上役
作:MUTUMI DATA:2008.1.28


 早朝に広いドックを歩くのが好きだった。自分や先輩達の整備した宇宙船を見るのが楽しい。キラキラと輝くそれが、我が子のように愛おしい。
 早いもので、ここに整備士として配属されて二ヶ月がたった。毎日右往左往しているうちに、過ぎてしまった気がする。怒涛のようなこの二ヶ月をしみじみと噛み締めていると、背後から朗らかな声がかかった。
「よう、おはようさん」
「あ。おはようございます、先輩」
 配属先の先輩整備士だった。この人が、こんな朝早くからドックにいるのは珍しい。この先輩は寝汚いので有名で、遅刻寸前でないと職場に現れないのだ。
「先輩、今日はやけに出勤が早くないですか?」
「んー、まあちょっとな」
 先輩は曖昧に笑う。
「俺のことよりも、お前の方こそ早いじゃないか」
「自分はいつもこの時間です。朝の静かなドックを見るのが好きなんですよ」
「へえ、変わってるな」
「よく言われます」
 苦笑を浮かべると、先輩も釣られて笑んでくれた。
「じゃあ、早起きのお前にひとつご褒美をやろう。挽きたてのコーヒー、飲むか?」
「頂きます!」
 それを聞き、是非とも!と、勢い込んで頷く。この先輩の淹れるコーヒーは物凄く旨いのだ。
「そか、そか」
 先輩は率先して事務所の方へ歩いていく。慌てて自分も追った。横に並んで歩きながら、先輩と自分は世間話を始めた。ドックから事務所までは結構な距離があるのだ。
「ここには慣れたか?」
「はい。……ええと、そこそこ」
 慣れたといえば慣れたし。慣れていないといえば、慣れていない。微妙だ。
「そこそこかよ?」
「や、何というか。仕事には慣れたんですけど、ええっとあの、その……」
「ん?」
「上の方々に慣れなくて……」
「?」
 上役に慣れないという自分の言葉に首を傾げ、「ああ」と呟くと、先輩は意味深に笑った。
「隊長が怖いのか」
「そ、そんなことないです!」
「違うのか?」
「はい」
 隊長が怖いだなんて、とんでもない! あの人を怖いと思うなんて、あり得ない。隊長はものすっごく可愛い人だ。なぜ桜花部隊の隊長をしているのか謎なくらいに。
 華奢だし、綺麗だし、美人だし。行動もどこか可愛い。猫の仔みたいだと思う。
「隊長のことは、可愛い人だなって思ってます。笑うと本気で可愛いですよね」
 あの可愛さは反則だろう。
「は? 可愛い??」
 自分の言葉に、先輩はぎょっとして目を剥いた。
「お前、目は大丈夫か? いやこの場合頭か? 気は確かか?」
「確かです」
 先輩にがしっと肩を掴まれ、前後にシェイクされる。
 うおう、凄い揺れだ。
「いや、確かじゃない。しっかりしろーーっ!」
「してますよおおお」
 激しいシェイクに舌を噛みそうだ。語尾がビブラートになってしまった。
「いや、してない! うちの隊長は、ぜんっぜん可愛くないんだ! あれは猛獣!」
 先輩は猛獣の部分を大声で強調する。
「隊長は草食動物に擬態した肉食動物。しかも肉食は肉食でも、哺乳類じゃなく怪獣系!!」
「何ですかそれ?」
 怪獣って、言い過ぎです。
「そうなんだって。うちの隊長は、真面目に怪獣もどきなんだよ」
 先輩は真剣に力説する。
「本気で化け物じみてるんだよ。その上容赦なく怖い人」
「そうは見えませんが……」
「上手いんだ。……騙すのが」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんだ」
 先輩は遠い目をする。
「隊長に比べたら、一見怖く見えるけど副官はいい人だぞ」
「とてもそうは見えませが……」
 副官は見るからに厳しそうな人だ。いつも無言で周囲を威圧している。
「副官は厳しい人だけど、隊長よりまともなんだ。無茶は言わんし、命令もわかりやすいし、節度だってあるし、冷静だし」
 ふむふむ。確かに副官からは、大人の男の余裕さ、何があっても動じないぜという、胆の太さは感じる。きっと物凄くやばい事態になっても涼しい顔をしているのだろう。
 軍隊という組織においては、いい上役なのだろう。冷静さを失った指揮官ほど害悪になるものはない。
「副官はなあ、そうは見えないだろうけど苦労人なんだぞ」
「そうなんですか?」
 予想外の人物評です、先輩。
「副官は陸軍からの引き抜き組なんだが、うちの部隊に来てからというもの、隊長に振り回されっぱなしでなあ。古参の俺等からすると、不憫でならんのよ。最近は胃薬が常備薬らしいし」
 あわわ。胃にきてるんですか?
「副官は常識人だから、苦労もひとしおだろうて」
 先輩はそう言って、吐息をつく。
「だがあまあ、副官という生け贄があるおかげで、俺等は平和に仕事ができる訳だが」
 えっ。……生け贄?
「せ、先輩」
「んー?」
 先輩は欠伸を殺しながら、事務所へと続く階段を昇った。
 ど、どこ迄本気なんだろうか? 生け贄って何ですか。
「どちらにしても、うちの上役って……」
 性質と外見が真逆? ……謎過ぎるぞ、おい。


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