滑石峠(なめしとうげ)  長崎市北陽町(ほくようまち)  
滑石トンネル 1998/3/7 撮影
滑石トンネル(西側)


県道28号の長崎畝刈(あぜかり)線の、北陽町にある峠。昭和44年に完成した、「滑石トンネル」が通り、長崎新漁港へ通じています。

滑石トンネルの上にある旧道の「滑石峠」は、今は歩きでしか通ることが出来なく廃道になっています。



滑石(なめし)の名前の由来

@滑石というのは、滑石(かっせき)を意味するのではなかろうか。
 滑石(かっせき)というのは、温石(おんじゃく)とも呼ばれ、古くから医療用として、また石鍋の材料として使われてきました。 現在、石鍋は愛知県から沖縄県にかけての西日本の各地に広く出土しているが、その最大の製造地が西彼杵半島と長崎半島で、現在その工房跡は50箇所以上が確認されている。 その内の大瀬戸町のポゲット石鍋制作遺跡は、国の史跡に指定されている。
 現在のところ、滑石において石鍋の遺跡を確認できないが、その遺跡は西彼杵半島に広く分布しているので、その可能性はあるように思われる。(原田博二氏)

A滑ら石(なめらいし)から、地名が生まれた。
 滑石は、滑石川(浦上川上流)の河床に、なめらかな石があるために滑石の地名が生まれてきたものであると一般的に言われている。

B「なめし」は「なめす」の同義語であり、「滑川」「なめりがわ」と同じように「平らかな所」「平地」「平野」の意味です。
 滑石は大部分は山野にかこまれ、わずかであるが盆地の中央部に肥沃な平地があったので「平たい所」の意味がうなずける。

C井手の堰(せき)の滑石
 農業において、中央部を流れる滑石川を利用しましたので、大村藩の「郷村記滑石村」には、「井手」が30ヶ所位が記述されています。
 「井手」とは川をせき止めて、田に水を引く装置、しかけである。「井手」は取水口が最も大事で川をせき止める形式によって「滑石」「板堰」「芝堰」の三種類が主にあげられる。
 滑石は一番大きな形式で水がたまれば、石の上を流れる様になっている。川のみでなく堤の場合も考えられる事だが、郷村記にはすべて芝堰とある。

<長崎滑石郷土史誌 團龍美編 博文社印刷 昭和63年6月発行>






D滑石は、地すべりの地名では、ないのでしょうか。(ただし勝手な私見です)

 平成9年7月に北陽町(昭和51年までは滑石町)で地滑りがあり、私たちの記憶にまだ新しい。昔からの言い伝えで、「なめら石(夫婦岩)が流れる時は、滑石村も流れる」と、言われてきました。 地滑りなどの災害が多かったので、滑石川の水量や水の濁りなど、よく観察して災害に備えなさいという、言い伝えではないのでしょうか。 



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