相浦川のかっぱ   (佐世保市)
 むかしむかし、相浦川(あいのうらがわ)に大変悪いカッパがいて、村人から「相浦川の悪ガッパ」といわれてひどく恐れられていました。

 ある日のこと、相浦川を渡るために置かれていた飛び石を急ぎ気味に渡っていた人がふと立ち止まりました。この人は原分(はるぶん)村に住む吉田文左衛門という武士で剣術にすぐれていました。この日は、川向こうの吉岡の山に狩りに行って帰りが遅くなり、日も暮れかけて来たので帰りを急いでいたのです。

相浦川の飛び石 1998/5/17 撮影
相浦川の飛び石

 文左衛門が川の中ほどで足を止めたのは、川の流れの底に小石にまじってキラッと光るものがあったからです。よく見ると金の盃(さかずき)でした。「これはいいものがあった、よいみやげになるぞ」と喜んで拾おうとしました。その時、ふっと「待てよ」とひらめくものがあり伸ばしかけた手を止めました。

 「こんな川の中に金の盃が落ちているなんておかしい。これこそうわさの悪ガッパが化けたものにちがいない」と考えた文左衛門はさっと腰の刀を抜き金の盃めがけて切りつけました。「ギヤツ」と気味悪い声がしたかと思うと大きなカッパが姿を見せました。片腕が切り落とされ血を流しながら川の中に逃げ込みました。

 文左衛門は切り落とした片腕を持ち帰りました。その夜、強い風の音にまじって何やら変な声が聞こえました。「腕返せー」、「腕返せー」と聞こえます。それが毎日毎晩続くので文左衛門も可哀そうになり、腕を返してやろうとカッパを家の中に入れてやりました。

河童の絵・長崎観光ホテル秀明館提供

 カッパは「どうか腕を返して下さい」と泣いて頼みます。
そこで文左衛門は「これからは人々に決して悪事をしないと約束するか」と言うと「絶対に悪いことはしません」とカッパは約束しました。「イヤ、口約束ではダメだ。証文を書け」と言って川そばの大岩に証文を彫り込ませました。

 その後、カッパはこの証文があっては悪い事ができないので消してしまおうと岩を削りました。ところがカッパは横に削ることを知らないで縦にばかり削るものだから、岩の文字はますます深く彫りこまれていきました。さしもの悪ガッパもとうとうあきらめて悪い事をしなくなりました。

 それからというもの、この相浦川では、子供がおぼれて死んだり、村人がだまされてひどい目にあうというようなこともなくなり、人々はこれも文左衛門のおかげであると大変感謝し、その恩を子々孫々にまで語り伝えたということです。

<ふるさと昔ばなし 佐世保市教育委員会・佐世保市立図書館 昭和63年3月発行より>


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