ラセードワールド(前編)
作:MUTUMI DATA:2004.4.12

リクエストは「盗賊」と「約束」でした。


「シスン君! 右!」
「え?」
 ぼけっとしていた俺は、右手から飛び出して来たキングオークに、ぎょっとして動きを止めた。
「うわっ!」
 キングオークの太い腕が棍棒を振り上げる。
「やあーーっ」
 長いプラチナの髪が俺の前を流れる。細いレイピアが矢の様にキングオークの目に突き刺さった。俺は思い出したかの様に、腰の帯剣から剣を引き抜く。
「はっ!」
 短く息を吐き出し、俺はキングオークへ斬り掛かった。俺の剣はキングオークの腕を切り落とし、正確に心臓を切り裂く。ザクッと歪んだ音がした。そして次の瞬間、キングオークはボワンと霧の様に消滅した。
「ふう……」
 軽く息を吐き出す俺の横で、レイピアを鞘に戻したイセリアさんが、目を釣り上げて俺を見た。
「シスン君! 油断し過ぎよ」
「わっ。御免なさい!」
 俺は焦って謝る。全くもってイセリアさんの言う通りだった。ここで怪我をする事は直ぐ様、生命に関わって来るのだ。今となっては、ここで負った怪我が現実の世界の俺を殺す。
 ……ほんの少し前迄は、こんな事なかった。この世界はあく迄も仮想の世界で、俺はここ【ラセードワールド】に、現実を忘れ冒険をしに来ていただけだったのだ。
 【ラセードワールド】は、シスコム社の開発した体感型の仮想社会だ。今となっては皮肉としか言い様がないが、次世代のアミューズメントパークとして人気が高かった。どこでも誰でも、専用のモジュールを頭に被り、回線を繋ぐことによって、この異世界を冒険する事が出来た。勿論視覚、触覚、聴覚といった五感も、現実と変わらず体験する事が出来る。
 今もこれがゲームである事を示す様に、俺の見る光景の右端にはHPのバナーがある。今はフルグリーンになっているが、怪我を負うとその負荷に比例して、バナーのグリーンは消滅していく。五分の一をきったら、HPバナーは赤に変わる。死が近くなっている印だ。HPバナーがゼロを刻めば、待っているのは死。それも仮想空間の死ではなく、現実の死だ。
 一体どういう造りになっているのか知らないが、ここで死ねば俺の現実の肉体も死ぬのだ。これは俺の想像だが、【ラゼードワールド】にダイブする為に使った専用のモジュールに、何か細工がされていたのではないだろうか? だってあれは頭に被る物だったし、ここ迄リアルに感覚をリモートする為には、絶対脳神経に外部からの働きかけがなけれは可笑しい。脳神経に刺激を与える揺さぶりぐらいは、やっていそうだ。
 本来なら危なくなれば安全装置が働く筈だが、……今の【ラセードワールド】にはそれがない。俺こと、プレイヤー名シスンが【ラセードワールド】第100層に入ってしまったから。そこに俺が……、いいや誰でも良かったんだ。プレイヤーなら誰でも。今となってはそう思うが、……ともかく、ユーザーが最初に足を踏み入れた途端、作動する様になっていたんだ。この悪魔の罠、死のゲームが。
 これは間違いなく一種のテロだ。俺はそう思う。ここ【ラセードワールド】は時間の流れが現実よりも早い。現実の1時間がここでは、20日に相当する。単純に考えても、シスコム社がこの異常に気付き、俺達を救助に来るには、どんなに早くても現実の時間で3時間はかかるだろう。3時間、それは【ラセードワールド】では2ヶ月にも相当する。
 2ヶ月!!
 最初にそれを知った時、俺は泣きそうだった。こんな所で2ヶ月も、生きていかなくてはいけないなんて! どうしてなんだと、俺は本気で呪った。自分が第100層に行かなければ、99層をクリアしなければ、こうはならなかった筈なんだ。
 どうしようもない程荒れていた俺を慰めてくれたのが、今一緒に旅をしているイセリアさんだ。このテロを起こした犯人が残したメッセージ、《【ラセードワールド】を完全クリアすれば、自由の扉は開かれる》このメッセージを実行しようと、俺を誘ってくれた。正直な所俺は恐かった。傷を負えば、死を引き起こすようになったこの世界で、知らない場所に行くのが恐かった。
 だけど……。
 俺は今120層にいる。それが俺の出した答えだ。


「今日はこのぐらいにして、ホームに戻りましょう」
「あ、はい」
 俺はイセリアさんの柔らかな笑みを見つめながら頷いた。アクアマリンの瞳がキラキラと輝いて見える。
 【ラセードワールド】では、プレイヤーは自由な姿形をとれる。俺はヒューマンの剣士だし、イセリアさんはエルフのレイピア使いだ。好みの色や性別に、キャラクター、この世界ではギミックって呼ぶんだが、を設定出来る。これは自由探索型ゲームの特典だろう。
「随分暗くなって来たわね」
 空が藍色に覆われて来たのを感じ取り、イセリアさんが呟く。
 また、1日が終わるのか……。
 俺は憂鬱な気持ちで空を見上げた。
 今日もまたクリア出来なかった。120層まで来たのに、全然終わりが見えない。俺達は何時迄ここに居ればいいんだろう?
 ひとり鬱々と考え込んだ俺の顳かみを、グリグリ拳で撫で、
「シスン君。落ち込んじゃ、駄・目!」
 イセリアさんがそう言った。自分だって辛いだろうに、俺に優しい笑みを向けてイセリアさんは続ける。
「大丈夫よ。きっと帰れるわ」
「……はい」
 俺は俯いたまま呟く。
 泣いていたって何も変わらない。それは最初の数日で知った。恐いけれど、俺はこのゲームをクリアしたい。生きて帰る為にクリアしたいんだ。
「イセリアさん、俺頑張るよ」
「ええ」
 アクアマリンの瞳が、優しく俺を見た。俺はポンと愛剣『焔帝』を叩くと、草原を駆け出す。イセリアさんも俺に並んで草原を駆けた。俺達は風となって、草原エリアを飛び出す。
 低木の木々が目につき始め、遠くの山の中程に巨大な街が見えた。第120層最大のタウン、ゼクリィだ。120層に来てからは、ここがすっかり俺達のホームタウンになっていた。巨大な街には、俺達の他にも大勢のプレイヤーが居る。俺と同じ様にクリアを目指す探索組だ。
 最近では肉親以上の親近感を探索組に抱いている。これは他のプレイヤーにも言えることだが、この空間で生死を共にしている以上、親近感を抱かない方がおかしいのだ。人間は二人集まれば社会を形成する。この壊れた環境でも、その格言はまだ生きていた。
「もう一足ね」
「はい」
 俺は頷き返し、風になびく長いプラチナの髪を見るともなしに見た。さらさらと流れる髪は、まるで銀の光を編み込んだかの様に見えた。とても、とても綺麗で、その横顔は美しかった。
 勿論、俺の今見ているものは、イセリアさんの選択したキャラクターのギミックの外観でしかない。現実世界のイセリアさんとは全然姿が違うだろう。でも何故か、俺はイセリアさんから目が離せなかった。それぐらい綺麗だったのだ。俺がぼーっとイセリアさんに見とれている間にも、俺の足は無意識に動き、ゼクリィの街が急速に近くなって来る。もう目と鼻の先に街へと至る門があった。
 後一息、そう安堵した俺にイセリアさんが、急に慌てたような声をかけてくる。
「シスン君大変よ!」
 イセリアさんの注意は街ではなく、その手前の深い森へと向けられていた。物理探索スキルの高いイセリアさんは、何かを森の中に見つけたようだ。俺にはわからないけれど、何かがあるのだろう。
「イセリアさん?」
 足を止め俺はイセリアさんを窺う。青い顔をして、イセリアさんは一気にまくしたてた。
「子供が襲われてるわ!」
「子供?」
 いまいちピンとこなかった。だけど、急いで助けなくてはいけない事はわかった。
「イセリアさん、行こう!」
「……でも」
 珍しく躊躇い、イセリアさんは俺を見る。
「襲っているのも、襲われているのもプレイヤーギミックよ。モンスターじゃないわ」
「え?」
 イセリアさんは唇を噛む。
「シスン君も聞いた事があるでしょう? 面白半分にこの世界でギミックを傷つけてまわる人達の事……」
「まさか!?」
 俺の驚いた声に静かに応じ、イセリアさんは森をじっと見つめる。アクアマリンの瞳が何を見ているのか、俺には想像もつかなかった。でもイセリアさんの顔はとても辛そうだった。
「……襲っている人が多過ぎる。今更私達が駆け付けても、もう間に合わない……」
「!」
 静かに首を振り森に背を向けると、イセリアさんは短く告げた。
「忘れましょう」
 俺は無言でイセリアさんを見る。悄然と俯くイセリアさんは、酷いショックを受けているみたいだ。俺は森を一瞥し、覚悟を決めるとイセリアさんの手を引いた。
「シスン君!?」
「諦めるのは結果を見届けてからでしょ! まだ間に合うかも!」
「シスン君」
「行こう!」
 俺はイセリアさんの手を引き、叫んだ。ここで見捨てる事は簡単だ。でも、……それは罪じゃないのか? この世界で死んだ人間は、現実でも死ぬんだ。それを知っていて、この世界に閉じ込められた仲間を襲うなんて、黙って許せることなのか!?
 イセリアさんは無言で俺の手をぎゅっと握り返して来た。俺達はどちらからともなく、移動速度を全速モードに切り替えた。美しい景色が絵の具を引いた様に、背後に流れてゆく。


 そこは本来美しい森だった。頭上を見上げれば、咲き乱れた真っ白の花が目に焼きつく。枝一杯に伸ばされた花は、幻想的な光景をそこにもたらしていた。サワサワと流れる風に揺れ、ひとひらの花びらが舞い落ちる、風雅な光景。そして、そこに佇む少女もまた幽玄な気配を身に纏っていた。
 細く華奢な骨格に真っ白な手、小さな顔にはクリクリとした榛色の目がおさまっている。長い睫に彩られた瞳は、困惑気味に瞬きを繰り返していた。少女の細い肢体を覆う物は屈強な鎧ではなく、淡い水色をしたワンピース。どこにでもありそうな衣類だったが、ゲーム世界である【ラセードワールド】には似つかわしくなかった。そして肩からは、なぜか真っ白な円形のポーチをかけていた。
「ここは……?」
 ふと、少女の桜色をした唇が開いた。甘く涼やかな声が周囲に満ちる。吐息をつきたくなる程の、綺麗で優美な声だった。
「【ラセードワールド】?」
 確認をするように呟きながら、小首を傾げる。少女の背丈程もある水色の長い髪が、動きに合わせてサラリと揺れた。足首の辺りで綺麗に切り揃えられた髪は、驚く程細かった。少女が僅かでも動く毎に、フワフワと髪が揺れる。
「綺麗な所ね」
 頭上の花々を見上げ、少女は口元を綻ばせる。こんなに綺麗な所だとは聞いていなかった。
「素敵。気に入ったわ」
 少女は呟き、そっと両手を天に伸ばす。ひらひらと落ちる花びらを少女は掬った。
「うわぁ。本物みたい。綺麗」
 嬉しくなって少女は笑う。こんなに綺麗な森は現実ではなかなか見られない。ゲーム世界だからこそ可能な花々の咲き乱れる森だった。跳ぶ様に、少女は花びらの絨毯を踏み締める。
「ふふ。お姫様みたい」
 ワンピースの裾を摘みクルリと舞う。何だか自分らしくないと思ったが、圧倒的に綺麗な森に浮かれていた。舞い上がったと言っても良い。だから少女はそれに気付くのが遅れた。
「……誰!?」
 顔を上げ、少女は辺りを睨む。いつの間にか何かに取り囲まれていた。モンスターかとも思ったが、それにしては静かだ。圧倒的な悪意を少女は肌で感じ取る。
 ぐるりと森の木々を見渡し、少女は躊躇う事なく駆け出した。花びらの絨毯を踏み締め、少女は走る。フワリと長い髪が動きに合わせて空に翻った。ワンピースの裾の乱れも気にせず、少女は全速で駆けた。けれど……。
「あっ!」
 真横から突き出された長剣の鞘に足を取られ、少女はバランスを崩す。
「きゃっ!」
 悲鳴をあげた少女の体は、あっという間に誰かの手に抱きとめられた。
「嫌、何!?」
 驚いて声をあげると、眼帯をした男と目が合った。太い腕でしっかりと少女を抱えつつ、男は少女の肩から真っ白なポーチを引きちぎる。
「あ! それは駄目!」
 叫んで取り返そうとしたが、あっさりと少女の行動は封じられた。眼帯をした男は少女のポーチを後ろの木々の影へ放る。
「ナイス」
 短い声がして、別の男がそれを受け取った。暗い目付きをした男だった。
「お嬢ちゃん、独り歩きは危険だよ」
 クスクス笑いながら、別の木々の影から複数の男女が現れる。皆鎧や剣を身につけ、どこかすれた空気を纏っていた。敏感にその気配を感じ取り、少女は唇を噛む。少女のポーチを弄(まさぐ)っていた男は、しばらくしてから苛立った様に叫んだ。
「くそ。何も入ってないじゃないか!」
「空か?」
 少女を捕まえた眼帯の男が聞き返す。頷きながら、暗い目をした男はポーチを地面に投げ捨てた。
「けっ。1チップも持ってないのかよ」
 詰られた少女はむっとして男を見返す。
「悪かったわね。今来たばっかりなのよ!」
 少女は男を相手に思わず叫んでいた。どうやら相当気が強いらしい。エルフの女性がその少女の言葉尻を捕らえ、せせら笑った。
「おやおや。今来たばっかりねぇ。この【ラセードワールド】が閉じて、プレイヤーがここから出れなくなって、ここの時間でもう2ヶ月だよ。外部からここに一体誰が来れるっていうのさ? え?」
 意地悪く告げるエルフに、少女はツンと顔を横に向けた。
「おばさんには言わないもん」
 ベーッと舌を出すと、パンと頬を張られた。ジンとした痛みが少女を襲う。びっくりして少女は目を見開いた。
「……痛い?」
 思わず呟き、青くなる。【ラセードワールド】内の痛覚の存在に、少女はようやく気付いた。ここはゲームの世界だか、感覚が現実と同じ様にある世界なのだと。だからこそ、危険なのだ。
 少女を捕らえている眼帯の男が、エルフの女に問う。
「で、どうする? この餓鬼、金は持ってないんだろう?」
「……仕方ないね。売り飛ばすか」
 肩を竦めるような仕草で、他の男女もそれに同意した。
「せっかく捕まえたんだ。換金すべきだな」
「賛成」
「グーフィーの店に出せば、レア価格がつくんじゃないの?」
 その言葉にヒューマンの女が可笑しそうに笑った。何だかわからないが良くない状況に、少女は可愛い眉間に皺を寄せる。
「人の意思を無視して、何をする気?」
「君の換金さ」
 眼帯の男が少女の耳元で囁く。少女は思わず間抜けな声を出した。
「はぁ?」
「生きていく為には【ラセードワールド】とはいえ、金が必要だ。普通のプレイヤーならモンスターを倒してチップを稼ぐ。だがまあ、俺達はそれがうざくてね。で、こうやってプレイヤーから回収している訳だ」
「……上剥ぎ強盗?」
「せめて盗賊と呼んで欲しいな」
 少女の感想に、眼帯男は苦笑しながら答えた。
「盗賊? とう、ぞく〜〜!? ええ!? 何、ここってそういうの有りな世界なの!?」
 眼帯男からそれを告げられた少女は、愕然として周囲の男女を見渡した。雑多な種族の集まりである彼らは、ニヤニヤと笑う。その笑い自体が、何もかもを肯定していた。
「さ、最悪な環境ね」
「シスコム社の目が届かなくなったからな。殺しだって今じゃあOKだ」
「……」
 少女はその言葉に俯く。
「どうせここから出れないんだ。好きな様にやってもいいじゃないか。ここでおかした犯罪だって、現実世界じゃ裁けないんだぜ」
「そんな法律ないからな」
 せせら笑って獣人の男は告げた。少女は榛色の瞳を周囲のギミックに注ぐ。様々なタイプのギミックが居たが、それら全員に共通する物がたった一つあった。残酷な眼差しだ。ここで得た苦痛が現実世界のプレイヤーの肉体に返ると知っていて、尚、それをあざとく利用しようとする者達。
「……下衆ね」
 少女は嫌悪感も露に呟く。
「それも最低ランクの下衆。現実世界じゃあ裁けないから、何をしてもいいって? 馬鹿なお子様が考えそうな事だわ」
 少女はどこか挑発的にそれを告げる。ムッとした盗賊達を視界におさめつつ、少女は自分に問いかけた。
「ねえ、どうする? 私と替わる? 兄様達、どっちが出る? え? 必要ない? でも……」
 漫才の様に自分に問いかけ自分で結論を出す少女を、周囲の盗賊達は気味悪そうに見つめた。頭のネジが1本ぶっとんでいるのかとも思ったが、それにしてはしっかりとした目をしている。意思の強そうな目だ。
「え? 救援が……? 来るの?」
 小首を傾げ少女が呟く。その瞬間、盗賊達目掛けて光の魔法が炸裂した。大輪の花が開く様に、光の魔法が次々と炸裂する。