家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん寺院版3月号(2021年3月1日発行)は

卒園を間近に控え、M君のお母さまは悩んでいます。M君の小学校での学級を、できれば普通級に通わせたいのです。担任はもちろん、彼をともに見つめてきたわたしたち職員も、療育センターの先生方も、特別支援級が望ましいと口を揃えています。集団活動へのなじみにくさ、お友だちとのコミュニケーションの難しさを考えると、彼のペースに合わせて個別に対応してもらえる学習環境が最善だと思われるからです。
お母さまは、M君がまだ乳児のうちから、衝動的で落ち着かない彼の特性を見抜いておられました。そして、家庭生活にも療育支援の方法を取り入れ、時間と方法を厳格に決めた生活を営んでこられました。「大人になってからも自分で見通しを持って生活できるように」というご両親の願いは、ときにM君をがんじがらめにしていたのかもしれません。家では完璧な「良い子」でいる反面、園ではクラスを飛び出し、お友だちに手が出て、きまりを守れず、乱暴な言葉遣いをして……と、自分を開放するようなM君の姿がみられます。
園での様子をお話しすると、お母さまの表情は曇ります。そんな姿を家で見たことがないからです。M君は落ち込んでいるお母さまを見上げて小さな声で言います。「ねえ、おかあさんまたおこる?」
「母親としては、たまらないですよね」自身も二人の男の子を育てている主任のS先生は、自分とお母さまを重ねながらため息をつきます。みんなと同じように、みんなの輪の中にいてほしいと願うのは、親ならば当然です。彼のもつ困難さを取り払ってやりたいという願いもまた、当然です。そのはざまで揺れるお母さまの心に呼応して、保育者の心も揺れます。「でもね、抱っこしてあげてほしいな。ぎゅって。大好きよって言って、抱っこしてほしい」。S先生は母の顔でそう言います。

Gちゃんのお母さまは迷っています。ご主人が単身赴任でメキシコに渡ってから一年余り、新型コロナの影響もあり、今なお一度も帰国できていません。事情があって実家の両親には頼れないお母さまにとって、ご主人の存在は大きな支えです。だから、子煩悩で優しく、頼りがいのあるお父さんの長い不在が、このところGちゃん一家を不安定にしています。明るい、人懐こい性格のGちゃんですが、最近はよくぼんやりしています。先生の話もうわの空。表情にも陰が差すようになり、小さなトラブルが増えました。
「メキシコへ一緒に行くこともできたのに、いろいろあったから……」
お家での様子を聞こうと園にお招きすると、椅子に腰かけるなり、お母さまの目から涙がこぼれました。5歳と1歳の子どもを抱えた自分の、一年前の決断が正しかったのかどうかわからない。今はもうメキシコへ行くこともできない。そう言って泣いています。わたしはお母さまの背中をさすりながら、「お母さまさえ元気になれば、Gちゃんは大丈夫ですよ」と声をかけるのが精いっぱい。保育にも子育てにも人生にも、正解はないのです。良いことは悪いこと、悪いことは良いこと。迷いと悩みの中を、母たちもまた歩いていきます。あみださまがよりそって、照らしておられる母の道です。
(武田修子)

寺院版

声に聞く

ゲッコー   龍谷大学名誉教授 筑紫女学園大学名誉教授/若原道昭

今月号の『声に聞く』のタイトルは「ゲッコー」です。「ゲッコー」とはどういう意味で、どんなことが書いてあるのだろうと、まずはとても興味がそそられます。
最近は、分からない言葉があると、スマホで検索します。それで、言葉の意味など、だいたいのことはわかります。
それでも、若原先生が紹介してくださった「ゲッコー」のように、その言葉がどんなときに、どんなふうに使われるか、その言葉の持つほんとうの豊かさは、実際のコミュニケーションを通さないと、感じることができないのかもしれません。
「ゲッコー」の本来の意味が「還向・下向」であることを知らなくても、それを使いこなしていた人たちは、そういう言葉によって豊かなコミュニケーションと人間関係を築いておられたのでしょう。
「様々な情報があふれている現代とは違って……お寺で聞く説教は新しい知識や情報を得る数少ない機会だったのでしょうし、それだけに心に届きやすく浸透しやすくもあったのでしょう」と若原先生は述べられます。「心に届く言葉」についてあらためて考える機会をいただきました。

育心

今こそ心で橋を渡す時   作家/玉岡かおる

『育心』は、玉岡かおるさんの「今こそ心で橋を渡す時」です。
コロナ禍の中、わたしたちは感染拡大防止のために、文化・芸術の場から遠ざかざるをえなくなっていますが「神や仏が常に人の近くにあって、弱く不安な胸の内をささえた歴史はまぎれもないのだ。……さて現代、そんな心を今に蘇らせるには? そう、芸術や文化の力かもしれない」と玉岡さんは述べられます。
このように、コロナの災禍によって、芸術や文化の力を再認識することになりましたが、お寺や宗教の持つ力もまた同様なのではないでしょうか。何の制限もなくお聴聞ができる日はまだ少し先ですが、それでも「ともかく自分にできることで一歩を前に」という玉岡さんの言葉に励まされます。

いのちみつめて

第68回 み教えとの出遇い ご縁に導かれて 〜井上智子さん〜   
文・森 千鶴/版画・西川史朗

『いのちみつめて』は、井上智子さんにお話を伺いました。
井上さんは「祖母が亡くなる二日前に、家族ひとりひとりに言葉をかけてくれたんです。私には『お母さんのいうことをよく聞いてね』でした」と述べられます。そしてそのお母さまについて「み教えとともに歩んできたような人です。私が大学生で帰省をした際、近くのお寺に一緒にお参りをしてご法話を聞かせてもらいました。その出遇いが今の私につながっています」とお話をしてくださいました。
「ないおん」寺院版廃刊にともない『いのちみつめて』の連載も六十八回をもって終了します。たくさんのありがたいご縁に感謝申しあげます。

私の雑記帖

地芝居を通して伝えたいこと   気良歌舞伎座長/佐藤真哉

『私の雑記帖』は気良歌舞伎座長の佐藤真哉さんです。『育心』で玉岡さんが述べられている「一歩を前に」をまさしく実行しておられる、そんなふうに思いました。
わたしもクラウドファンディングの返礼品でDVDを送っていただき視聴しましたが、その完成度の高さに驚き、感動しました。
いろいろな人が力を合わせて、困難を乗り越えていく、そのことの素晴らしさを、息子さんもまた、きっと体験されたのでしょう。

尊い原稿をありがとうございました。
(森 千鶴)

令和3年2月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

「ないおん」寺院版は、これまで28年間にわたって刊行して参りましたが、令和2年度末(2021年3月号)をもちまして廃刊とさせていただくことになりました。
長年ご愛読いただきましたこと、衷心より厚く御礼申しあげます。
なお、園版(こども園・幼稚園・保育園向け)は、かわらず発行させていただきますので、今後ともなにとぞよろしくお願い申しあげます。

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