大音寺坂(天満坂・けんか坂)  万才町
長崎地方検察庁と長崎地方法務局の間の石段。
法務局のところに、ミゼリコルディア教会が有ったが、キリシタン弾圧で跡地が大音寺になった。大音寺は、寛永15年1638年現在の鍛冶屋町に移転し、坂の上天満宮が建った。 この天満宮も昭和20年の原爆で焼失して法務局となり、坂の下に「坂の上天満宮」が再建された。

また、長崎版忠臣蔵「深堀喧嘩騒動」の発端となった坂でもある。
元禄13年1700年深堀藩士のはねた泥が、町年寄高木彦左衛門の仲間にかかった、と言うことで喧嘩になり、仲間たちは深堀屋敷に押しかけ、暴れて引き揚げた。 翌日深堀藩士たちは高木邸に討ち入り、彦右衛門を討ち取った。
赤穂浪士討ち入りの一年前の事件で、赤穂浪士はこの深堀藩士の行動をお手本にしたと伝えられている。



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