2 いい大人になるってどういうことですか?
オレは一度、先生を泣かせたことがある。確か・・・中学1年の時だ。
その頃、オレの周りの友達は先生に逆らうということを知らず、先
生は絶対的な存在だった。いや、オレにしたって先生とは逆らいがたい存在だった。
当時・・・いや、今でもだが・・・嫌いな数学の先生が、みんなが一生懸命に問題を解いているさなか、オレ一人シャーペンを指の
うえでくるくる回しながら窓の外を眺めていたからだろう・・・近付いてきた。
「及川くん、問題はもう解いたの?」
化粧の匂いがぷーんと辺りに広がった。けっしていい香りとはい
えない、オレにとっては悪臭そのものだ。
「・・・解いてません」
オレは素直にそう言った。
「じゃあ外ばっかり見てたらだめじゃない。これはテストに出るところだから、しっかりやらないと」
「だってわからないんだもん」
「ちゃんと家庭学習をしてこないからでしょ。こんなのが解けないようではテストでいい点数はとれませんよ」
「センセイ・・・テストでいい点数をとるのはそんなに重要なこと
なのかなあ。僕にはわかんない」
「そりゃあ、大切なことですよ。みんながんばってるでしょ。及川くんもやらなきゃダメ」
「みんながやることは僕も絶対やらなきゃだめなの?そんなのおかしい。みんなはみんなであって、僕は僕だと思うんだけど・・・」
先生は嫌そうな顔をしてこう言った。
「屁理屈はいいから・・・とにかく問題を解きなさい」
「どうして?」
みんな問題を解く手を止めて、ことの成り行きを見守っている。
「今、あなたがやらなければならないことは問題を解くこと。いいわね?」
先生は、これでおわりだ、というように言いきった。
「待ってよ、センセイ。僕にはわからないよ。テストのためにするなんて。どうして、人間は勉強しなきゃならないのかなあ」
先生はため息をつくと、オレの言葉を無視して、席を離れていっ
た。その時、オレの心にふつふつと怒りがわいてきた。
「どうして離れていくのですか。センセイはまだ、僕の質問に答え
てない」
少し強い口調で言ったからだろう、先生はちょっとビクッとしてこちらをむいた。
「テストの点数がよくないと、いい高校に入れないのよ。少しでも
いい高校に入って、いい大学にはいって・・・」
先生はゆっくり、オレをさとすように言った。しかし、オレの心
にまたも疑問符が出てきた。
「いい高校って?それはいわゆる偏差値が高い高校のことですか?それがなぜいい高校だといえるんですか?学力だけで人間をしきりのある箱にわける。そんな社会に僕は疑問をかんじます。だいたい、学力の高い者がいい人間だとはかぎらないと僕は思います」
「あなたは・・・まだ子供だからわからないだろうけどね、学力のある者、真面目に頑張る者、それらの人々がいい大人になるのよ」
何を言ってるんだ?この人は。
オレには先生が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
そして、とてつもなく反抗したい気分になった。
「へぇ・・・子供、ですか。そうでしょう。確かに僕は子供だ。でもね、センセイ。子供をあまりみくびらないほうがいいよ。大人のように、偽りで黒い心ではない。大人のようにずるくない。汚れた心ではないのだからね」
下目づかいで先生を、にらむ。
「いい大人になる、って一体どういうことですか。頭のいい、子供ではない、大人であるセンセイなら答えられるでしょう。しかし僕はあえてここで言わせてもらう」
オレは大きな深呼吸をした。
「あなたのような人間が、いい大人だというなら、僕はいい大人なんかになりたくない。先生に反抗しない、成績だけがいい、そんな
異常な人間をつくりだす、あなたのような人間にはなりたくない」
先生はみるみるうちに顔が青ざめ、教室を出ていった。目には涙が浮かんでるように見えた。
オレはざわめく教室の中で一人、冷静な目で先生が去った後のドアを見つめていた。
「センセイ・・・あなたは間違っている」
ポツリとつぶやいた言葉。何人が気付いたことか。いや、おそら
く気付いた者はいなかっただろう。
しかし、こういう考え方が、社会に染みついていることも、オレは知っている。
実際に、偏差値を1つでも上げる、成績をあげる、そんなことに必死になっている大人と子供がたくさんいる。まるで機械のように。
そんな社会はやはり狂っているのではないかとオレは思う。
しかし、オレのような考え方をしているものが少ないことも知っている。
でもオレはそんな社会は絶対に嫌だし、つまらない大人にもなりたくない。
・・・そういえばオレが自分のことをオレと言いはじめたのはいつからのことだったか・・・