家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん寺院版2月号(2021年2月1日発行)は

新たな年を迎え、今年もまた日々の生活がはじまりました。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響はとどまることなく、深刻な状況が続いています。
思えば昨年から今年にかけて、「恩」という言葉をよく聞かせていただき、「恩」という世界を考える機会をいただいてきたように感じます。
この「恩」という字にどのような意味があるのか調べてみますと、この字はいくつかのパーツに分けることができます。まず「口」は、「クチ」という意味ではなく、大きな敷物をあらわすのだそうです。そして「大」というのは、大の字になっている人の姿をあらわす。つまり、私が敷物の上に大の字になって乗っている姿があらわされているのです。この状態を一字であらわすのが「因」の字でした。
「因」は「果」という字が対となって「因果」という言葉になりますが、この場合の「因」は結果に対する原因のことをいっています。まさに私がここに存在している結果は、ありとあらゆるものに支えられ、存在しているという事実を教えてくれている言葉なのです。
これは目に見えるものも見えないものも含めて全てそうです。私という人間は決して一人で生きていくことはできません。一滴の水も、一吸いの空気も自分でつくることはできません。全ていただきものです。
命もそうです。決して自分でつくったものではありません。私には知りようもない、途方もない様々な原因と条件が重なりあって、たまたま私がここにあらしめられている。そういった私に関わる多くの恵みに「心」をかけ、感動している姿が「恩」という字でした。
今日の私の姿は突然こうなったわけではありません。不思議にも様々な縁が重なり合い、生かされ、育てられて今日の日を迎えています。そのことを「有ることが難しい」ことと受けとめていくのか、「当たり前」のことと受けとめるのか。この違いはとても大きな違いのように感じます。
「私は一人で生きていける」「誰の世話にもなっていない」という言葉は、「恩」の世界から離れていく言葉にも聞こえてきます。反対に連綿とつらなる関係性に想いを馳せていく時、私たちは深くて広い「恩」の世界を感じることができるのではないでしょうか。
昨今の厳しい時世のなか、様々な場所で私たちの生活を守る為に、尽くしてくださっている方がたくさんおられます。私を支えてくださっている返しきれない「恩」の世界を噛みしめ、感じつつ、今日という一日を過ごしていきたいと思います。
(赤井 智顕)

寺院版

声に聞く

「もうすぐ春が」   日本ペンクラブ会員 浄源寺坊守/篁 幸子

今月の『声に聞く』は、篁幸子さんのご寄稿です。
篁さんはコロナ禍の一年を振り返って「こんなに長く(!)お寺で生きているのに、こんなこと初めて」と、今の実感を率直に述べてくださいました。
そして、篁さんは、春は「共存」というあたたかい言葉を抱いてやってくると、これから訪れようとしている春に希望をつないでくださいました。
人と人との共存、自然と人との共存、そしてこれからは、新たなウイルスとの共存も考えなければなりません。
今こそ「共存」とはどういうことか、深く問うときなのではないか。そんなことを思わせていただきました。

育心

待っていた春! ののさまありがとう   青少年問題カウンセラー/外松太恵子

『育心』は、「待っていた春! ののさまありがとう」と題して、外松太恵子さんのご寄稿です。
外松さんは、私たち浄土真宗のみ教えに出遇わせていただいたものが、どのように困難に立ち向かい、そして今、どのようにコロナ禍と向かい合うべきなのかを、身をもって指し示してくださったように思えます。
放射線の副作用のため右手が腫れてペンを持てなくなった外松さんの思い、それでも伝えてくださった大切なこと。ほんとうに尊い原稿をありがとうございました。

いのちみつめて

第67回 阿弥陀さまのもとで 〜いのうえまりさん〜   
文・森 千鶴/版画・西川史朗

『いのちみつめて』は、正恩寺(福岡県飯塚市)の若坊守、いのうえまりさんのお話です。
発想が豊かで、行動力のあるまりさんが中心となって取り組んでおられるお寺の活動には、学ばせていただくことがたくさんあります。お寺の門信徒だけでなく、幅広く地域の人たちを対象に取り組まれていることが、とても素晴らしいと思います。
そして、まりさんが大学生のときに、法要のお手伝いに来られた方から聞かれた言葉「阿弥陀さんのこんなに近くで働かせてもらって、しあわせです」を、今まりさん自身も実感しておられるのだと、そんなふうに思わせていただきました。

私の雑記帖

言葉の力   龍谷大学学長 龍谷ミュージアム元館長/入澤 崇

今月号の『私の雑記帖』は、龍谷大学学長であり、龍谷ミュージアム元館長の入澤崇先生のご寄稿です。
入澤先生は「仏教では、立ったり座ったりする身体的行為のみならず、言葉の使用、心の動きも行為とみなすところがユニークです」と述べられますが、それゆえ、言葉は人を傷つけ、差別したり、攻撃する道具にもなりうるということを、あらためて考え直す機会をいただきました。
入澤先生は、インドをはじめとしたアジア各地で遺跡の調査を行ない、龍谷大学アフガニスタン仏教遺跡学術調査隊の隊長を務められたという経歴を持っておられます。ご著書「ジャータカ物語(本願寺出版社)」には、43編のジャータカ物語とそれを表すジャータカ図が、カラー写真で掲載され、「ジャータカ」の世界観、空気感に直に触れることができます。

コロナ禍で迎えた冬。例年にも増して、寒さが厳しく、雪の被害も各地で報告されています。
被害にあわれた皆さまには、心よりお見舞い申しあげます。
厳しい冬を乗り越えて、やがて訪れる春は、希望にあふれることを思い描きながら……。皆さまもどうぞお元気で。
(森 千鶴)

令和3年1月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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