家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

季刊ないおん春特別号(2020年4月1日発行)は

新型コロナウイルス感染症が世界中にひろがっています。生活や経済への影響にとどまらず、私たちの命そのものにまで、深刻な影響を与えています。
思えば先行きの見えない、命の危険を感じながらの営みは、先達方がこれまで幾度となく経験されてきたことでした。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の晩年の生活は、まさにそのような状況にあったことが、お手紙に記されています。

なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそあはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。『註釈版』・771頁

このお手紙は文応元(1260)年11月13日付けで、常陸の乗信房へ出されたお手紙です。日付の分かっている聖人の最後のお手紙として知られています。聖人が88歳の冬に書かれたお手紙ですが、そこには厳しい言葉で、私たちの命の事実について記されています。
この世に生を受けた瞬間から、私たちは死すべき命と定められている存在です。しかもその死は、いつどのようなかたちで訪れるか知れないことを、すでに釈尊は「生死無常のことわり」としてお説きになられました。だからこそ、「死なない者が死んだのではない。死すべき者が命を終えていったのであるから、それは決して驚くべきことではない」と、聖人はまことに厳しい言葉でおっしゃっていかれたのです。
実は、このお手紙を書かれた文応元年の前年は正元元年で、わずか一年で元号が変わっています。そして文応元年の翌年は弘長元年に改元されています。この時期、日本各地では天変地異が起こっていたからです。そのせいで全国的な大飢饉と疫病が蔓延し、老若男女、無数の方々が命を落としていかれる悲惨な状況にありました。そのような状況を眼前にしながら最晩年の聖人が、渾身の想いを込めて書かれたのが先のお手紙だったのです。
ややもすると、生きていることを当たり前と思い、命を終えていくことを驚きと受け止めている自分がいます。しかし普段忘れがちになっていますが、本当に驚くべきことは、いつどうなってもおかしくない私が、いまここに生かされている事実でした。
だからこそ私たちは、自らの命の事実を、仏法を通して確認させていただくのでしょう。そして「後生の一大事」といわれる私のいのちの往き先を、「南無(まかせよ)阿弥陀仏(われに)」の仰せのなかに聞きうけていくのです。
変化してやまない無常の境界に生きる私、確かなものなど何一つ持ち合わせていない私だからこそ確かな仰せが届けられています。新型コロナウイルス感染症の一刻も早い収束を願いつつ、いまここに届けられている「南無阿弥陀仏」の仰せを、あらためてわが身に聞かせていただきたいと思います。
(赤井 智顕)

寺院版

巻頭エッセイ

花まつり   教恩寺住職 シンガーソングライター/やなせ なな

季刊「ないおん」春特別号の巻頭エッセイは、やなせななさんです。
やなせななさんは、「花まつり」を、「苦しみ迷う愚かな自分を振り返り、仏さまの教えに耳を傾ける一歩を踏み出す『わたしの誕生日』」と味わわれます。
写真は、色とりどりのたくさんの花に囲まれたお釈迦さま。右手は天を、左手は地を指しておられます。甘茶をかける子どもたちの表情は優しく穏やかでありながら、真剣な様子もうかがえます。
「花まつり」が、仏さまのお心にふれられる、よいご縁となりますように。

声に聞く

歩むべき「道」を得るということ
浄土真宗本願寺派西正寺住職 龍谷大学非常勤講師/中平了悟

『声に聞く』は、中平了悟さんのご寄稿です。
「歩むべき道を持つことによって、日々の出来事をまなざす視点が示される。時にたじろぎ、動揺する私を支える足場ともなる」と、中平さんは述べられます。
そして中平さんにとってそれは「仏道の歩み」「お念仏の味わい」であると。中平さんの柔らかで繊細な感性は、私たちに新たな気づきをもたらしてくれます。
いろいろなことが新しくスタートする4月。歩むべき道を持つことの有り難さを、あらためて思います。

ビハーラのこころ

第一回   藍野大学短期大学部学長/佐々木恵雲

『ビハーラのこころ』は、医師であり、僧侶である佐々木恵雲先生の連載です。
第1回目は、「ビハーラとは何か」「グリーフケアがなぜ注目されるのか」を丁寧にわかりやすく述べてくださいました。
さらに、次号からは「日本の文化や日本人の精神構造に深く根ざしている仏教をもう一度見つめ直し、グリーフケアに果たす役割を再認識する」という課題に迫ってくださることでしょう。ますます興味深く、楽しみなシリーズです。

てらんち

「りんごのほったら菓子」   食文化・食育料理研究家/坂本佳奈

『てらんち』は、「お寺で楽しく食事(ランチ)を」と、食文化・食育料理研究家の坂本佳奈さんにいろいろなレシピをご紹介いただきます。
第1回目は「りんごのほったら菓子」。これだったら、誰でも楽しくできそうだと思えます。 文中には、「小麦粉には膨らませる働きのあるベーキングパウダーを」と、「小麦粉」についての記述があり、レシピは「米粉」となっていました。この点について、坂本さんからのコメントです。「米粉でも小麦粉でも問題なく作ることが出来ます。米粉の方が吸水がいいので少し減らし気味に使うのですが、レシピ掲載の分量ですとほぼ関係が無く、そのままの分量でお作りいただけます。米粉とは、うるち米の粉の事で、餅米の粉で作りますとまた変わりますので、ご注意ください」
さて、わたしも実際につくってみましたが、米粉だけでなく玄米粉でも、また、りんごはバナナや、レーズンに変えてなど、いろいろな楽しみ方ができます。
坂本さんは、米粉の利用普及に努めておられ、著書などでさまざまな米粉レシピを紹介されています。

「『ないおん』を毎月門徒さんに配るのはたいへんだけど、法座や行事いろいろな集まりに配ることができたら」という声から生まれた季刊「ないおん」。ぜひ皆様からのご感想ご要望をお聞かせ下さい。春特別号は、引き続きご注文を承っております。(森 千鶴)

令和2年3月3日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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