家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん寺院版8月号(2020年8月1日発行)は

新型コロナウイルスの影響が長引き、皆さんの生活にも、多くの変化をもたらしたことと思います。そして、そのような生活の中で、色々な事を経験したり、色々なことを考えたりしたのではないでしょうか。
2020年5月15日の『朝日新聞』「折々のことば」で、鷲田清一氏が、吉村萬壱氏の言葉を取り上げておられました。その言葉は、同年4月22日『朝日新聞』(夕刊・本社版)に寄稿された次のような文章からの引用でした。
『「自分だけは絶対にうつるもんか」と考えると周りは化け物だらけになるが、「自分は絶対に他人にうつさないぞ」と考えるだけで、周りの化け物は人の顔を取り戻すものである。』
近くで咳をする人がいると、思わずそちらを見て、マスクをしていないと睨み付けている私がいます。「自分だけは絶対うつるもんか」と思えば思うほど、周りは化け物だらけになります。
しかし、「自分は絶対に他人にうつさないぞ」と考えると、周りの化け物は人の顔を取り戻すというのです。
私は、私の中に、とんでもない化け物を見た気がしました。

これも新型コロナウイルスの影響で、NHK朝のドラマ(エール)も一時中断し、再度、一回目から放映されています。
今までの放送の中で、特に印象に残っているのは、次のような場面でした。主人公の古山裕一は、自分の夢である音楽の道に進む為に、母と弟が大反対する中、家を飛び出します(二人が大反対するのには、複雑な理由もあるのですが、今は省略します)。駅で待っていた唯一の理解者である父(三郎)に、裕一は、
「俺、家族を捨てて出て来た」
と言いました。すると父は、
「おめえが捨てたって、俺はおめえを捨てねえ。安心しろ」
と答えたのです。
この父の言葉を聞いた時、私は阿弥陀さまのお心に出遇ったような気がしました。
親鸞聖人は、摂取という語句に、「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり(摂は、人が逃げていくのを追いかけて救い取ってくださるということである)」(『註釈版聖典』571〜2頁・脚註参照)と解説してくださっています。私が阿弥陀さまにそっぽを向いて、勝手な方向に向かっていても、阿弥陀さまは追いかけて来て、私を正しい方向に導いてくださるのです。つまり、私が、阿弥陀さまを捨てても、阿弥陀さまは、決して私をお捨てにならないのです。

私が小学生の頃、居間にある棚に仏教童話の本が何冊も並んでいました。両親から読むように強制された訳ではありませんが、全て読んだような記憶があります。それらの本の背表紙には、本の題名と共に、「花岡大学」と書いてあり、京都にある大学かなと思っていました。それが、偉大な仏教童話作家・花岡大学という人の名前だと知ったのは、ずっと後のことでした。
(小池秀章)

寺院版

声に聞く

常識に捉われない   浄土真宗本願寺派極楽寺住職・消しゴムはんこ作家/麻田弘潤

今月号の『声に聞く』は、僧侶であり、消しゴムはんこ作家としてもご活躍の麻田弘潤さんにご寄稿いただきました。
麻田さんは、ご自身の子どもさんとの体験から自分を省みて「いかに常識が自分の捉われと直結しているのか」に気づかれます。
麻田さんの「親だから」「大人だから」という立場やプライド、常識に凝り固まることなく、物事を深く見ていこうとされる姿勢に、「長く生きたことで身につけた、常識や道徳や思い込みによって凝り固まってしまった心」が私の「真実を見る眼」を曇らせているのだと、気づかせていただきました。
原稿に添えてイラストも麻田さんに描いていただきました。消しゴムはんこならではの、やさしく温かな味わいに、心がなごみます。

育心

こころの時間   龍谷大学非常勤講師・善教寺副住職/赤井智顕

赤井智顕さんの「こころの時間」を拝読して、私も毎日エレベーターの「閉ボタン」を押し続けて、自らをせかす「忙」のなかにいるのだと思いました。そしてそんな自分を振り返る機会をいただきました。
私はステイホームの期間、運動不足解消もかねて、家のまわりの散策をしたのですが、夕陽の美しさ、鳥のさえずり、山の緑の輝きなど、どれもすぐ身近にあったのに、今まで気づかないでいたのだと思いながら、「こころの時間」を楽しみました。
赤井さんは「いま目の前にいる方との時間を豊かに共有する、そんなこころとこころを通わす時間を大切にしたい」と仰います。
ともするといつのまにか、また時間に追われる忙しい生活に戻ってしまいそうですが、「こころの時間」を持つことの大切さを忘れないでおこうと思います。

いのちみつめて

第63回 今、感謝のお念仏 〜武藤自然さん〜   文・森 千鶴/版画・西川史朗

「編集室だより」を書いている今このときにも、豪雨災害のニュースが流れてきます。今月号「いのちみつめて」にご寄稿いただいた武藤自然さん(熊本県八代市在住)が、7月5日にSNSに投稿された記事です。
「水害の心配でご連絡くださった方々、ありがとうございます。ウチは大丈夫でしたが同じ組内のお寺でも浸水被害している所もあります。水害で道路が壊れて支援に行けない場所もあったり、コロナ対策で集まるのにも注意が必要だったりと、かなり大変なことになっています。一晩でこんな事になるとは『何がおこるかわからない』ということを実感します。今後の雨の状況によっては、さらにどうなるかわかりませんが、物資の補給や片付けでマンパワーは絶対に必要になるのでタイミングを見極めてお手伝いにいかなければ!」
これ以上被害が大きくならないことを、また早く支援の手が届けられることを念じております。

私の雑記帖

お寺を継続していくために   誓願寺住職/湯次達之

『私の雑記帖』は、誓願寺(滋賀県長浜市)の住職、湯次達之さんのご寄稿です。
湯次さんは30年間勤められた会社での経験をもとに「寺にとって仏法の灯をいかにして維持継続していくかが最大の課題」であり、それは会社のゴーイングコンサーンと共通すると述べられます。
またこれからのお寺のあり方について「近江商人の言葉を言い換えれば、門信徒よし、寺よし、世間よし、の実現を目指すこと」と貴重な提言をいただきました。

(森 千鶴)

令和2年7月8日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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