閉鎖都市-伽藍
作:MUTUMI イラスト:Shape

2000キリのT・Aさんさんからのリクエストです。
キリリク題材は『三日月』でした。


その星は赤い大地だった。


闇が都市を包んでいる。天にあるのは、青にも似た細い三日月。
煌々と輝く三日月は砂漠の中の都市を、闇夜から鮮やかに描き出す。
閉鎖都市、伽藍(がらん)、それがこの都市の名だった。

伽藍には他の都市にはない際立った特徴がある。
それは天を覆う、薄い透明な膜が、都市全体を包み込んでいる事だ。透明な膜、外界と都市を分かつシールドは今から約百年ほど前に設置された。
以来この人口の異物は、広大な都市を外界から隔離し続ける。閉じられた都市、伽藍。
閉鎖空間にその都市は今も存在し続けた。
都市の中に住人の姿は見えない。否、人の暮らす匂いもそこにはなかった。けれどそこには確かに命が芽吹いていた。伽藍の地下深くに、都市の中枢は眠ってい た。

トクン、トクン・・・。
鼓動の音が静寂に産まれる。
こぽこぽと空気の漏れる音が、培養槽の中にもれた。小さな気泡は続々と生まれ、水面(みなも)へと昇っていく。
培養槽の中、オレンジに似た色の液体の中に、その男はいた。男と言い切るにはまだ若い、青年。
眠るようにその青年は、培養槽に浮いていた。青年の左手は肩から先がない。いいや、それどころか、腹部には悲鳴を上げたくなるような傷が残っていた。致命傷ともいうべき、外傷があった。
オレンジの液体がまるで羊水の様に、傷を負った青年を包み込む。
柔らかな意思に包まれ、青年は液体の中に浮いている。傷ついた体を癒すために・・・。

「麗華(れいか)さん、あの・・・、状況はどうなんですか?」
複雑な機器を無心に操作していた白衣姿の女性は、泣きそうな表情を浮かべて突っ立っている人物に顔を向ける。
彼女の左手は包帯で巻かれ、首から白い布で吊るしてある。よく見ると他の体の各部にも手当ての後が窺えた。
「雫(しずく)。今の所は順調ですよ」
麗華はそう言い、培養槽を見上げる。身動ぎ(みじろぎ)もせず青年は液体の中に浮いている。 こぽこぽと口から漏れる気泡だけが、青年の生命を象徴していた。心臓はいまだに弱々しい拍動しか打たない。今にも消えそうな、心拍音。
けれど、青年は確かに生きていた。ここで生きていた。
「空砕(くうさ)」
雫は呟き、そっと培養槽を右手で触れる。
ひんやりとした冷たいガラスの感触が、雫に現実を嫌でも認識させた。過酷というべき現実と、ほんの僅かな希望を。
「空砕‥‥」
呟く雫の声には懇願と哀れみ、そして希望が込められている。
「空砕。生きて、お願い。目を開けて。私を見て」
雫の目には薄っすらと涙が宿る。流れ落ちる透明な液体を雫はぬぐいもせず、ただじっと空砕を見つめ続けた。
こぽこぽと二酸化炭素の吐き出される音だけが、空間に響き渡る。

泣き続ける雫を前にしながら、麗華は淡々と作業を続けた。麗華に今出来ることは、それしかないからだ。
微かな光の中で麗華の必死の作業は、人知れず続いた。
静かに声を殺して泣く雫を前に、麗華は自責の念を抑えられない。自分の無謀だった計画の為に、彼らは犠牲になったのだ。
許してほしいとは言わない。私は、あれは正しい選択だったと思っている。でも、私がしたことは卑怯な事だった。麗華はそっと唇を噛む。
「βイプシロンをもう少し投与するわ。組織形成の速度が上がるはずよ」
「麗華さん」
「きっと救ってみせる。だから、泣かないで」
麗華はきっと、顔を上げ培養槽を睨み付ける。
負けないわよ。過去の技術なんかに。この再形成システムが、今はない技術なんだとしても、使い方はマニュアルにあるままのはず。
過去の技術者に出来て、私に不可能なんてことはない。同じ人間だもの。例え技術の蓄積がないとしても、私はあきらめない。彼女がこんなに泣いてるのよ。
ねえ、起きて。起きなさい!!
麗華は心の内で空砕に呼びかける。必死に、彼を呼んだ。








水の都『斎賀(さいが)』。
乾いた大地の中にあり、唯一つ豊かな水を湛える都市。近隣の都市群を支える水瓶としても有名な都だった。
都の豊かな水は、斎賀の地下数百メートルに横たわる凍土から賄われている。
乾いた大地ばかりのこの星では、この凍土のあるなしが生死を分かつ。凍土をもつ都市は発展した。もたない都市は乾きに飲まれ消滅していく。
乾ききったこの星にとって、凍土は最後のオアシスだった。水は百億の富よりも貴重で、百億の民よりも重要だった。人の命は砂のように溢れていく。
技術も文明も、乾いた大地に還っていく。何もかも消えていく。消滅しようとする文明の最後の残滓、それが斎賀のもう一つの顔だ。

**

赤く澱んだ月、かつては青白い色をしていた時期もあったという、天の月。
けれど空砕の記憶では、月はいつも真紅だった。
気が付けばいつも月を見上げている。届くはずのない月に手を伸ばしている。
まるでそこが目的地であるかのように・・・。
「空砕」
呼ぶ声がして空砕は振り返った。自分の同僚、都市管理官の一人、雫(しずく)が月明かりの中に 立っていた。雫の頭上には、赤い三日月が浮かんでいる。
血の色のように赤い月が、二人を微かに照らしていた。
「雫」
「何を見ているの? また月?」
空砕の隣に立ち、屋上の手すりにもたれかかりながら、そっと空砕を覗き込む。弱々しく吹いた風が、雫のポニーテールをなびかせ空砕の頬を掠(かす)めていく。
くすぐったい思いをしながら、空砕は短く答え返す。
「ああ。月はそこにあるのに、何故あそこまで行けないんだろうと思ってな。昔はあそこにも都市があった。あの赤い月の大地の上に、確かに存在していた」
「空砕」
「人はどうしてあそこにいられなくなったんだろう? どうして月の都市を放棄したんだろう?」
雫は不思議そうに空砕を見る。
「空砕って変わってるね。そんなこと誰も、もう気にしないわよ」
雫はそう言い、くすっと笑う。

「俺は知りたいよ。・・・月に行ってみたいな。あの月には今何があるんだろう? 滅んだ都市の残骸か? それとも・・・」
空砕は夜の空を見上げ呟く。
「空砕」
雫は微かな不安をにじませ、空砕を見つめる。
「空砕は私を置いて独りで行ってしまうの?」
心細そうな雫の様を見、空砕は苦笑する。
「愚問だ・・・。もう今は月には行けないよ、雫。人が宇宙に行けなくなって百年だ」
空砕は短く呟くとそっと瞳を閉じ、赤い三日月を何をするでもなく見上げる。
「月に人はもう行けない。行く手段がないから」
「空砕・・・。あ、あの!」
自分を気使う雫を優しい瞳で見つめ、空砕は微かな苦笑を浮かべると、淡々といつも の様に声をかけた。
「雫、もう休め」
「う、ん」
気乗りのしない返事を返す雫を後に残すと、空砕は独り屋上を後にする。
ネオンもない、僅かな明かりすら漏れない真の闇が彼を包み込んだ。

**

砂海の上を小さな影が移動していた。
影は素晴らしく早い速度で、東から西に抜けていく。砂海の上に刻まれる僅かな波 紋。その影が動くごとに、驚いた砂海を根城にしている小さな動物達が、ちょこまかと 動き回る。
「八雲たいちょ、そろそろ速度を落としましょうよ!」
悲鳴にも似た声が、高速で移動するものから沸き起こる。
「ああ?? たいちょ、じゃねーよ。隊長ってちゃんと呼べ」
全然違うところを気にし、八雲と呼ばれた男はなおもスピードを上げる。限界 ぎりぎりの速度で、八雲達の乗るエアシップ(砂海の上30cm程の高さで浮 き、砂海を渡る専用の乗り物)のエンジンは悲鳴をあげ、甲高いエキゾ ーストを撒き散らした。
「限界ですよー。たいちょ」
「ばーろー。まだまだいけるさ」
「駄目ですってば! このエアシップ高いんですから! また給料引かれます よ!!」
同乗者、八雲の部下は悲鳴をあげる。八雲を心配しているというよりは、自分 にとばっちりが来るのを恐れていると言ったほうがいい。
まあ、普段ろくでもないことの相棒をさせられていれば、それも止むを得ない 事なのだが。

「そもそもどうしたんですか! 急に斎賀を抜け出して。ばれたら首ですよ! 首!!」
「首? 上等じゃないか。そんな事より、ほら前を見ろ。砂海唯一の花、ヒー トフラワーが咲き出したぞ」
八雲はそう指摘し、くいくいっと下を指差す。エアシップの下の砂海は、いつ の間にか一面の白い花で覆われていた。
八雲達が乗るエアシップの巻き起こす風を受けて、ひらひらと波間に浮かぶ海 藻の様に揺れている。
「うわああ。初めて見ましたよ! ヒートフラワーの開花なんて!」
「そうだろ、そうだろ」
八雲は同乗者の驚いた声に満足そうな笑みを漏らす。
「たいちょ。まさかこれを観る為に、都市軍のエアシップを持ち出して、許可 も得ず斎賀を抜け出して来たとか・・・、なんてことは・・・、ナイですよね ?」
不審気な部下に八雲はけらけらと笑って言う。
「まさにその通り! ビンゴだぞ」
「・・・た、たいちょ。・・・本当に首になっちゃいますよ〜」
そんな不安げな声に、八雲は笑って続ける。
「ヒートフラワーの開花に、首ぐらいかけたっていいさ。どうだい。綺麗なも んじゃないか。まだ、こんなに美しいものが残ってるんだぜ」
八雲はエアシップの速度を低速に落とし、赤い月に照らされた白い花々を眩し そうに眺める。

「捨てたもんじやないさ。まだこの星も」
八雲はそうぽつりと呟き、部下の嘆きを無視し、夜の散歩を楽しんだ。
ゆらゆらと白い花が、可憐で清楚な表情をこの荒れた大地にもたらす。月下でのみ開花し、数時間後には枯れてしまう花を、八雲はいつまでも眺め続けるのだった。


□□□□


高い防御壁に囲まれた都、オアシスの斎賀。
砂漠化が進み、かつては高い文明域に達していたこの星も、今ではもう繁栄期の文明技術 のほとんどは残っていない。かろうじて世界に数カ所、その時の技術を伝える施設があるのみだ。
斎賀もそんな古い時代の記憶を持つ都市である。いまでこそ都(みやこ)と呼ばれているが、かつての繁栄期、『月世界文明期』では、ここは単なる港湾都市だった。
度重なる温暖化と砂漠化、星の環境が完全に狂った今となっては、海など干上がってしまい、斎賀を囲むのは砂、砂海(さかい)となっている。
海は幻と消え、湖ですらもはやない世界。
凍土がなければ人は生きられない世界。それが今のこの星だった。

青い海、静かな波の音。
ソファーに座り初老の男性が、ゆったりと瞳を閉じ、その音に聞き入っていた。今ではもう聞けない音。懐かしい世界の、海の波音。
「市長」
「う、む・・・、初めて聞く。これが波の音なのか?」
「はい。心安らぐ原始の音ですわ」
白衣の女性はそう言い、初老の男性の前に写真を並べる。
「資料館から取り寄せました。海の写真です」
男は興味深そうにそれを、手にとりためすがめす青い海の写真に見入った。
「幻の海か・・・」
「市長、決して幻ではありませんわ! まだ間に合います。私のプランは完璧です。 きっと海を、水を取り戻して御覧に入れます!」
麗華は海を幻扱いする市長に、熱く自分の思いを訴える。市長は麗華を静かに見定めた。

「余程の自信があるのだな」
「・・・いえ、そんな事は・・・」
麗華は唇を嚼む。勿論自信がある! と言い切りたい。
しかし、麗華のプランを実際 に実行にうつすのは、彼女ではない。彼女の知らない誰かだ。だから言い切る事は出 来ない。
考えられる限りの事はプランに組み込んだ。けれど実際どうなるかは、神しか知りよ うがない。
微かに強張った表情の麗華に、市長は今までの苦労をねぎらうかのように、笑みながら頷くと言っ た。
「よかろう。君のプランを承認する。このプラン、『月面発電施設破壊計画』成功の 為に、考えられる限りの最高のスタッフを用意しよう。斎賀の名誉にかけて」
「市長!!」
麗華は歓喜の表情を浮かべ、その目に涙を浮かべる。

「星をとり戻したまえ、麗華君。豊かな水を我らの子供達に・・・」
「は、はいっ!」
麗華は頷き、市長と堅い握手を交わす。
「近日中に『月面発電施設破壊計画』の実行部隊を選出する。御苦労だった、麗華君。 閉鎖都市『伽藍(がらん)』を捜し求めるのは、並み大抵の苦労ではなかっただろう? 」
そう他ならぬ市長に問われ、麗華は微笑みを浮かべる。
「ええ。文献や記録からは、伽藍という都市は完全に消去されていました。古い地図によ うやくそれらしき地名があったので、何とか発見ができました」
「伽藍は生きていたか?」
市長は慎重な言い回しで、麗華にそれとなく尋ねる。
「はい、都市機能の一部は完全に死んでいましたが、基幹部分は大丈夫でした。勿論、マスドライバの制御機能は無事です。あれがあれば私達は月面都市に行けます。あの月に行けるの です。月にたどり着けさえすれば、きっと、きっと・・・」
麗華は感極まり、言葉を濁す。

「麗華君」
「きっと月の発電施設を破壊出来ます。この星を覆うエネルギーを無力化出来ます!  温暖化の原因の、月からの発電エネルギーさえなければ、星はまた生き返る。乾いた大地は 水をたたえた大地に戻ります」
麗華はぎゆっと両手を握りしめる。
「この星を砂漠化した、月からの膨大なエネルギー送電を止めることが出来れば、私 達はまた生きていける。砂漠化したこの星にも未来はきっと開けます」
「・・・ああ、そうだな。麗華君、伽藍の方は君に任せた」
「はい! 市長の御期待に添えるように、頑張ります!」
麗華はきっと顔を上げ、市長にそう力強く言い切る。
負けられない。その想いがずっしりと麗華の心にのしかかる。
未来、水をたたえた星を取り戻す為の第一歩は、切り開かれた。閉鎖都市伽藍の発見によって、斎賀の市長は最後の賭けに出る。

凍土はもうあと1年分しか残ってはいない。斎賀の凍土が枯渇すれば、周辺の都市群 は砂に飲まれる。いいや斎賀すら、この地から消滅する。
都市の市民は渇き、死ぬしかない。
他の凍土を持つ都市は、今さら我々を受け入れてはくれないだろう。凍土は限られた物なのだ。
それに膨大な量を誇った斎賀ですらこの有り様だ。恐らく他の都市も似たり寄ったりだろう。とすれば、最悪凍土をめぐり都市間の戦争に発展する事もあり得る。
そんな事は断じてさせれない! この過酷な環境を変えるしか、我々に生き延びる道 はないのだ!
今となっては、月の発電施設を破壊できる技術を持つのはこの斎賀のみ。宇宙に行け る船も方法も他の都市には残っていない。

斎賀が最後。
閉鎖都市伽藍の研究開発用マスドライバと、斎賀に残された小型のスペースシャトル。 この二つをもって、月の発電施設を破壊する。プランとしては悪くない。しかし・・・ 。
恐らくアタック部隊の人間は誰も帰ってはこれないだろう。月から帰還する方法の詰めが甘いのだ。
麗華君はどうやらそれを見落としているらしいが・・・。
私は斎賀の為に、見殺しにしようとしている。水が欲しい為に・・・これから選ばれ るであろう者達を切り捨てている。
・・・・・・なぜこんな世界になったのだ?
月で過去に何があったのだ? なぜ月の都市は死んだ? 住民達はどうなった? たった百年前の事なのに、何も記録は残っていない。
月が狂ったために、月からのエネルギー供給は止まらなくなり、この星は過大な発電エネルギー で充満した。許容量を超え、天を覆い尽くしたエネルギーは大気を縛った。星は激しく変遷した。
赤い月。かつては青白かった月・・・。
発電エネルギーがこの星を覆ってからは、深紅の月しか見た事はない。青い月。本当にそれはあったのだろうか? 百年も前はあの月も青かったのだろうか?
市長は窓の向こうに輝く赤い三日月に魅入った。
月は何も応えない・・・。


□□□□


月の発電施設破壊の為に選ばれたのは、ごく少数の人間だった。宇宙へあがるスペースシャトルが元々小さいのも、少人数構成になった要因の一つだった。
月に随行するのは、斎賀都市軍の生え抜きの将校が1人、複雑で高度な都市システムを管理する事に特化した知識を持つ、都市管理官が2人。合計3人。それが、斎賀の出した最高のスタッフ達だった。
個々のエキスパート3人と彼らをサポートするスタッフ達は、麗華によって発見された閉鎖都市伽藍に集結した。

「ねえ、空砕。この都市があの伝説の伽藍なの?」
ひそひそと声を潜め、少女のような外見の女性雫は、傍らの青年空砕に尋ねる。
「ん。そうらしいな。どうした雫、興奮しているのか?」
「多少はね。だって空砕、ここがあの閉鎖都市なのよ」
雫はやや空砕の方に身を乗り出し、その耳元で囁きかける。くすぐったい息が空砕の耳元にかかって、空砕は微かに赤くなった。
「この都市がどうして閉鎖されたか知ってるでしょう?」
「伝聞では致死性ウイルスによる集団壊滅。テロとも自己崩壊とも言われているな。真相は闇の中だ。伽藍が研究都市だった事もあって、実験中の失敗という説もあったっけ」
「凄いね。伝説の都市をこの目でみれるなんて」
雫ははじめて見る伽藍に圧倒されていた。

天を覆う薄いシールド。巨大なビル群。空中を幾重にも走る道。整然と並んだ区画と、木々たち。
そう、伽藍には公園や緑化施設があった。どうやら都市機能が生きているために、定期的な水の補給はのみならず、肥料の補給といった機能も生きているらしいのだ。そのため木々は枯れもせず生育している。
斎賀ではありえない光景だった。
「伽藍にはまだ水があるんだな。じゃあ、水が枯渇して都市を放棄したということはありえないな」
「そうだね。木々が育つぐらい豊富みたいだし」
雫も空砕の想像に同意し、首を捻った。
ではどうしてこの都市、伽藍は閉鎖されたのか? 都市管理官の二人にとって、これはどうしても知りたい謎の一つだった。

「呑気だな、お前達」
そんな二人を見て、足を組みどかっとばかりに椅子にふんぞり返っていた男が呆れた声で呟く。
男の名は八雲。空砕達と共に月に昇る都市軍の将校だ。
「八雲さんは気にならないの?」
「う〜ん。それ程はな。ちなみに俺の聞いたところじゃ、伽藍が閉鎖されたのは月の都市が連絡を絶った頃らしいぞ。ということは、ここは百年間人間が管理どころかメンテナンスもしていなかった」
八雲はそう言い、ちらりと忙しそうに準備を行う、最高責任者の麗華を見る。
「にも関わらず、あの博士がここを見つけた時は、伽藍は生きていたらしい。百年たってもほとんどどこも壊れていない都市、というのは珍しいんじゃないか?」
「珍しいどころか奇跡よ」
雫は言い、ね。と、空砕を仰ぎ見る。
「ん。そうだな。・・・伽藍はきっと特別だったからだろうな」
「特別?」
聞き返す雫に対し、八雲は得心がいったとばかりに頷き返す。
「そういう事か。百年たっても壊れないものはもう一つあるな」
「え??」
雫は話が見えず困惑する。

「お嬢ちゃんには解からないか? ほらあそこにある」
八雲は天を指差しそう告げる。指の先には真っ赤な太陽があった。けれど、八雲の指差しているものは、・・・違う。彼が言いたいのは・・・。
「月の都市。今も稼動している発電所」
呟き、雫は空砕を驚いた顔で見る。
「伽藍と月の都市はどういう関係だったの?」
空砕は肩を竦め、太陽を細めた瞳で眩しそうに見た。
「たぶん、伽藍は月の都市開発に使われたサンプリングの一つだろう。月の都市とほぼ同じ機能を持った、研究開発用の都市だったとみていいと思う」
「月の都市と同じ機能・・・」
雫は目を見張り、空砕の生真面目な横顔を凝視する。
「空砕・・・」
「月の都市はたぶん生きている。伽藍と同じ様に、まだ稼動しているような気がする」
空砕のそんな感想に、八雲もあっさりと同意を返した。
「俺もそう思うぜ。まあ、行ってみればわかるけどな」
八雲はそう言い、シニカルな笑みを浮かべる。獰猛な野獣のような笑みだった。

「月・・・。本当に私達が月に行くんだ」
雫はふと急にそれが現実なんだと気付き、突然怖くなった。
「雫」
「空砕。なんだか怖いよ、私」
怖気付く雫を、空砕はそっと抱き寄せる。
「大丈夫。すぐに戻ってこれるよ」
「うん。う・・・ん」
雫はなぜか言いようのない不安に、押し潰されそうだった。明るい太陽に邪魔され日中は見えないが、赤い月は天にある。

・・・・・・赤い月が三人を待っていた。



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