オモゲー(面繋)
オモゲー(面繋)  オモゲー(面繋)は、二本の棒状あるいは板状の木片と縄で構成されています。
北海道では「ひょうし(拍子)」、南九州では「イタオモテ」と呼ばれ、南西諸島では、オモテ、ウムエー、ウムゲー、ウンゲなどいろいろな名称でよばれています。

 下の手綱(たづな)を引くと、木片が絞られるため、馬の鼻面を圧迫して制御します。オモゲーは馭者(ぎょしゃ)が馬の前にいるとき有効な馬具で、駄馬には最適です。

 オモゲーは今ではほとんど見ることのなくなった馬具ですが、北海道南部から陸奥国・大和国・讃岐国、鹿児島県から南西諸島で使われてきました。

 右の写真は、1998/1 撮影した宮古馬の「タケ原」です。(写真は倉科輝樹さんより提供いただきました)

宮古馬 1998/1 photo 倉科輝樹


琉球新報 1997/3/25掲載 雲南い族の仮面から(副題 宝貝の道を追って)
沖縄・奄美と深い関係  馬の制御具や背負い籠など
原野農芸博物館学芸員 小島摩文

 中国西南部の雲南省や貴州省は「照葉樹林文化」の中心地である。 この地域には、アンガマによく似た仮面(注:おじいさんとおばあさんのユーモラスなお面)ばかりでなく、ほかにも沖縄・奄美と関係深い文化がある。 とくに、日本の中でも沖縄・奄美に特徴的な文化に、その例が多い。オモゲーもその一つである。

 オモゲーとは馬の制御具で、南西諸島では今でも用いられている、もっとも一般的な馬具である。 日本列島のなかでは、ほかに北海道南部でもつかわれてきた。二本の棒で馬の鼻をはさむようにして用い、手網を引くと棒がしまる仕掛けだ。おもに荷物を運ぶ馬に用いる。

 中国の西南部では、四川馬とよばれる小形馬が一般的である。 この馬は、沖縄の在来馬といわれている与那国馬や宮古馬、奄美群島の喜界馬、トカラ列島のトカラ馬などと同系統の小形馬で、いま、ここにあげた四川馬、与那国馬、宮古馬、喜界馬、トカラ馬すべてが、オモゲーをつけている。 オモゲーと同様の馬の制御具は、中国では雲南省・四川省の各地、その他ではタイ北部やラオスにもあり、東アジア・東南アジアに広く分布している。

 背負い籠(かご)のティールのつかいかたもよく似ている。・・・・
豆や麦脱穀に用いる唐棒もよく似ている。・・・・
奄美で祭りにつかう「チヂン」とよばれる太鼓の構造が、やはり壮族や・・・・

 雲南省には紀元前三世紀ごろ、シン(さんずい偏に眞)という国があり、キイロダカラやハナビラダカラなどの宝貝が貨幣として使われていたという。 漢字の「貝」という字は、宝貝をかたどったもので財産の「財」や「宝」の旧漢字「寶」にも「貝」が入っているように、宝貝が財宝となっていた。少数民族では、いまでも装飾品として盛んにつかっている。山地にあったシン国は、インドや琉球から宝貝を輸入していたと考えられている。 柳田国男の最後の著書「海上の道」は、この宝貝を追い求めたものである。沖縄・奄美と中国の西南部とのかかわりは、深くて長いようである。
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現在一般的に、最も使用されている馬の制御具は、金属製の銜(くつわ)です。

銜(くつわ)は、馬の口のなかの前歯(門歯)と奥歯(臼歯)との間にあるハミウケとよばれる歯の無い部分にかませます。

騎乗している馭者(ぎょしゃ)が手綱を引くと、馬の口角にあたって刺激をあたえます。馭者が馬の後方にいる場合に有効です。

オモゲーが広く使われて残ってきた南西諸島でも、引き馬や駄馬の時はオモゲーが、騎乗の際には銜(くつわ)も用いられています。


このページは小島摩文氏の下記文献にもとずき作成しました。(1999/05/23 up)

「東アジアひょうし図譜」小島摩文 民具マンスリー第29巻1号 1996/4 神奈川大学日本常民文化研究所発行より
琉球新報 1997/3/25掲載 雲南い族の仮面から(副題 宝貝の道を追って) 小島摩文


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