閉鎖都市-伽藍
作:MUTUMI イラスト:Shape

NEXTへようこそ。続編です。


夜空の向こうの月から、星の大地に降り注ぐ一条の赤い光。それが全ての原因だった。それが全ての始まりだった。


宇宙で見た月は青白かった。
今まで見た事のない不思議な色、光景に三人は畏怖にも似た感情を抱く。
「月が青白いなんて知らなかったわ」
雫は呟き、そっと空砕を窺う。空砕は忙しそうに宇宙船の複雑な計器を睨んでいる。
「雫、そっちを見てくれるか? 月の都市から宇宙船の誘導ビーコンが出てないか?」
「え、えっと、待ってね」
雫は慌てて自分の担当機器をみる。即席の詰め込み型の学習とはいえ、その程度は認識出来た。
「あ、本当だわ。誘導ビーコンが出てる」
空砕は納得したかのように、軽く頷く。
「やはり、月の都市は生きているのか・・・」
八雲はそれを聞き、宇宙船を操縦しながら、皮肉な笑みを浮かべた。
「想像通りかい?」
「ああ。八雲、ビーコンの誘導に従って月基地に入れるか?」
「任せな」
八雲はいとも簡単に請け負い、月面都市への侵入コースをとっていく。
初めて触る宇宙船、スペースシャトルなのだが、八雲はまるで手足のように扱っていた。

「八雲さんって凄いのね。宇宙船を動かすのは初めてなんでしょう?」
「俺かい? 機械を扱うのは得意なんだよ」
既に機械のレベルを遥かに超えたものを平然と動かしながら、八雲は笑ってそう言う。
「まあ、こういう才能があったから、俺がこの任務に当たる事になったんだがね。時に、月の都市はどこまで生きていると思う?」
八雲にそう尋ねられ、空砕は肩を竦める。
「さあな。誰も見た事がないんだ。わからないさ。ただ・・・、用心はしといた方がいい」
そう答える空砕の声は妙に堅かった。頷く八雲も生真面目な表情をしている。
三人の乗るスペースシャトルは、月の都市進入口へと接近していく。
月都市から発せられる誘導ビーコンがシャトルを捕らえ、シャトルは自動で月の発着場へと進んで行った。
ごくり、思わず息を飲んだ雫の発する音が、やけに大きく響く。誰もが無言のまま、スペースシャトルは月都市内部へと入っていった。
真空の空間の中、ゆっくりと進入口の扉が閉ざされる。巨大な空間を、スペースシャトルは進んでいった。


□□□□


月の都市は無人だった。人の生きている気配はない。何もかもが真新しく保たれていた。
塵一つない空間、それが月の都市だった。
麗華が作成した月面都市の予想地図を元に、都市に降り立った三人は当初の目的の場所、月の発電施設に向かった。
僅かな明かりの中、機密服に身を包んだ三人は油断なく都市の中に降り立つ。
都市の中に空気があるにも関わらず、三人が機密服、宇宙服なのは極僅かな可能性なのだが、ウイルスや病原体によって生命を左右される事があるかも知れない為の用心だった。
宇宙服を着ている限り、ウイルスや病原菌が三人の体を蝕む事はない。
無論、地上の数十分の一の重力だからこそ可能な処置だった。そうでなければ、こんな重い物を着て動いてなどいられない。

「行こう」
しんとした物音一つない静寂を破り、空砕は雫と八雲を促す。
「あまり長居はしたくない」
「ああ。そうだな」
八雲は頷き、スペースシャトルの貨物部分のロックを解除した。要領よく繋留柵を外し、地上から運んで来た物を動かす。
地上から三人が後生大事に運んで来た物、それはエアカーだった。月都市を効率良く動き回れるようにと、麗華が用意したものだ。
三人はエアカーに素早く乗り込み、空砕がハンドルをとった。
空砕は慎重な手付きでエアカーを起動させる。空砕の左隣では雫が、これ又麗華に渡された大きな地図を広げている。
操縦空砕、ナビ雫、そして護衛八雲という役を、三人は自然とこなしていた。昔からのチームであるかの様に、すんなりと三人の呼吸が合いはじめる。
三人はエアカーに乗ったまま、月都市へ入って行った。


どこまで行っても変わらない光景、それはまるで故郷、斎賀の無菌空間にいるかのような錯覚を三人に与えた。
同じ光景の連続は、三人の空間把握能力を狂わす。
最もその能力が高い、つまり迷子になり難い、雫にしても自分が今どこにいるのか、分からなくなりそうになる。
月の都市は本来密閉された空間なのだから、感覚が狂っても、それも当然といえば当然の事なのだが・・・。
「雫、次の角はどっちだ?」
「右よ」
雫は麗華に与えられた地図を見ながら、二人をナビゲートした。
月の都市内部に誰もいないのをいい事に、エアカーを乗りつけ、三人は移動する。重くてかさばる宇宙服も、エアカーに乗っている限りは、邪魔にならず楽に移動できた。

「静かだな・・・」
八雲はオートマチック銃を片手に油断なく周囲に気を配る。
「ああ」
エアカーのハンドルを握る空砕も、嫌な予感を滲ませ同意する。
「ろくでもない気分だ。この都市は綺麗過ぎる。百年経つのに塵一つ落ちてない。それにどうもさっきから、何かに見られている気がするんだが・・・」
「えっ」
雫は驚いて空砕を見、八雲を振り返った。空砕は眉間に皺を寄せ考え込んでいる。
「空砕?」
「よく見ろ雫。さっきから都市のあちこちにある監視用カメラが、こっちを見てる。おれたちが動くたびに、ポイントを合わせてきている。追いかけられてるんだ」
「!!」
雫はぎょっとし、慌てて周辺の確認に入った。

こうしてみると、目立たない所に設置されているカメラがやけに目に付く。その無数のカメラはまるで糸につながれたマリオネットの様に、三人の移動速度に合わせて、ジリジリと動いていた。
カメラの照準が三人である事は、疑う余地もない。
「・・・本当だわ。どうして・・・?」
「・・・都市機能の反復命令が残っているのか、それとも」
空砕は言葉を濁し、八雲を振り返る。
「誰かがいるかだ」
八雲は言い、にやりと笑う。
「まあ、とりあえず任務を優先させようぜ。俺達が邪魔ならそのうち何か出てくるだろう」
「ああ」
頷き、空砕は次の指示を雫に求める。
「雫、次の角は?」
「左よ」
雫は再び地図を睨み、真っ直ぐ進む通路の先を凝視する。薄暗いその先に二股に分かれた通路がぼんやりと窺える。
今の所麗華が渡してくれた月都市の地図に間違いはなかった。
三人は黙々と目的地の発電施設へ最短ルートをとり、近付いて行く。遮る物はまだない。


**


麗華が三人に渡した、月面都市の見取り図はかなり詳細だった。そのかいがあってか三人は程なく発電施設に到着した。
よくよく思索すると、シャトルの発着場からさほど遠くもない距離だった。
今の所三人の作業は、順調に進んでいるといえる。
監視カメラは相変わらず三人を追うが、特にこれといった妨害も、攻撃もなかった。
不気味である事にはかわりはないが、努めて気にしない事を三人は心掛けた。
そうしないとこの無気味さに、押しつぶされそうになるからだ。

辿り着いた発電施設の扉は、堅い隔壁でロックされていた。
扉の鍵は光学式の虹彩(瞳の回りにある膜)認定方式だった。恐らく発電施設職員の虹彩が、鍵として登録されているのだろう。
しかし今となっては、とてもじゃないがロックを解除する事は出来ない。方法も、登録してある虹彩を持った人間もいないからだ。
躊躇なく三人は扉を爆破する。八雲はこんな事態に慣れているのか、鼻歌まじりに爆薬をセットし、手際よく隔壁を破壊した。
爆発の衝撃と共に、隔壁に大きな歪んだ穴が開く。
ほんの僅かな明かり、非常灯が灯る中へ、三人は八雲を先頭に侵入していった。

そこには。
この月都市に来て初めて見る人間がいた。
恐らくいつものように管制を行い、いつものようにこなしていた作業のまま、息絶えた人々が居た。
椅子に座り本を眺めている者もいる。からからにひからびミイラ化しているとはいえ、それは本当に生きている人間に見えた。
けれど、誰も動かない。息をしない。喋らない。
間違いなく彼らは死んでいた。

「い、嫌だ。空砕」
雫はブルブルと震え、空砕の宇宙服にしがみつく。
「な、何これ!・・・・・・何なの!」
震える雫を抱き寄せ、空砕は八雲を見る。さすがに彼も青い顔をし、痛ましそうに死者達を見ている。
「八雲」
「ここの職員達か? ・・・・・・ある程度は覚悟してた。ああ、こんな光景も覚悟してたさ」
言い、八雲は死体の一つに近寄り、青い顔をしながら検分を始める。
「銃創の跡はない。外傷もこれといってない。至って普通の死体だ」
「仕事中に何かがあったんだ。皆、持ち場で死んでいる。ここで何が起こったんだ?」
怯えを押さえ込もうと必死の空砕と、八雲はある可能性に気付く。

「まさか」
「・・・・・・そうなのか?」
はっとして二人は、たった今通過して来た通路を振り返った。
「塵一つなかった通路。何もない、鍵のかかる部屋以外は何もない都市。・・・綺麗すぎる」
空砕は呟き、改めて死者達を観察した。
八雲は空調ダクトが、この部屋以外の外部に接続されている事を見てとる。そして二人は同じような結論を導きだした。
「空気が・・・・・・漏れた?」
「緩慢な窒息・・・?」
同じような事を呟き、二人はそれぞれ事実を指摘する。

「この都市は綺麗すぎる。塵一つない。塵のある空気が、外部に流失しているとしか思えない」
「自分の持ち場を離れていないって事は、急激に起こった事じゃない。緩慢に、じわじわと気付かない内に空気、酸素がなくなっていった」
「恐らく最後は酸素の不足で意識もほとんどなかったはずだ。月都市からの救援信号も、連絡も何もなく、する事も出来ず死に絶えた」
空砕の顔色は増々青くなっていく。
都市管理官である空砕には、その異様な状態がどういう物であるか察知出来たのだ。

「空気の管理システムが壊れているのか? 馬鹿な! そんな事があるのか?」
真空の月では空気が、酸素の確保が何よりも優先する。水よりも食料よりも、気体である空気の方が重要だった。
大気の発生装置、循環装置には厳重な管理がついていたはずだ。それなのに、装置が故障する事があるのだろうか?
だが、現実はそうとしか思えない。他の可能性は低いと認めなくてはならない。
だとしたら、なんと残酷な事なのだろう。自分達が最高だと思ってきた、都市システムによって彼らは殺された事になる。
「月の都市が、彼らを殺したのか?」
それが全ての原因になったのか? それが、おれたちの星を砂漠化に導く事になっていったのか?
空砕は深い深い吐息を付く。
混乱し、困惑する思考を紡ごうと、空砕は必死に自分を保った。

「・・・で、でも空砕。緩慢な窒息死、そんな事がありえるの?」
雫は信じられないという表情をし空砕を見つめる。
そんな馬鹿なことが本当にありえるのだろうか? 雫の表情はそう語っている。
「ありえない事もないんだ。都市のシステムが異常をきたせば・・・」
「でも、管理官が24時間体制で把握していたはずよ。空気、大気システム関係なんて、ここじゃ最重要だったはずだわ」
雫の指摘に八雲はふと洩らす。
「なあ、もしかして。その管理室が最初にやられたんじゃないか? ほらこの地図だと、管理室は月都市の端にある。」
「・・・」
「・・・本当だ」
空砕と雫は無言で顔を見合わせた。

「管理室が最初に死に、誰も異常に気付かなかった。ゆっくりと大気は抜け、人々は窒息していった」
八雲の指摘に頷いていた雫はある事に気付いて、恐る恐る宇宙服の胸元に取り付けられている、大気の有無を調べるゲージ表示を確認する。
ゲージは安全色、ブルーを表示していた。
「でも八雲さん。今ここには大気が、酸素があるわ。それっておかしくない?」
「ん・・・、そう言われれば・・・」
考え込んでしまった八雲に空砕は助け舟を出す。
「多分、一度真空になった後、再び空気が大気発生システムから供給されたんだ。大気発生システム自体は壊れてない。ただ大気を監視する、あるいは調整する部分が破損しているだけだから・・・。空気が戻っていても可笑しくないと思う」

「・・・月都市にいた人達は皆死んじゃったの?」
「恐らく」
空砕は呟き、そっと瞑目する。この地上から離れた場所で、密かに死んでいった多くの住人たちに黙祷を捧げる。
誰にも気付かれることなく月の都市は滅んだ。文明の粋を集め造られた場所は、あっけなく住人を殺していた。
「・・・怖い、空砕。ここは怖い・・・」
雫は呟き、空砕の腕にしがみつく。吐きそうな程、気持ちが悪かった。
「雫・・・。八雲、発電施設に爆薬のセットを。ここを破壊して帰ろう。一刻も早く。」
「ああ。そうだな」
八雲は頷き、黙々と麗華が指定した場所に爆薬をセットしていく。

八雲が今セットしているのは、真空状態でも爆発させることが出来る特殊な爆薬だ。
通常の爆薬では役に立たないかもしれないため、麗華が極秘に手配したものだった。殺傷力は強力で、月都市の半分を軽く吹き飛ばす程だ。
「空砕、お前先に雫を連れてシャトルに戻ってくれ」
爆薬をセットしながら、八雲は淡々と空砕に告げる。
「八雲?」
訝しる空砕の耳元で八雲は囁く。
「ここは刺激が強すぎる。悪夢を見るぞ。雫を遠ざけろ」
「・・・ああ。けど、エアカーは一台しかない。八雲はシャトルまで歩くつもりか?」
「んん? まあな。そう遠くないしな」
「・・・」
空砕は押し黙り、じっと八雲を凝視する。
八雲はいつもの空砕達が見なれた、人を食った表情のままだった。

「・・・何か、隠してないか?」
「は? 俺が? 何を?」
きょとんとした表情の八雲に、空砕は何でもないと呟き首を振る。
「じゃあ、先にシャトルに戻ってる。気をつけろ・・・」
「ああ。だが多分何も起こらない。空砕、もう知ってるんだろう? さっきから動いていた監視カメラの訳を」
そう問われ、空砕は微かに皮肉な笑みをこぼした。
「・・・管理官なら、異常があればその箇所を捜そうとする。監視カメラを使って。いや、ありとあらゆる物を使って。・・・気付いていた人もいたんだ。何かがおかしいと。けれど、原因はわからず、間に合わなかった。人が死んだ後も機械は生きている。都市機能が殺されてしまった訳じゃない。なら、都市は、都市システムは解除命令が出るまで、人の出した命令を反復する。最後の命令、・・・異常の発見をずっと繰り返す」
空砕は一息にそう言い、物言わぬ、動かぬ死体達を窺う。

「・・・月の都市は人を殺す失敗作。だから、サンプリングに造られた伽藍も失敗作。昔の人達は理由を知らなくても、それを感じていたんだ。だから伽藍は閉鎖都市になった。人を殺す都市になんか誰も住みたくないからな」
「まあ、なあ。・・・空砕は俺達の星は好きか?」
「は? 今さら何を言うんだ八雲。好きも何もあそこしか、俺達の住む所はないじゃないか。・・・そう言う八雲はどうなんだ?」
空砕に切り返され、八雲はふっと笑みを浮かべる。獰猛な猛獣が、飼いならされたものに化けた瞬間だった。
「俺は好きだよ。まだまだ綺麗なものがあるしな」
ニッと笑って八雲は空砕に答え、ついでしっしと手で振払う素振りをする。
「八雲」
「ほらさっさと行け。お嬢ちゃんが吐くだろうが。可哀想だろ、吐いたりしちゃ」
「・・・わかった。終わったら連絡を入れてくれ。迎えに来る」
「へいへい」
八雲は空砕の言葉を半ば冗談の様に聞き流し、全く取り合わず黙々と作業に戻った。

その様子に肩を竦めつつも、空砕は雫を抱えるようにしながら、エアカーに乗り込みスペースシャトルへと急ぎ戻っていく。
途中雫は何度も気分が悪くなり、空砕はその都度エアカーを止め、介抱するはめになる。空砕だって恐ろしかったのだが、雫の怯えよりはまだ軽症といえた。
恐らく八雲は、こんな事態を経験した事のなかった俺達を遠ざける為に、ああ言ったのだろう。
空砕は八雲のそんな優しさをしみじみと感じ取る。なんだかんだ言っても、彼は都市軍の人間だ。官僚に近い管理官には重い事態だと判断したのだろう。
情けないな・・・。
空砕は唇を噛みながら、ようやく雫を連れスペースシャトルに辿り着く。ほんの僅かな時間しか離れていなかったのに、非常に懐かしい気持ちがする。
かちこちに緊張していた感情は、ほんの少しだけ回復し、雫はまだ辛そうだったが、ようやく笑みを浮かべた。

「雫」
「八雲さん、もう作業終わったかな? ごめんね空砕。手間をとらせて」
「いいや。俺だってかわらないよ。八雲に追い出されたんだからさ」
言い、空砕はシャトルの中へ雫を運び込み、宇宙服のヘルメットをとってやった。はらりと、詰めていた髪が広がり、雫は新鮮な空気にほっと安堵の息を吐いた。
「空気が、美味しいな」
そう涙目で呟く雫を近くのシートに座らせながら、空砕もヘルメットをとった。
確かに雫の言う通り、なんでもない空気が、素晴らしく美味しく、甘く感じる。
こんな事を思ったのは初めてだった。


**


「行った・・・か?」
八雲は呟き、若い二人がここを立ち去った事を確認する。
自分にはない、純粋な二人の様子が微笑ましかった。都市の管理官なんて堅い仕事をしている割には、二人は柔軟な思考と優しい心根を持っていた。
「いい奴等だったよな」
八雲はしみじみと呟き、自分の持つ爆薬を見つめる。特殊な月面都市すら半壊させる事の出来る爆薬を握り、八雲は微かに自嘲じみた笑みを浮かべた。
「馬鹿だよな。俺もさ」
小声で呟き、物言わぬ先住達を仰ぎ見る。彼らは何も言わない。そこにあるだけだ。
「わりーな、あんた達。俺の道連れみたいでさ」
そう呟き、八雲は最後の爆薬を発電施設にセットした。
そして宇宙服に常設されている通信機を使い、自分達が乗って来たシャトルに通信を入れる。
そこに空砕と雫がいれば、準備完了だった。
長い間待って、ようやく八雲の呼び出しに空砕が応じた。
八雲は一つ深呼吸をし、爆薬の起爆装置を取り出す。通信機からは、幾分か落ち着いたらしい空砕の声が聞こえてくる。


「八雲、終わったのか?」
『ああ』
声だけの通信だったが、八雲が一息ついているのが見て取れた。
「そうか、ご苦労様。少し待っててくれ。すぐに迎えに行く」
空砕はちらりと雫を見る。気分の悪くなっていた雫は、大丈夫と声に出さず唇の動きだけで空砕に告げる。
頷き空砕は、八雲の今いる場所を確認した。
「発電施設でいいのか?」
『ん? いや、・・・もう来なくていい』
八雲の口調がどこか悲しそうな、切羽詰まったものに変わる。敏感にそれを感じ、空砕は疑問を呈した。
「八雲?」
それに対する八雲の返答は、暫くの間なかった。
何かを思いあぐねて、言い出しあぐねて黙っている、そんな素振りだった。

「どうしたんだ?」
我慢しきれず空砕は問う。
『・・・・・・空砕』
意を決した八雲の声が通信機から漏れてくる。
『空砕、雫ちゃん。俺に構わず船を出せ。地上に戻ってくれ』
「は?」
『俺をここに置いていけって言ってんだよ』
「八雲さん!? 冗談言ってないで、早く戻って来て下さい!」
余りにも質(たち)の悪い言葉に、雫は気分の悪いのも忘れ噛み付く。けれど。
『・・・冗談じゃないんだな。この爆薬さ、遠隔操作で起爆出来ないんだよ。特殊な爆薬だから、気難しくってさ』
「八雲?」
『俺はここで、これを起爆させなくちゃならない。だから、俺を置いていけ』
淡々とそれが最善なのだと八雲は二人に告げる。

『酷い事を言ってるよな。お前達は優し過ぎて、・・・・・・俺を見捨てられないのにな。だから・・・』
「八雲さん?」
『だから、先に逝くぜ。・・・二人仲良く暮らせよ』
八雲の二人を案じる真摯な気持ちが、通信機から伝わって来る。空砕は何が起こるのかようやく思い至り、必死に叫んだ。
「止めろ!! 八雲!!」
空砕の声とほぼ同時に、通信機から何かの爆発する音がもれる。ごうっーーーー。音をたてて、月の都市は波打つ様に振動した。
「八雲!!!」
空砕は通信機に怒鳴り付ける。間違いであって欲しい、そう思いながら、何度も叫び続けた。通信機からはピーーーッと鳴る雑音しか聞き取れない。
八雲の声はどこにもなかった。
人を食ったようなあの声は、もうどこにもなかった。
「嘘だろ? 八雲」
呆然として空砕は呟く。
雫は真っ青な顔をして、目を見開いていた。完全に動きが止まっている。息をするもの忘れる程の、それは衝撃だった。
「嫌だ。また冗談でしょう? 八雲さん・・・」
「八雲!! おい、こらっ! 返事をしろ!!」
空砕は必死に呼びかける。けれど、八雲の応えはどこからも沸き起こらなかった。


□□□□


月の発着場を後にし、空砕はスペースシャトルを地上への帰還コースにのせた。眼下に広がる月の都市は、発電施設を中心に半壊していた。
発電施設から地上に伸びていた赤いエネルギー光も、完全に途切れなくなっている。
長い間地上に住む者達、動物、植物、人間を苦しめていたものはここに完全に沈黙した。
破壊された月都市から徐々に離れながら、空砕は重い気持ちを拭えなかった。
八雲を死なせてしまった・・・。それは拭いきれない感情だった。
空砕の隣では、いまだに目の赤い雫が、気丈にもナビを行っている。
何かをしていなくては、思い出し、哀しくなってくるのだ。だから何でもいいから雫は動いていたかった。
忘れるぐらい、動きたかった。

「スイングバイ(重力や公転運動を利用し、方向転換や加速を行い、軌道にのせる方法)を行う。燃料を節約しよう。もうギリギリしか残ってない」
「うん」
雫は頷き不安気に空砕を見る。八雲と違い、ほとんど初めてに近いスペースシャトルの操縦なのだ。不安になるなという方がおかしい。
「八雲が自動プログラムを残していってくれたから・・・。俺でも何とかなるよ。・・・八雲はもういないのに、ここにいないのに・・・、俺達はあいつに守られてる」
「八雲さん・・・」
雫は呟き、空砕からは見えないようにそっと涙を流した。
「・・・行こう。俺達の大地に帰ろう」
「うん」
赤い目の雫は、幾度目になるのかわからなかったが、涙を拭い眼前の星の海を睨み付ける。
暗黒の海の向こうには、自分達のいた惑星が待っている。
乾いた大地の惑星が。
二人は悲しみを乗り越え、帰還の路についた。


大気の摩擦というものは、空砕や雫が予想していたものよりも遥かに大きかった。
少しでも惑星への侵入角度が違えば、スペースシャトルは粉々に砕け散る。
絶えまなく襲いくる断続的な振動と、シートに押さえ付けられる圧力、指一本動かすのにも大変な力と苦痛を伴う。
そんな中にあっても、空砕は必死にシャトルの制御を行っていた。
自分でやってみて、今さらながら八雲の神技的な操縦が、奇跡に近かったのだと思い至る。
とうてい自分には八雲のような操縦は無理だった。それでも必死に空砕は雫と協力し合いながら、シャトルを予定の航路、角度にのせる。
二人の乗るスペースシャトルはぐらぐらと、激しい揺れを伴いながら、地上へと落下していった。
この頃には二人の間に会話はない。そんな事をしている余裕はなかった。

大地が幾重にも回る。
残った僅かな燃料でエンジンを吹かし、抵抗を弱めズレていく航路を戻す。二人は必死に大気という魔物に抵抗した。
スペースシャトルの下には真っ赤な砂海(さかい)が広がっている。
赤く、まるで燃えているかのような光を発しながら、スペースシャトルは轟音を上げ、砂海へと落ちて行く。
滑空というよりは、墜落に近いものだった。
船内ではひたすらアラームが鳴り響いている。
船体制御が失敗に近い事を示すサイン。それは空砕も雫もわかっていた。けれどどうする事も出来ず、二人は悲鳴に飲まれ、砂海へと落下していく。

「くそっ!」
歯を食いしばった空砕の声。
「んっ・・・」
凄まじい圧力を前にした、苦し気な雫の喘ぎ。
エンジンが最後の咆哮を上げ、二人のいるシャトルの機首は微かに持ち上げられる。
そしてそのまま、後部からスペースシャトルは地上に接触する。
ドーーーッーーーー。
重く、重低音な音が砂海に響き渡った。
後部から落下したスペースシャトルは、中央で分断され幾度も回転しながら、柔らかな砂海に抱かれる。
激しい衝撃がシートベルトをする二人に襲いかかった。幾度も幾度も叩き付けられ、振り回される。
「くっ」
「んんっ・・・」
悲鳴すら上げられない。上げたとたんに舌を嚼む。それがわかっていたから二人は無言で衝撃に耐えた。
そして静寂は突然訪れる。


静かだ・・・。
ぼんやり空砕はそんな感想を抱く。
ほんの僅かな間意識を失っていたらしく、墜落の瞬間の記憶がない。そんな空砕の頬を微かな風が駆け抜けて行った。
風?
埃っぽい砂の匂いと、微かに青い植物の匂い。目を開けると海藻の様に広がる赤茶けた植物の群れが見えた。
砂海唯一の花ヒートフラワーが、空砕の眼前に広がっていた。
ヒートフラワー・・・。ここは。
空砕は痛む体を無理に起こす。僅かな動きで全身は悲鳴を上げた。
「ぐっ」
自分がどれだけ傷を受けたのか、恐くて確認出来ない。ただわかるのはまともに動けそうもない、それだけだった。
内臓までいったか。
立ち上がろうとして空砕は気付く。自分の左手がない事に。
それでも半身を起こし、必死に周囲を見回す。

「雫・・・。しず、く」
呼ぶ声に応える声はない。
「しず、く」
空砕は呟き、再び倒れ込む。砂の中、ヒートフラワーに包まれるように空砕の四肢は虚脱する。
空を見上げるとそこには青い三日月があった。
あお、い。月。
空砕の心は呟く。朦朧とした意識の下で、空砕は僅かに満足気な笑みを浮かべる。
ああ、月は青白いものだったんだ・・・。
雫・・・、雫を捜さないと・・・。
空砕の意識はそこで途絶えた。
さわさわと風が砂海を流れて行く。砂海に散らばった、ばらばらのスペースシャトルは、きな臭い燃えた匂いを砂海に撒き散らす。
風は赤い大地を流れていった。







数年後。


夕闇の中、青い月が天にうっすらと昇る。
オレンジに染まった大地の中、少女は花冠を作っていた。
大地を覆う新種の植物、ヤクモ草。可愛い青の花を咲かせる、多年草の雑草だ。
今ではこの草は砂海を満遍なく覆っている。
もはや砂海(さかい)とは言えず、草原と言った方がよい程だった。

「由凪(ゆな)! 何してるんだ?」
熱心に花冠を作る少女にふと影が射す。由凪を見下ろしていたのは、長身の片腕の男だった。
「パパ!」
由凪は嬉しそうに男に抱きつく。
「花冠をね作ってたの。ママがね、教えてくれたの」
「そうか。でもそろそろ晩御飯だぞ。ママが心配して待ってるよ」
そう言われ由凪は始めて、夕陽が大地の端へ沈み込もうとしているのに気が付いた。
「あ、本当だ。もうお家に帰るね。パパ、おてて繋いでいい?」
男は笑うと右手を少女へと差し出す。少女は嬉しそうに笑って、男の手をとった。

「今日のお夕食何かな?」
「ん? 雫ママの大得意、ハンバーグらしいぞ」
「本当!? わーい。大好物だよ。パパ、早く早く!」
由凪はぐいぐいと男の手を引き、走り出す。
「由凪、由凪。そんなに急がなくても、夕食は逃げないよ」
「駄目。パパ、早く!」
由凪は容赦なく男を引っ張る。
ふと、そんな二人の向こうにほっそりとした人影が浮かんだ。くすくす笑って二人の様子を見ている。
「ママ!」
由凪は嬉しそうに叫ぶと、ぶんぶんと手を振る。
「ただいま〜!」
「お帰りなさい。由凪」
優しい声はそう言い、由凪の髪を撫でる。くすぐったくって、気持ち良くって、由凪はもじもじしてしまう。

由凪はこの優しい二人の両親が、大好きだった。いつだって、自分の両親は仲が良く、自分に優しいのだ。
片腕のないパパは凄く頭が良く、由凪の家から数十分の所にある都市、斎賀(さいが)の都市管理官をしている。いつもニコニコしているママも同じく、斎賀の都市管理官だ。
元々二人は斎賀に住んでいたらしいが、砂海が原野へと姿を変えた頃、都市の近郊に小さな家を建てたらしい。
当時は珍しかったが、今では二人の様に都市の外に出て暮らす者も増えている。
最大の難問だった水の確保も、最近は少しだが雨が降り、小川や湖といったものが出来始めた為、随分楽になっていた。
そんな環境で育った由凪は、この緑の大地が大好きだった。何時だって面白いものが沢山あるのだ、ここには。


夕闇に沈む大地の向こうに、くっきりと月が浮かびあがってくる。
その月は青かった。
・・・・・・もうどこにも、赤い月はない。



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