3 カンニング
何も思っちゃいなかった。
別段、悪いことだとも思ってはいなかった。
いいことだと思っていたわけでもないけれど。
もちろん、罪の意識も全くなかった。
・・・何も思っちゃいなかったのだ。
計画的だった。
今でも鮮明に覚えている。
出題範囲の漢字を全てノート半分くらいの紙に書き、机の中で、
一番上の手前の方に置いておいた。
もちろん、こっそり見ることが できるようにするためだ。
それは以前から・・・数えて4回、成功していた。
何のためらいもなかった。
オレは当然、その日もあたりまえのように、考えているふりをし
ながら下をむいた。
紙をそっと、見える位置まで抜き取り、写しはじめる。
オレは急いで写すのに必死だったし、それにもう5回目というこ
とで気が緩んでいたのだろうか、先生が後ろからゆっくりとオレの
席に近付いてくるのに気付かなかった。
あと一つ、と思って安心のため息をつき、顔をあげた時だった。
先生とオレの目線が合った。
オレは急いで体で紙を机の奥の方に押し込み、目線をそらした。
先生は静かに通りすぎていった。
(先生にばれたかな・・・?そういえばボクの方をじっと見つめて
いたようにも見えた・・・もし、ばれていたら・・・どうなるんだ
ろ?ううん、きっとばれたにちがいない)
幼かったオレの心は不安と、恥ずかしさやなにやらで、すっかり
混乱してしまって、もう何が何だか分からなかった。
心臓がドクドクと波打って、静かな教室で、大きく響いているよ
うに感じた。
ただ、静かすぎる教室が恐かった。
オレの心は沈黙に押しつぶされそうになっていた。
「残念なことですが・・・」
集めてきた答案用紙をぎゅっと握り締めて、教壇の前にたった先生が、いつになく真剣な表情で突然言い出した。
終わったあとの騒がしさが、一瞬のうちに静けさにつつまれる。
「このクラスの中にこっそり答えを見ていた人がいます」
ドクン、と心臓が鳴ったのをオレははっきりと感じた。
(僕のことだ・・・!)
「とても残念に思います。今度から絶対に二度としないようにいてくださいね。した人は、百点だろうと0点にします」
先生の声はもうオレの耳に届いてはこなかった。
(どうしよう・・・やっぱりみつかってたんだ)
不安が一気におしよせてきた。
「じゃあ授業を始めます」
一瞬にして教室内の緊張はほぐれ、さわがしくなってきた中で、
オレはうつむいたままだった。
いや、顔をあげることができなかったのだ。・・・罪悪感と、く
やしさで。
授業が終わった後の、5分休憩の時間。
「おい、斗貴。先生が言ってたカンニングしてた奴を俺、知ってるんだぜ」
クラスのガキ大将のケンと、その仲間の、これまたどこにでもい
る鼻たれ小僧というような奴らが二人。オレの席にやってきて唐突
に言った。
(僕がやったってこと、ばれちゃったのか?こいつらにばれたなん
て・・・もう終わりだ)
ケンとその友達、いや家来というべきか・・・は、口が軽い。
そして噂好きだ。
まあ、たいてい一時間で秘密はクラス中のやつに知れわたる。
いつも人のあらさがしをし、秘密大好き、が彼らなのだ。
「俺、見たんだ。あのいつもおとなしそうにしている藤崎、あいつ
が机の中で教科書をみてたのを!」
「え・・・?」
(そんなばかな・・・!)
オレは一瞬言葉を失った。
「驚きだろ?」
「う、うん・・・それ、本当なの?」
オレには何が何だかさっぱり分からなかった。やっていたのは確
かに自分のはずなのだ。
「本当だって!俺、見たんだ。まあ、信じられないのもわかるけどよ・・・」
ケンは頬を紅潮させて、必死にしゃべっている。
オレはケンの言葉を、ぼんやり聞きながら、考えていた。
(僕のことがばれてたら大変なことになってたな・・・こんな風にクラス中の人に喋るに違いないんだから。よかった。でもあの、おとなしい藤崎さんがそんなことやってたなんて・・・)
オレはしばし、自分も同じ事をやっていたことを忘れていた。
「でもよ、これはみんなには秘密だぜ」
「え?どうして?」
(こんなことがわかったらいち早く伝えるはずなのに・・・そっちのほうが僕にとっても都合いいけど・・・)
「どうしてだって、いいだろ!おい、お前らも言うなよ」
「う、うん。わかったよ」
ケンの家来であるヒロシたちも、不思議そうな顔をしながら、うなずく。
(聞いてもいないのに話し掛けてきたくせに・・・でもどうして今
回に限って口止めするんだろ。・・・そうか、ケンのやつ・・・)
藤崎のことが好きなんだ、と気付く。
(ふふ。判りやすいヤツ。けど、好きなんだったら、わざわざ僕に
話さなくてもいいのに。わかんない行動をとるなぁ)
「お前にだけ、特別に教えてやったんだからな。絶対に誰にも言う
なよ」
「うん。わかってるよ」
オレは素直に頷く。
(だけど・・・どうして僕に言うんだろ。いつもほとんど喋ったり
しないのに)
・・・それは、今になってもわからない。
テストがあった翌日のSHRの時間・・小学校では「帰りの会」
だったのだが・・の前に、配布物があった。
前日行なわれた、漢字テストだった。
漢字テスト、といってもどうせたいしたものではないので、生徒が配るようになっていた。
(漢字テストか・・・ん?待てよ)
昨日、テストが終わった後に言った、先生の言葉を思い出す。
「カンニングをした人は、百点でも0点にします」という言葉を。
(全部合っているのに、0点だったら・・・やってたのは僕だって
配っている人にばれちゃう・・・!どうしよう)
不安が頭をよぎる。
(僕がやったってことに気付いた人は、きっと人に言うだろうな。
そうしたら・・・)
考えれば考えるほど、悪い方へと想像してしまって、なんだか情けない顔になる。不安になる。
体中のあなから汗が噴き出してくるような錯覚に陥る。
「はい」
青い顔をして、ぼぉっとしていると、クラスの女の子がオレの机の上に、すっと紙きれをのせた。
・・・問題の、答案用紙だ。
(とうとう・・・)
オレは絶望した。
心なしか、女の子はオレを侮蔑している様に見える。
(・・・ケンの奴、やってたのが本当は僕だって知ったら、僕のこ
と、どう思うだろ。あの時、藤崎がやったという事実にすっかり驚
いちゃって、まるで自分がやってないかの様に、振る舞ってしまっ
たからな・・・)
軽蔑されるのではないか。
「なにぼーっとしてんだよ」
「うわあっ」
ふいに肩をたたかれて動揺してしまい、その拍子に用紙がひらり
と床に落ちる。
(ああっ)
ケンの声だ。もうおしまいだ。そう思って目をつぶった時。
「なんだ、100点かよ。おもしろくねえの。そのあわてぶり、絶対に悪い点数だと思ったのによ」
「えっ???」
落ちた用紙に目を向けると、赤い、大きな{100点}という数
字が、堂々と、まるで王様のように、書いてある。
ご丁寧に、100点の時だけ押してもらえる{やったねハンコ}
も、ある。
(どうして・・・?)
そのナゾは解明されないまま、帰りの会は始まった。
「今日のお知らせは・・・」
先生が教壇の前で、色々話をしているのだが、ちっとも聞こえて
こない。
(本当に、ばれてなかったのかなぁ?)
そう思って、肩の力を抜いた時・・・
「斗貴、さっき先生から伝言。帰りの会終了後、職員室にこいってさ。なんでも委員会のことで話があるからって」
と、当時オレの親友だった高志がオレの肩をたたいて言った。
「委員会のこと?」
「うん」
「僕は体育委員だけど、先生は確か・・・」
「保健委員の担当だったよな」
「うん・・・ま、とにかく行くよ」
「じゃ、外で待っとくわ」
「うん、ごめん」
滅多に入らない職員室のドアをガラリと開ける。独特な臭いがする・・・ような気がする。
先生はオレの姿をみとめると、手招きした。
「荷物は持ってきている?」
「はい」
オレはまた4階まで荷物を取りに帰るのがおっくうなので、直接職員室に持ってきていたのだ。
「そう・・・」
先生はちょっとほっとしたように言った。
「漢字テストの用紙、出してくれる?」
(!!そうか!)
「もう、わかってるわね」
「はい・・・」
オレは下をむいた。
「もう、しないわね」
100点、と書いてくれたのは、オレのためだった。
オレが、クラスのみんなに、馬鹿にされないように。わざと、そう書いてくれたのだ。
そして職員室に呼んだ時も。 {委員会のことで}なんて、無理な嘘をついてくれたんだ。
オレが、オレでいられるように。
「もう、しませ・・・」
そこまで言った時。
もうオレには何も見ることができなかった。周りが、ぼやけて。
少しの悔しさと、恥かしさと、そしてほんのちょっぴり、ほっと
して。
{0点}の字がぼやけて、消えた・・・