家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

季刊ないおん夏特別号(2020年7月1日発行)は

今年もお盆の時期を迎えます。亡き大切な方を偲びつつ、仏事をつとめられる方も、多くいらっしゃるのではないでしょうか。
一般的にお盆の仏事は、故人に対する追善供養、つまり故人とゆかりのある方々が善事を実践し、亡き人を苦悩から救っていく営みとして理解されることが少なくありません。しかし浄土真宗の仏事は、故人に対する追善供養の営みではないと受け止めさせていただきます。
親鸞聖人はご在世中、法然聖人の仏事を大切につとめておられました。本願寺第三代・覚如上人の書かれた法然聖人の伝記『拾遺古徳伝絵詞』には、

月々四日四夜礼讃念仏とりをこなはれけり。これしかしながら、先師報恩謝徳のためなりと
云々。

と記されています。これは親鸞聖人が関東から京都に戻られてからの晩年、毎月25日の法然聖人のご命日に、四日四夜の礼讃念仏をなされていたとの記述ですが、この仏事の目的は、「先師報恩謝徳のため」でした。法然聖人に対する追善供養の仏事ではなく、法然聖人のご恩徳を讃え、感謝しながらお念仏のご縁をいただく、「報恩謝徳」の仏事であったことが分かります。
これは法然聖人の仏事だけではなく、親鸞聖人の仏事に関しても同様でした。同じく覚如上人の著された『御伝鈔』や『口伝鈔』には、遺されたお弟子の方や、有縁の方々がなされた親鸞聖人の仏事も、ご報謝の心でつとめられていたことが記されています。
しかし何故、浄土真宗の仏事は追善供養ではなく報恩謝徳の営みであるといわれるのでしょうか。それは「ただ今の、間違いない救い」を説くのが浄土真宗の教えだからです。

念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。
(『教行証文類』)

と親鸞聖人がおっしゃるように、念仏者は今ここで阿弥陀さまから信心(金剛心)をたまわり、いのち終ったその時に、必ずお浄土へ往生して仏と成らせていただきます。ですから浄土真宗の仏事は、お浄土へ先だって往かれた方々に対し、どこかで迷い苦しんでいるのではないかと心配してつとめる追善供養の営みではなかったのです。むしろ反対に、煩悩を抱えて苦悩の人生を生きる私こそが、仏さまと成られた亡き方に案じられ導かれていることに気付かされます。
阿弥陀さまのお慈悲に抱かれ、お浄土の仏さまと成られた方は、「南無阿弥陀仏」のみ名と一つとなって、遺された私たちを仏法へ導き入れる為にはたらき続けておられます。浄土真宗の仏事は、仏法へと導いてくださる故人を偲び感謝して、亡き方も私も共にお救いくださる阿弥陀さまのお慈悲を聞かせていただく、温かな集いであり、営みなのです。
今年もお盆の時期を通し、いまはお浄土にまします方々から私に届けられているお念仏のご縁を、大切に受け止めさせていただきたいと思います。
(赤井 智顕)

寺院版

巻頭エッセイ

み仏のぬくもりを感じるお盆   教恩寺住職 シンガーソングライター/やなせ なな

巻頭エッセイは、やなせななさん。「お盆」に寄せて、おばあちゃんとのご縁を綴ってくださいました。「なかなか合わせることのできないこの手を、外側からそっと包んでくれている、おばあちゃんの、阿弥陀さまの、見えない手のぬくもり」に、私も自分のおばあちゃんのぬくもりを懐かしく思い出させていただきました。

声に聞く

「させていただく」〜み仏様のもとで〜   京都女子大学准教授/黒田義道

『声に聞く』を拝読して、子育てをしていたときのことを思い出しました。子育てと仕事との両立はとても大変でしたが、その頃の私は「できるだけ誰にも迷惑をかけず、自分ひとりの力でなんとかしよう」という思いにとらわれていました。でもそれではうまくいくはずはなく、常にいらだち、わが子にも余裕がなく接していたように思います。 今もまだ「させていただく」という気持ちになれないことの多い私ですが、「連綿と続くいのちのありさまに心を向け」「無限のご縁の中で、おかげさまで生かされている」ことに、日々気づかせていただきたいと思います。

ビハーラのこころ

第二回   藍野大学短期大学部学長/佐々木恵雲

『ビハーラのこころ』では、葬儀や法要を、グリーフケアの場として見直すこと、その可能性や重要性を、佐々木恵雲先生が提起してくださいました。
コロナ禍は、葬儀や法要のありかたにまで影響を及ぼしていますが、それらを単なる形式的な儀式と捉えるのではなく、仏教の本質から捉え直す機会なのかもしれません。

てらんち

「夏の一品」   食文化・食育料理研究家/坂本佳奈

『てらんち』は、お寺に集まって楽しく料理をし、みんなで会食をするときのレシピを紹介するページです。
コロナの影響で、みんなで集まることができにくくなりましたがこんなときには、作った料理をおすそ分けしあったり、レシピを交換しあったり、そんな交流に役立てていただけたらと思います。
いつもの夏は、私の家の畑でも、たくさんのきゅうりを収穫するのですが、この夏は「きゅうりの炒め物」をメニューのひとつに加えたいと思います。

仏教絵童話

秋の彼岸会   文・なかがわあきら/絵・みよこみよこ

前号の『仏教絵童話』は「花まつり」のお話でした。絵の美しさとお話のあたたかさに、読者の方から「よかったよ」という感想をたくさんいただきました。
そして、今回もまた結衣ちゃんとおばあちゃんの、いのちをみつめる物語です。
彼岸花。そして、お寺のまわりには秋の風景が広がります。

先日、古い書類を整理していたら、義父から孫(私の息子)に宛てた手紙が出てきました。封が切られていません。成長した孫に宛ててタイムカプセルのようなつもりで書いて私に手渡してくれたのですが、それをしまい忘れていたようです。手紙を書いた日付は孫が生まれて数日後。誕生の喜びと孫への思いが綴られていました。
すでに十数年前に亡くなった父ですが、懐かしい筆跡と便箋の手ざわりに、父のぬくもりが感じられました。
人に会う機会が狭められている今、手紙のよさが見直されていると聞きました。「ないおん」も手紙のように、おひとりおひとりの心に届きますように。そんな思いで編集、発行をしていきたいと思っています。(森 千鶴)

令和2年6月1日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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