ではでは、一番重要な考察といきましょう。
考察
「わたつみ」は現代でも海を支配する神、もしくは海そのものを指す。
しかし、今「わたつみ」(もしくは「わだつみ」)といわれても、いまいちピンとこない。
それはこの言葉が、私たちにはなじみのないものだといえるだろう。
<海神の神と玉 >
歌を見ていくと、「玉」が出てくることがまず目に付く。
そしてこれは古事記の中にも出てくる。
意味を見ていくと、神が持っている玉=大事なもの(子どもなど)、もしくは容易に手に入れられないもの(美女や愛する人)のたとえで使われているようである。(三六六・一三〇一〜三・三六一四・三六二七・四二二〇)
また、古事記の塩盈玉・塩乾玉でもわかるように(万・三八八)、古代人にはすでに干潮現象の認識があったことがわかる。
日本は島国であり、海への関心は高かった。
海に神秘性や無限性を感じていたのではないだろうか。
<海神の神のイメージ>
神が登場する歌の場合、容易に手に入れないものを手に入れるために祈っていたり、また旅の無事を祈る事が多いようだ。
このことから、海神のイメージというものが、古代人にとってどういうものであったかということが窺える。
つまり、海神は人間の生活を脅かすことのある、また絶大な力を持った、畏敬の念と底知れぬ恐怖心をも抱かせる存在だったのだろう。
そこから海そのものも恐れ、謹んだのではないか。
<海神の宮と生死 >
「うなさか」で問題になっていたが、海の界域は現世と常世の境界と考えていたようで、それ故だろう、「わたつみ」の歌には生死にかかわる歌が多い。(三二七・一七四〇・四一二二・四二二〇)
「海神の神の宮殿」=「常世の国」(万葉集一七四〇)、古事記の海幸山幸の話でも山幸は海神的他界で呪力を得る。
今、海のイメージを考えると、広い・深い、包み込むような、といったプラスイメージのほうが強い。(海に深くかかわる職業の人は違うかもしれないが)
実際、海は人間生活にとって、大きな利益を、もたらしてくれる。
しかし、古代人にとっての海は、利益ももちろんあっただろうが、どちらかといえば恐ろしいというマイナスイメージの方が強かったのではないかと思えてくる。
海は津波や塩害など、障害ももたらす。
古代人の生活にはそれらのことが密接した関係にあり、そのことが「わたつみ」は畏敬の存在であり、恋の妨げとして詠んだり、祈ったりとしてたのではないだろうかと考える。
今後の課題
なんといってもこの「わたつみ」の一番大きな問題は、神としての「わたつみ」か、海洋をあらわす「わたつみ」か、どちらが先だったのか、ということであろう。
今までの説明で言えば、始めに神を示す「わたつみ」があって、そこから海そのものを指すようになったということになる。
古代だけでなく、今度は時代をすすめて平安・鎌倉・・・と用例を見て、判断したい。
また、語源説で韓語pata(海という意)と同源だとするものがある。
その関係も調べていきたい。
今回のレポートでは、やりかけたものの、時間の関係ではっきりした結果を出すことが出来なかったので、今後調べるつもりである。
参考の為、付け足しておくが、古代のわたつみと比喩、平安時代のわたつみと比喩を比較すると、古代は神を恐ろしさや霊的力にたとえ、平安時代は海の深さを心の深さにたとえていることが多かったように思う。
別のところで、海は女か男か?という疑問も出てくる。
人間は海からうまれでた。「母なる海」という表現もある。
しかし神話に出てくる海の神は、明らかに男である。
ギリシア神話の海の神もポセイドン、男神だった。
うーん、どっちだろう・・・・
やはり男のような・・・
ちょこっと続き。→
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