煙草・・・タバコ
「いいきもちになれるぜ」
当時のダチは、そう言って一本の煙草をオレの手のひらにぽん、と置いた。
「ほんとかよ?」
オレはまじまじと手のうえにのせられた白い物体を眺めた。
「ほんとに。いやなことは全部、忘れちまうよ」
別にその時、格別嫌なことがあった訳でもなかったと思う。
煙草を吸ってはいけない、とおやじに言われていたが、じゃあなぜおやじは吸ってるのかと不満に思っていたから、それに対する反抗の気持ちもあったかもしれない。
とにかく。 たいして深く考えず、それを口にしたわけだ。
最初は、なんだなんだ、全然おいしくないじゃないかと思ったが、
横でおいしそうに吸っているダチを見て、慣れたらおいしいのかも
しれないと考えた。
そうこうしているうちに、オレは一日に十本は吸うようになっ
ていた。
あれは確か二年前の今ごろだったから、丁度、受験前だ。
ある女に・・・いや、はっきり言おう。唯一の女友達である萌子に、ダチと煙草を吸っている現場をたまたま見られた。
萌子は中学にはいってからの友達で、信用できるやつ・・・というか、一緒にいて、安心できるような・・・そんなやつだった。
そのころはクラスがわかれて、話すこともなくなっていた。
「あっ」
オレが煙をふっとはきだしたとき、突然うしろから声がして、ふりかえると、まるでオレをにらむように、そして少し哀しげに見つめ
る萌子の姿があった。
「なんだよ」
なんだか自分が非難されているような気がして、ひどく反抗したい気持ちになって、虚勢をはって萌子を見た。
「・・・別に・・・」
萌子はぼそっと呟くと、そのまま、反対方向へ走っていった。
「なんだよ、あいつ」
「煙草ぐらいでびびるんじゃねーよってカンジだよな」
ダチは隣でうなずく。
「なんだよ・・・あいつ・・・」
オレはもう一度呟いた。
「なんだよ、こんな所まで連れてきて」
「だからー、話があるって言ってるでしょっ」
翌日、萌子にひっぱられて、近くの川原まで連れてこられたオレは
ひどく気分を害していた。
萌子も、なぜか怒っていた。
ピリピリとした空気がオレ達を包んでいる。
「さて、と」
ふと、立ち止まった萌子は、少し声を和らげて
「ここにすわろ」
と言った。そして・・・しばらく、萌子は何も言わなかった。
「何だよ、話って」
沈黙が恐かった。
「いつも・・・煙草、吸ってるの?」
下を向いたまま、萌子が尋ねた。
「ああ」
「どうして?どうして煙草なんて吸うの?」
今度は顔をあげて、オレの顔を真直ぐ見る。オレは顔をそむけた。
「どうしてって・・・気持ちよくなるからさ。嫌なこと忘れて」
「煙草って体に毒なんだよ?毒を吸ってまで、忘れたいことがあるの?」
「い、いいだろ。理屈じゃねえんだ。オレの勝手じゃないか」
萌子は哀しげに首を振る。
「ないんでしょ?本当は」
「う、うるせー。お前はどうせ法に触れるとか言うんだろ。ほっといてくれよ。迷惑かけてないだろ!」
そう言って、軽く・・・つきとばした。
萌子はあっけなく倒れた。
「あ、ご、ごめん・・・」
「なんにも解ってない・・・なんにも解ってないよ、斗貴・・・」
萌子は起き上がろうとしないで、目をつぶって、そうしてぎゅっと握った拳で、目をおおいながら言った。
「何がだよ」
「あたしは・・・法に触れるとか、そんなことを、言ってるんじゃない」
「・・・」
「この前、あんたの友達の彼女が、彼が煙草を吸ってる事に対してこう言ってた。彼が好きなことしてくれればいい、って。私のせい
で彼がかわってほしくないからって。だけど、あたしはそれは違うと思うのよ」
「・・・何故?」
「好きなことできるって、大切なことだと思う。だけど、それは好き勝手するという事とは違う。煙草を吸うのって体に悪いのよ。あたしは・・・」
「・・・?」
「・・・あたしは、煙草のせいであんたが体こわしたらイヤだって思ってるのよ!ばか!」
「え?つまり?」
「早死にとかしたらいやなの!あんた、結構イイヤツだしさ」
「つまり・・・オレの体のこと心配して?」
「斗貴って馬鹿だから。忠告しないと気付かないでしょ!」
強い口調で言い放った萌子は、体をおこして、そして笑った。
「なにポカーンとしてるのよ!口、半開きになってるよ」
くすくす、と楽しそうに笑って、萌子はオレの口元を、軽く手でふさいだ。
「な、なにを・・・!!」
焦るオレを尻目に、萌子は駆け出す。
「斗貴のバーカ」
「なんだと、このやろ!」
しばらく、何もかも忘れて、二人で走り回った。
「はあはあ。疲れた」
「なにやってんだろうねえ、受験生が」
「あ、そういえばオレたち、受験生だったんだ」
「忘れてたの?」
「うん、すーっかり」
「たんじゅーん」
そう言って、萌子はオレをこづいた。
「なにすんだよっ」
「へへっ」
おかえし、っと萌子を殴るふりをする。
「うっ。ヤラレタ・・・」
「お前はこんなんで死なねーよ」
「なんですって、かよわい乙女に・・・」
「え?ここにか弱い乙女なんかいたっけな?空耳かな?」
そうしてしばらく笑ったのち。
「本当に、煙草はやめてね」
真顔になって、萌子が言う。
「そんなにオレが心配か?そうか、さてはお前、オレに惚れたな・・・だから心配なんだろ」
「うん」
「えっ?」
びっくりして萌子の顔をのぞきこむ。
「ぶぶっ。何マジ顔してるのよ」
それまで真顔だったくせに、急に笑いだす。
「お、おまえーっ」
「まだまだ修業がたりないぞよ」
そう言って、真っ赤になったオレの鼻の頭をきゅっとつまむ。
「騙したな!」
「残念に思ったんでしょ?」
「思ってねーよっ!」
ふんっとそっぽをむいたオレに、あいつはやさしく微笑んだんだ。
あれから何度か姿を見かけたりしたが、今だに聞けないでいる。
あの微笑みの意味を・・・
多分・・・オレの期待どうりではないかと思うのだが。
あの時から、オレは一本も煙草を吸っていない。
吸おうとしたら、思い出すのだ。アイツの声を。
周りはみんな、吸っているが、そして勧められるが・・・吸えないでいる。
それは・・・かっこつけてるとかじゃなくて、ただ単純に、あの時
の気持ちを大切にしたいとか思うわけだ。