魔導師と雪竜3.5(前編)
作:MIHO イラスト:雲水亭より

2500キリの古田さんからのリクエストです。
キリリク題材は『炎』『鳥』でした。



−邂逅−


ユルユルと緩やかに揺られている。
例えるならば、そう。水面にたゆたう木の葉のように。若しくは、空に浮かぶ雲のごとく。
茫洋とした意識の片隅でそう感じながら、ふと彼は変だと思った。
−オレ様は水はでぇ嫌いなんでい。そのオレ様が、水ん中プカプカと浮いてるなんざぁ、ぜってぃ、おかしい−
そう。嫌悪を抜きにして、彼が、長時間水に触れていることはあり得ない。彼の属性は『火』。
それ故に、対極の属性にである『水』に長く接することはできない。対極にある属性同士は、接した途端その力を相殺し、やがては存在自体を消滅させるのだから。
しかし。彼はいまだその姿を保っている。
炎の形状をした鬣。真紅の鱗に覆われた蜥蜴に酷似した体躯。その全てが炎を想起させる形状は、彼、火精<サラマンデル>のお気に入りの形態だ。
直接己の姿を視ることはできなくとも、彼も精霊の端くれ。そのくらいは感じ取ることができる。
ならば、水中に在るのでなければ、雲の上に浮かんでいるとでもいうのだろうか?
−いいや。それもぜってぃ違う!オレ様には翼はねぇんだ。空を飛ぶことなんざぁできねぇ。だったら、オレ様はいったいどこに居るてぇんだ?−
その疑問が頭をもたげたとき、火精の意識はようやく覚醒した。
朱金の眸を開いて、最初に知覚できたのは、艶のない黒褐色の羽毛。広々とした背の横には対照的に小さな翼。細く長い首に、丸く小さな頭。そして、これは火精自身が確認したわけではないが、それらを支える頑強な一対の脚。

駝鳥。

・・・どこをどうみても、それは駝鳥以外の存在では在り得ない。
−な、なんでオレ様が駝鳥の背中になんぞに、乗っかてるてんでぃっ!?−
声もなく驚愕した火精の気配を察したのだろう。駝鳥はヒョイと後ろを振り返り。
「おんや?気がついたようでんな?」
喋った。実に自然に。
呆気に取られる火精をそのままに、駝鳥は続ける。
「いやぁ。ほんまよかったどすわ。このまま目を覚まさへんかったらどないしようかと心配しとったんどすわ。ほんま。煮るんがええか、焼くんがええか。それとも、思いきって生の刺身もええかと思っとたんどすけど」
「なっ!?ななななな!!???オ、オレ様を喰っても、旨くはねぇぞ!ぜってぃ!!」
恐ろしいことをさらりと言ってのける駝鳥に、火精は必死に否定する。
「嫌でんなぁ。そない心配せんでも、冗談ですがな」
嘘だ!目が本気<マジ>だった。心なしか舌舐めずりもしていたような。
しかし、火精にはそう口にすることはできなかった。
そう言って、もし、「実は本気なんどすわ」とあっけらかんと応えられたりしたらどうすればいい?大人しく喰われればいいというのだろうか?それとも?
思わず、嫌な場面を想像しそうになって、火精は即座にそれを振払った。
苦悶する火精をよそに、駝鳥は何事もなかったかのように尋ねる。
「それはそうと。あんさん見たところ使いもん<使役精霊>でっしゃろ?それが、なんであないなとこに落ちとったんでっか?」
そう。駝鳥の指摘するとおり。火精は精霊魔導の使い手たる、魔導師ディナウ=アレイスターの使役精霊だ。
通常は、使役精霊が主の命なく単独行動をとることはあり得ない。
だが、ディナウの使役精霊達は、そろいも揃って自分勝手なものが多い。故に、火精が単独行動をとっていても、なんら不思議なことはないといえるのだが。しかし、そんなことは駝鳥の預かり知らぬこと。
「『はぐれ』、っちゅうわけでもないように思うんでっけど?」
(『はぐれ』とは。様々な理由から、使役でありながら召喚主を持たないもののことをいう)
「オレ様を宿無しみてぃにいうんじゃねぃやいっ!オレ様は、オレ様の意志で、大将<マスター>のもとを離れたんでぃ!」
口から火を吐くような勢いでいいながら、火精は、このような事態になった理由に思いを馳せた。

人跡未踏。とまではいかないが、あえてそこを通ろうとするものは僅かであろう。そう思える程の、狭隘な山路。
そこを、ディナウが進んでいたときのことだ。
例によって例のごとく。暇を持て余した火精が、喚び出しもなく勝手に出てきたのは。
いつもならば、面倒そうにしながらも相手をするディナウだったが、今回は違っていた。
即座に火精を送り還そうとしたのだ。
しかし。むろん、火精がおとなしく従うはずもなく。
「な、なんでオレ様だけダメなんでぃ!ちめてーの<雪竜>や、白いの<シルフ>は良くて、オレ様だけダメだってぃどおりがあるってぇのか!」
口角泡、ならぬ火を吹きながら捲し立てた。
普段ならば、だいたいこの辺でディナウが折れる。火精の主張にまともに付き合っていれば、疲れるだけだということは、彼が望むべくもなく、骨身にしみて理解させられていたからだ。
しかし、今回は譲るはけにはいかなかった。
ディナウが向かう先は、峻険な山路。彼でさえ手こずるこの路を、短い四肢を持つ火精に走破することができるだろうか?
否、無理だ。例え、可能であったとしても、気紛れなことにかけては彼の使役精霊の中でも、光精<ウィスプ>と並び双璧を成す火精が、最後まで我慢できるはずがない。
そう、絶対に!
断言してもいい。
さして進まぬうちに、「オレ様は疲れたんでぃ」といいながら、へたり込むのは目に見えている。
そうなれば最後、それを背負って歩くのはディナウしかいない。
ここまで来るのでさえ、相応の体力を消耗しているのだ。そんな肉体労働は御免被りたい。
ならば、早々に、火精を納得させ送り還すしかないのだが。(ここが重要である。納得させないまま強制送還してしまえば、後で余計にややこしい事態になるのだ。これまた望むべくもない彼の経験上、容易に想像することができる)
さて、どうやって、納得させるか?
あれこれと思考を巡らせた後。
「ちびすけと風精は、お前と違って飛べるからな」
そうディナウは口にした。
純白の翼もつ雪竜と、薄い透明な翅をもつ風精。かれらならば、ディナウの手を煩わせることはない。
理屈が強引だろうがなんだろうが、厳然たる事実を突き付ければ、納得するはずだ。元々が、火精の思考回路は単純なものであるから、その辺の矛盾に火精が気付くことはあり得ない。
断固としたその態度に、火精は沈黙する。
それをみて、ディナウは、大人しく火精が従うものと内心胸を撫でおろそうとしたのだが。
しかし、続く火精の言葉は、彼の予想範囲外のものだった。
「だったら、オレ様は翼を探しに行くぜぃ!いますぐ、これからだぜぃ!オレ様にピッタリの真っ赤に燃えるヤツを見つけるまでは、ぜってぃに帰ってこねぇからなっ!喚んでもぜってぃ出てきてやらねぇからな!」
そう言い捨てると、火精は短い四肢で、どことも知れぬ方向にと歩み去った。
・・・・・・。
「・・・あの。連れ戻さなくてもよろしいんですの?召喚主<マスター>」
やや不安気な面持ちで風精が尋ねるが、
「放っておけ。飽きればその内帰ってくる」
無造作に切り捨てた。
「それもそうですわね」
これまたあっさりと納得する。
風精も、火精が気紛れで飽きっぽい性分であることは理解しているのだ。
「でも、どれくらい保つでしょうかしら?」
火精の決心がどこまで持続するのか、と言外に問う風精に、
「半日くらいのものだろう」
面倒そうに応える。
「あら、今回の決意は固そうでしたわ。もう少しは保つのではありません?」
何やら面白そうにそう返す風精の態度を察したのだろうか。
「どうしたのだ?なんなのだ?」
丸い眸をキラキラと輝かせ、そう尋ねたのは雪竜だ。
なにか楽しいことがあるのなら、自分も混ぜてほしい。と、その眸が雄弁に語っている。
状況をまったく理解していないのはいつものことだが。しかし、なんでこういうときの感だけはいいんだ?
思わず溜息を吐くディナウ。
「なんでもない。それよりも、先に進むぞ」
まともに雪竜の相手をしていたのでは、時間がいくらあっても足りないことは明白。折角、火精に振り回されずに済んだというのに、ここで、雪竜に付き合っていたのでは、もとの木阿弥。どころか、気苦労が倍増すること間違いなしだ。
そうなる前に、と。ディナウは風精達を促し、峻険な山の頂きを目指したのであった。

そのような会話が交されているとは露知らず。火精はただ、あてもなく、猛然と突き進む。
短い四肢を忙しなく動かし、ひたすらに前進する。
あまりにがむしゃらに進んでいたので、その進行方向、枯れかけた樹木の先が、切り立った崖になっていることなど、彼は考えもしなかった。(否、そうでなかったとしても、火精が何か考えて行動することは、極めて少ないのだが)
そして、気がついたときには、すでに脚を踏み外し、空中に投げ出された後だったのだ。

「なんや。そないな理由があったんどすか」
火精の話しを聴いた駝鳥はしみじみと呟いた。
「ほなら、わてと同じどすな」
続く駝鳥の言葉に、いったいどういうことだろう?と火精が頭を捻る。
「実はわて、ちっと前まで旅まわりの隊商<キャラバン>に居ったんどすわ。そこで、荷車を牽いとったんどすけど。こう見えてもわては、隊一の脚の持ち主でしてなあ。その速さは疾風のごとくいうて。わてが本気で走ったら、仲間は誰も着いてこれませんどしてん。いや、あんさんにも見せたかったどすわ。わてが、荷車も何もかもを置き去りにして疾駆<はし>る姿を!」
荷車を牽引するはずの彼が、それを置き去りにして、何の意味があるというのだろうか?
だが、そんな疑問を挟む余地はなかった。というより、火精には口を出すつもりはなかった。
どこか遠くに視線を馳せながら語る駝鳥の姿は、何か一種異様な雰囲気があったからだ。
「けど、そんなわてにも、どっか慢心があったんやろなぁ。ある時、自慢の脚を獣に襲われてもうて。まあ、普通に歩いたり、その辺の馬並に走ったりする分には、なんも問題はなかったんどすけど。せやけど、全力で走ることができひんわてには隊に居る資格はありまへん。そない思てわては、暇乞いをしたんどすわ」
馬並に走ることができるのなら、何の問題もないように思うのだが?
そんな疑問を無視して、駝鳥の独白は続く。
「わては、駝鳥生に絶望しました。走ることのできんわてに、生きる意味はあるんやろうか?いっそのこと、儚くなってしまおうかとも考えたんどすけど。ここで、わては、気がついたんどすわ。わては、駝鳥どす。そう、たとえ走れぇへんでも、わてには翼があります。大地を駆けるのと同じように、空を飛んだらええんや。誰よりも疾う!」
ここで言葉を切り、彼は自分の小さな退化した翼に視線を向けた。
「ほないいうても、ごらんのとおりわての翼は小そうて、このままやと、とてもやないけど、飛ぶことはできまへん。せやけど、わても鳥の端くれ。どないかして飛ぶ方法があるんやないかと。それを探しに旅に出たっちゅうわけでしてん」
小さく息を吐き、ようやく、駝鳥の長い話は終わった。
「そこで、提案なんどすけど。あんさんもわても自分の翼を探すっちゅ目的は同じどす。旅は道連れともいいまっさかい。一緒に行きまへんか?」
ぐりん、と首を巡らし、そう提案する。
随分と柔軟な首だな、と火精が思ったかどうかはともかく。
その提案は、火精にとっては渡りに船ともいえた。
大見得を切ってでてきたわけだが、火精にはまったくあてはなかったのだ。
ここで会ったのも何かの縁。志し(それ程大そうなものでもないと思うのだが。それはさておき)を同じくするものが居たほうが心強い。
「別にオレ様は構わないぜぃ」
快諾する火精に、駝鳥はホッと息を吐いた。
「いやぁ。よかったどすわ。わても心強おます。あ、わてはウィズラク=ダーいいますねん。せやけど、駝鳥のダーさんいうて呼んでくれて構しまへんで」
・・・だ、駝鳥のダーさん??安直すぎる。
「オレ様は火精<サラマンデル>でぃ。よろしく頼むぜぃ。ダーさん」
しかし、自身も安直な呼び名をつけられている火精にとっては、それはさしたる問題ではなかったようだ。
景気よく火精が名乗る。
「わてのほうこそ、よろしゅう頼んます」
こうして、ウィズラク=ダーこと、駝鳥のダーさんと火精。デコボココンビの翼を求める珍道中は始まったのである。


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