雑記帖

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このホームページのきっかけ

 最初の目的は、結構大きなことを考えてました。
自分の持ってるLP・CDそれにLD(レーザー・ディスク)やエアー・チェック(FM放送のライブ演奏を録音)したテープなどを紹介するコーナーを作ったり、阪神タイガースの応援サイトを立ち上げたり、パソコンの仕組みや使い方についてのページなどを考えてました。
そんなある日、、友人と趣味の会話になって、僕が音楽の話をするとその友人に、「聴いてみるから、いろいろ教えてほしい、それと推薦盤を教えて」と言われました。そのとき、「自分のコレクションのページや、トラキチにしか理解できないタイガースのことより、もっと身近なことをテーマにして、その友人に見せてあげたいとおもう内容にしたほうがいい」と思うようになりました。
同じ頃、2人の人から、パソコンの使い方がわからないと相談を受け、わかる範囲で教えていたのですが、しばらくするとわかったことがあります。それは、パソコンをほどんど使ったことのない人は、何がわからないのかがわかってないという状況が多いのです。そんな友達に、パソコンの本に書いてあるとおりじゃなくて、イメージで少しづつ理解してもらうような内容もホームページで取り上げたらいいのではないかとも考えました。
そんな、こんなでとりあえず形にしました。

2003年阪神タイガース優勝について

待ちに待った甲子園での胴上げシーン!
9月15日の感動は、ファンでなければわからないもの。
うれしさというか、安堵感と言う方が近いかもしれない。
 18年前は、純粋に喜びました。優勝が決まったとき、阪神百貨店の前でみんなで<六甲おろし>を歌い、ばんざいを何度したことか。仲間と祝勝会もやりました。大阪城ホールでのイベントも参加しました。
ことしは、土砂降りの雨の中、御堂筋パレードにもいきました。このパレードを撮るために、新しいデジカメも買いました。(あまりにも雨が強くて、ほとんどまともな写真は撮れませんでしたが)
うれしかったことは間違いないのですが、諸手をあげて笑うことができない自分もいました。
星野監督の退陣さえなければ・・・・・・・
星野さんがやめたことは仕方のないことと諦めがつきますが、問題は、7月頃から<星野退陣>の噂が流れ出したことです。
流れるだけならいいのですが、それを打ち消す話が出てこないので、憶測ばかりが先行する、そうなると噂はひょとすると本当なんじゃないか・・・・
ちょうどその頃から、星野采配が少しずつ変わってきたように思います。伊良部の投球内容が悪くても、それまでの貢献度を前面に出してかばうような発言をして、勝負にこだわる姿勢が薄れてきたように感じる場面がふえた。
体調が良くないというのが、TVの画面からでも伝わってくるし、勝ちたいんや!という闘志が薄れてるなと感じる場面が増えてきて、退陣するんじゃないかという不安感が、優勝モードに進んでいきにくい状況を作り始めた。
星野政権はまだ2〜3年は必要と思っていただけに、このムードは、日がたつにつれていやな思いとなってきた。
そして優勝!うれしくてうれしくて仕方がない一方、一抹の寂しさが付きまとい、素直に喜べなかったことが残念です。

コンサートの<ブラボー屋さん>

オーケストラのコンサートに行くと、演奏が終わるか終わらないうちに盛大な拍手と共に<ウォー!><ブラボー!>と叫ぶ人が結構いる。
素晴らしい演奏で興奮した聴衆が、自分の高まった気持ちを素直に出すということは理解できるけど、最後の音が鳴ったときじゃなくて、最後の音が消え、その後の静寂の“時”が大きな意味を持つものです。ホールいっぱいに鳴り響いた音が消えるまでには、結構時間がかかるものだし、その静寂の瞬間こそが音楽の魅力でもあるのです。その沈黙の一瞬を、大きな歓声で破られると、気持ちよく酔ってるときに頭から冷水を浴びたような気分になります。
本当に感動したときだけならいいのですが、どんな演奏のときにも同じようにブラボーを連呼されると、いささかうんざりする。
朝比奈隆の演奏会も、最後の音が鳴り終わる前から延々とその歓声がつづいてたと思います。アイドル歌手並みの扱いです。
本当に感動したときって、<胸いっぱい!>という感じで、しばらくはじっとその余韻に浸るものじゃないでしょうか。

<推薦盤>は必要なし

クラシック音楽を聴いてみたいという知人から、「どのCDを買ったらいいかわからないから、オススメをおしえてほしい」と頼まれたことがあります。
たしかに、たくさんのCDの中からどれを選んでいいかわからない、また同じ買うなら、いい演奏のものを買いたい、という気持ちはよくわかります。
でも、人がいいというものが、自分にとってもいい演奏、楽しい演奏とは言えないことが結構あるんです。人がほめるから聴いてみたら、まったく面白くないということは幾度となく経験してます。逆に、みんながけなすもので感動するということもあります。だから、私が人に勧めるものが、その人を楽しませるとは限らないのです。
どんな演奏でもいいからまず聴いてみることをオススメします。曲をまず楽しみましょう。演奏はその次の問題にしたら良い。

主題よりも経過部が大切

音楽で中心になるのは、説明するまでもなくメインの主題。ソナタ形式なら第1・第2の主題があり、それらが展開される。
でも、この主題だけでは一つのまとまった作品にはならない。この主題と主題を繋ぐ部分、つまり経過部の出来次第で全体像が大きく左右されると思います。
そういう意識でいろんな曲を聴いてみると、作曲家の個性がいろいろあることに気が付きます。モーツァルトは、いろんな楽想があふれるように流れ出し、その流れがいつの間にか次の主題に入ってる。気が付いたらもう次のテーマになってるという感じ。一方ブルックナーは、流れを休止符でぱっと止め、その一瞬の静寂の後一気に次の部分に入るということが多い。それぞれの持ち味が感じられる。
自分の人生を考える上でも、考えさせられる問題でもある。流れを変える節目がいくつかあって、そこから次へのつなぎの部分に目を向けること。

ハードの進歩はソフトを切り捨てる?

LPレコードが、デジタルの時代になるとCDに替わっていった。デジタルがアナログに取って代わってもう久しい。デジタルの長所・短所についていろいろな意見があったが、時代の流れに逆らうことなどできない。
そのことはいいとして、LPは今でもその価値をなくしたとは思えない。できることならCDと併用したいのだが、再生機器が古くなって使えなくなる。
テープはもっと悲惨だ。カセットデッキ・オープンリールデッキなどはもうほとんど店頭にも置いてない。それより、テープ自体が伸びたり、転写を起こしてきて、駄目になってくる。
ハードが新しく進化していくのはうれしいが、古いソフトはどうすればいいの?と言いたくなってしまう。一生懸命テープに録音してた時、そう遠くない将来に使い物にならなくなる日が来るなんて想像もしてなかった・・・・・

整理の基本は、捨てること?

年々、部屋の中の<もの>は増えてくる。そして、いつの間にか探し物が見つからないという状況になる・・・・・誰もが経験することでしょう。
かくいう、 響楽堂の主人の部屋も、モノであふれるようになり、何が何処にあるか分からないことが多くなってきた。
そこで一念発起、いらないものを捨てようと決意するまではよかったが、いざ始めると、アレも置いておきたい、これも捨てられない・・・
そこで決めたこと、<いちばん部屋を占拠してるもの、いちばん捨てられないと思ってるもの>は何か? これを捨てようと思った。
ターゲットは「レコード芸術」という雑誌である。高校時代から今まで?十年、一度も欠かすことなく読んできたもので、途中2回の処分を経て、のこってるのが21年分。250冊、重さにして200Kg以上。
一ヶ月間迷った挙句、必要な部分だけスキャナーでパソコンに取り込んで残すことに決め、その作業に4ヶ月、CD-ROM 7枚。
やはり、思い切って捨てることです。これ以外にありません。
愛着を断ち切ることが最大の関門ですが、モノを捨てても、思い出を捨てることにはなりません。
モノにとらわれない自分を作り上げようではありませんか。

観光地京都

京都の円山公園に有名な枝垂桜があります。もう10年くらい見てないこの桜が見たくなり、カメラを持って出かけてみました。
花見客の多いことは予想どうりで、そんなに意識はしなかったけれど、驚いたのは、枝垂桜のイメージがまったく変わってたこと。以前はもっと幅広く傘のように広がった、きれいな桜だった。それが今は単に一本の大きな木になってる。
優雅という表現がぴったりだったのに、その面影の無いのが寂しい。

円山公園の枝垂桜 哲学の道

人ごみを避け南禅寺から北へ足を伸ばし、<哲学の道>を散策しようと思ったのですが、これがまた大きな落胆に・・・・・
人が少ないと思った私が間違いだった。
もともと山すその狭い道で、人通りもまばらな静かなところでした。それがいまや、観光名所のひとつになってしまったのでしょう、旗を持ったガイドさんに引率された団体客や家族連れの人たちでいっぱい。まるで大阪造幣局の<通り抜け>のありさま。
京都に限らず、今の日本には、昔の良さを静かに味わうことの出来る場所はほとんど無いのかもしれません。
そんな静かな、時間を忘れさせてくれるようなところがあればぜひ教えてください。

マーラーのこと

Gustav Mahler オーストリアの作曲家・指揮者で、1900年前後に活躍した人です。特に、世紀末を代表する作曲家で、ほとんど交響曲と歌曲しか作ってない。
マーラーの魅力って何処にあるんだろう?
<世紀末><デカダンス><狂気><繊細>言葉で表現するのは難しい。
大編成のオーケストラを駆使して、鋭い音が胸に突き刺さってくるような音楽、とでも言えばいいのかな・・・
私がはじめて彼の音楽を聴いたのが高校生のとき。シューベルトの歌曲集<冬の旅>の2枚組レコードを買った時、その第4面に入っていたのが<さすらう若人の歌>で、フィッシャー・ディースカウというバリトンが歌ったもの。当時、冬の旅よりもこちらのほうばかり聴いて、そのときに交響曲第1番の存在を知り、ワルター指揮のレコードを買った。以来このレコードは何度聴いたことか。
今にして思えば、青春時代のいちばん多感な頃、いろんなことに悩み苦しんでいたころの精神状態にぴったりの音楽だったんじゃないかな。
これを今聴いて、当時の状況を思い出すということはないけれど、たとえていえば、ふるさとを離れて都会に暮らしてる人が、何十年ぶりかで故郷の山・川を見たときの郷愁、そんな気分にひたれる曲です。

2004年のタイガースの戦い方

このページを立ち上げるとき、当然のこととして阪神タイガースの部分も構想に入ってました。今でもその思いはあるのですが、自分の思いを書くだけでは意味がないし、データを並べるだけならいろんなページがあります。
と言うわけで今のところ手付かずの状態なので、時折このコーナーに書いてみようと思います。
今年のタイガース、私の予想通り(?)苦戦してます。
監督が替わったことがどう影響するのか、岡田監督が、どのような野球を目指すのか・・・・
出足は悪くなかった。問題点は2つ。
  @4番金本、3番キンケード、これでいいのか?
  Aショートは藤本。鳥谷ではない。
キンケードの故障、鳥谷の極度の不振により、藤本がショートに定着し、3番に今岡を入れた。これは結果論であり、岡田采配によるものではない。
5月になると、勝てない試合が多くなってくる。原因は二つ。

  @井川・金本の力を過信
  Aチーム全体が、<横綱相撲>をしている

井川は一昨年、ものすごくいいピッチングをしました。まさにエースの風格が漂っていました。でも後半バテテしまい、結果的には満足できる一年ではありませんでした。その反省と言うことで去年は、夏場にピークを持ってくると言う調整法で臨みましたが、シーズン通していい内容だとは思えませんでした。20勝・MVPと持ち上げられましたが、内容は前年のほうがはるかによかった。
勝ち星が上がったのは、打線が支えてくれたもので、彼の力で勝った試合はそれほどなく、MVPが井川と聴いたときも、一瞬目を疑ったほどです。
今年も同じことが言えます。エースと呼ぶにはあまりにもふがいない内容、それは昨年のピッチングに満足して同じ方法でシーズンに臨んでいるという、<考え違い>をしていると思えてなりません。
打線も振るいません。赤星がだめだとか、浜中がいない、片岡がいない、あるいはキンケードが誤算・・・・など、いろいろ言われてますが、一番大きいのは金本の不振だと思います。
四番にこだわる彼にその位置を任せたことは間違いではないと思うけど、今年どれくらいその責任を果たしたかと問えば、ほんのわずかでしかないはず。素人目に見ても、彼くらいのスイングなら、もっとコンパクトに振ってもスタンドまで飛ばす力はあるはず。なのに、チャンスに三振することの多いこと。確実にヒットを狙うバッティングをすればどれだけ勝ち星に繋がったことか・・・
四番らしい活躍をしたゲームより、チャンスに凡退するケースがはるかに多い。
この金本が、四番にこだわらずにチームのための打撃をしていれば、ほかの選手もおのずと活躍できるはずです。中心バッターが不在だから、ほかの選手が<自分が頑張らなきゃ!>と力んでしまって空回りしているのが現状だと思います。
四番とエースがチームの大黒柱にならないと、この状況は変わらないはず。赤星が、藤本が調子を上げても、彼らがチーム状態をガラッと変えるまでにはなかなかならないでしょう。
そこをどうするか、岡田采配が試されてます。

対話の方法

意思の疎通を図る一番の近道は対話。顔をつき合わせて話をする直接対話、電話・手紙・メールなどで行う間接対話という、二通りのやり方が考えられる。そしてこの後者のコミュニケーションが、昔と今では大きく様変わりしています。携帯電話とパソコンの普及が、われわれの対話を大きく変えてしまいました。
いつでもどこからでも連絡できるという利便性は大いに歓迎できますが、そのことによって失われたもの、なくしたものが結構大きいのではないかと思うことがあります。
かつては、自分の気持ちを伝えるために手紙を書きました。2・3行書いては破り、字を間違えては線を引いて横に書き直し、結構苦労したものです。でも、そんな手紙を見ると相手の様子が結構分かって、書いてある文章以外の情報が、その便箋から読み取れました。
メールは、決まりきった<フォント>で作られたもので、一種の画像と言えるかもしれません。ペンをもつ手に力が入ってると、その様子まで文字に現れますが、キーボードや携帯のボタンで強く打っても相手にはまったくわかりません。つまり、機械では、人間の思いや様子などは伝えてくれません。機械に出来ることは、<速く・性格に>ということだけです。
今の若者たちは、自筆のラブレターを書くことはないのでしょうね。
もっと不思議な現象は、携帯のメールを頻繁に使う人は、毎日あってる友達とも頻繁にメール交換しているという事実。僕達から見ると、なぜ?と思うようなことが、当たり前のようになってるようです。連絡や言い忘れたことなど、必要な場面はそう毎日あるとは思えません。
なぜそうなるのでしょうか。ひとつには、便利さに流されてしまって、大事なことと、単なる連絡ごととの区別がつかなくなってきてる、つまり面と向かって話し合うことがいつの間にか苦手になってきてるのではないでしょうか。
直接対話がきちんとできなくて、いつでも<追加>の会話が出来るメールに依存しているように思えます。いつでも話せるからという安心感が、会った時にきちんと会話するという姿勢を無くさせたのではないでしょうか。
長崎の小学生の事件も、メールでの会話が問題になってます。毎日学校で会う友達とのメールの内容が問題なのではなくて、逢ってきちんと話ができてないと言う事実が問題なのです。
 また携帯やパソコンのメールは、会ったこともない人と知り合いになれるという面を持ち合わせています。出会い系サイトだけじゃなく、ネット上はいろんな人とメールできる場でもあるのです。
今までまったく接触のなかった人と知り合い、メール交換で交流を深められるのだから、いいことには違いないのですが、マイナスの面もやはりあります。
よく知った相手とのメールは、ちょっとした行き違いがあっても修正が可能ですが、ネット上で知り合った相手との会話は結構難しいものです。
私も経験がありますが、何度かメールを交換してるうちにおのずと相手のことを自分なりに想像して行って、<こういう人なんだろうな>と考えます。でも時には話がかみ合わなくなるようなことも出てきます。何度かのメールで会話しただけの人間同士、分かり合えてるのはほんのわずかな部分であって、分かり合えてない部分のほうがはるかに多いのです。錯覚で作り上げてる相手のイメージ、実体を伴わないイメージで判断してしまうことが結構あるものです。
ちょっとした話の食い違いや、誤解が相手の不信感となる。でもそこはそれ、単にネット上で知り合った相手、アドレスとネームだけの友達だからなくしてももともと・・・・と考えることが可能です。真剣に考えなくても、<ま、いいか>ですんでしまいます。流されるという感覚。
でも、いくらネット上で偶然知り合ったメルトモでも、世界中の人間の中から偶然知り合えたということはとても大事なこと、直接対話できなくても、気持ちの中ではそういう対話が出来るようになりたいものです。
 電車のホームで電車を待つ人の列を見ると、携帯とにらめっこしてる人の多いこと。誰とどんなメールを交換してるのかな・・・・

テープからCDに移行

2004年8月22日

 1970年代中ごろから10数年、FM放送で海外の音楽祭や来日した演奏家のコンサートを聴くことが出来るようになり、録音機器の高性能化と相俟って、その放送を録音することがブームになりました。わたしもそれにはまってしまい、大きなテープデッキやカセットデッキを使って録音する日々が続きました。
レコードでは聴けないような演奏、レコード会社の専属の問題で聴けなかった演奏家の組み合わせがあったりして、貴重な録音も増えてきました。
時は流れ今はデジタルの時代。テープの傷み、デッキの故障などで、保存方法を考え直さなければならなくなり、パソコンを使ったCD化を始めたのが2年前。
最初は作業が遅々として進まず、1年経ってもようやく2割くらい。途中で諦めかけたこともありますが、パソコンの高性能化と、デジタル化ソフトの使いこなしなどに慣れたことなどでようやくスピードアップ。そしてついに今年の夏に完了!
整理とラベル作りなどにまだもう少し時間がかかるけど、アナログの音源をデジタル化するという作業は終了。
2年半の長いような短い時間、特に今年に入ってからは土・日のほとんどの時間、平日の2時間をこれに費やしていたかもしれません。
やっと始めたホームページの更新をする時間もないという状況。
終わってみると、大きな満足感でいっぱいです。もちろん自己満足ですが・・・
CD−Rの枚数にして570枚。中にはこんなものもあります。
   カルロス・クライバー指揮−「オテロ」「ラ・ボエーム」などのオペラ
   カール・ベームやバーンスタイン指揮ウィーン・フィルの演奏会
   ザルツブルク音楽祭
   チェリビダッケの放送録音
音はあまりよくありませんが、演奏内容はいいものが結構あります。
当分新しいCDにあまり興味を感じないと思います。

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