)

令和4年3月23日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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