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籠町(かごまち)の十八銀行広馬場支店前の通りで、館内町(かんないまち)から西小島の仁田小学校に通じる坂。
鎖国から幕末まで長崎港の貿易の主流は中国であった。慶長5年1600年唐船が長崎に初入港。寛永12年1635年には唐船の入港は長崎に限定される。最盛期には1万人の中国人がいたという(長崎の人口は6万で九州一番)。
元禄2年1689年密貿易、キリスト教を取り締まる為に、唐人屋敷(9400坪)を建設し隔離収容した。十八銀行広馬場支店横の十善会病院(西棟の方)前に、小さな「居留地(きょりゅうち)境石」があります。写真左に軽トラックが写っていますので、大きさが分かると思います。
「居留地境石」については、坂に関する雑学をご覧下さい。
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