与那国馬  (新城明久著 与那国馬 より)


馬の使役と飼養形態

 水田および畑の耕起には主として牛が使役されてきたが、昭和21年水牛が石垣島と台湾から導入されるようになってからは、畜力は水牛へ移行し、牛は使役されなくなった。
馬は、島の起伏が激しいことから、専ら駄載用として厩肥、飼料、サトウキビなどの運搬に使役されている。
 しかし近年、農業の機械化の波は与那国島まで押し寄せてきており、馬の使役は衰退しつつあるが、在来家畜の遺伝子資源の保存というだけでなく、将来のエネルギー危機に備えて、離島においては畜力は軽視すべきでない。

写真提供は葉山正宏さん
 東崎燈台(東牧場) 2002/1撮影
写真提供葉山正宏さん  飼養形態は、牛との混牧が主で、年2〜3回牧狩が行なわれ、捕獲された馬は島内で使役されるか、島外へ売却されるかである。
 このような混牧形態は、昭和初期頃までは沖縄県下いたるところでみられた典型的な放牧形態である。この形態が与那国島では現在も受け継がれている。
 つぎに多いのが屋敷周辺や原野などにおける繋牧である。 舎飼はごく一部にみられる程度である。

 以上 1984年日本馬事協会出版 「日本の在来馬−その保存と活用−9.与那国馬(2)与那国馬の使役と飼養形態 新城明久著」より

与那国空港横の北牧場 1999/4撮影 

北牧場 2002/1撮影:写真提供は相模原市の葉山正宏さん
北牧場 2002/1撮影:写真提供は相模原市の葉山正宏さん


宮古馬 対州馬 のページにもどる