「観察」
近所に住むサトシくんは少しおかしい。
サトシ君は私より少し年下で、いつも顔色が悪く、無表情だった。
サトシ君のお母さんは日中は家で寝ているか、サトシ君をいじめて喜んでいる。
そしてしきりに煙草をふかす。
夜になるとお母さんは厚化粧をして派手な服を着て出ていく。
唇が赤く、ぬれぬれと光る。まるでおにばばか蛇みたい。
私はいつもここからそんな様子を観察しているのだ。
「水商売ですって。子どももまだ小さいのに…ひどい女よ」
周りのおばさんがそんなことを言っているのを何度か耳にしたことがある。
きれいな人だったからやっかみもあったかもしれない。
いつも無表情なサトシ君だったが、お母さんにぶたれているときだけは苦痛に顔をゆがめる。
たまにうめき声や叫び声が聞こえてくる。
私はそんな時、息を潜めてじっと耳を研ぎ澄ます。
そして色んなことを想像するのだ。
苦痛に身をよじるサトシ君。
泣き叫ぶサトシ君。
無表情のお母さん。
―――二人とも、きれい。
私は興奮で頭が真っ白になる。
いつのまにか気を失っていた。
時々、外に一人でいるサトシ君の姿を見ることがあった。
お母さんが寝ている間、そっと抜け出してきたらしい。また、怒られるのに。
私はそれをここから見ていた。
そしてサトシ君は地面をじっと見る。
コンクーリートの上に黒い小さなものが蠢く。
アリ。
それを片手で摘む。藻掻くアリ。
ああ、またやるのだ。アレを。
私もじっと見る。
サトシ君は小さなそれの足をまず、一本一本ちぎっていく。
(「僕はいらない子だったんだよ。お母さんがよく言うんだ」)
サトシくんはつぶれたランドセルを横にしゃがんでいる。ほんの2ヶ月ほど前にはまだきれいだったランドセル。
(「プチップチッて音がするんだ。はかない命の音が。」)
一度、私がそばで見ていたときサトシ君がつぶやくように言っていた。
なんて心地のいい音。うっとりしてしまう。
サトシ君は無表情のままその作業を繰り返す。
プチ、プチ…
バラバラになったモノが積み重ねられていく。
夜、音を聞いたような気がして、私は窓を開けてみた。
救急車が近くを通ったみたいだった。
昼間の暑さとうってかわって涼しい風がカーテンを揺らす。
チラリと白い布が一瞬視界を覆う。月はない。
この先にあるのは闇。闇、闇…
それ以来、サトシ君の声が聞こえることはなかった。

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