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【アーティスト ステイトメント】



 このステイトメントを書くにあたって、改めてモチーフという言葉の意味を調べてみました。


  モチーフ絵画、彫刻などの芸術作品で表現の動機、きっかけとなった  

              中心的な思い、思想


とあります。つまりモチーフとは決して唯物論的な対象物を表わす言葉では無くて、アーティスト自身を創作へと向かわせる内面的な動機、精神性が重視される言葉であるのだと理解出来ます。


 当然の事ながら私は、私の意識の内に興るインスピレーションに従って作品を作っています。即興的に作品を作る私にとって形而下の世界(現世的対象物)は作品のモーチーフとは成り得ず、それはあくまでも意識の内に興る “イメージ” 又は “存在の情報” とでも言えそうな意識のエネルギーを物質に変換しているのだと考えています。其処に具象的な対象、言葉に置き換える事が出来るものは存在していません。 


それではその意識のエネルギーとは一体何なのでしょう? 

インスピレーションは何処からやって来るのでしょうか? 

そもそも意識と言われるものの源泉は一体何処にあるのでしょう?


 生まれた時から常に自分と共にある“意識”という対象が、私にはとても不思議な存在に思えるのです。それは単に脳のニューロンと電気信号から生み出される物理的な現象なのでしょうか? わたしにはどうしても単純な物理現象には思えないのです。
単なる物理現象で片付けられる程の事ならば、私はとっくに作品作りを止めているかも知れません。 

荒唐無稽な考えだと一笑に付される様にも思われますが、もしかするとその源泉を探って行けば宇宙意識と呼ばれるものにたどり着くのかも知れませんし、或は神と呼ばれる存在につながるのかも知れません。


ハッキリとは分からないからこそ知的好奇心をそそられる訳ですし、尽きることの無い創作のためのエネルギーを生み出してくれるモチーフと成り得るはずです。

現代の医学や科学を持ってしても、〈意識〉や〈心〉と言われるものを定義する事は出来ないのだといいます。やはり論理では割り切れない“何か”がそこには有るのでしょう。

定義は出来なくても私の意識の内にはインスピレーションが沸き興り、私を創作へと駆り立てます。私はそれに素直に従い、作品を作り続けます。
そうする事が己の意識や心を理解する手立てになるのだと信じているのです。




【即興的表現について】 


 即興とは表現者の意識の最鋭端部を駆使した表現だと考えます。

感覚を研ぎ澄まし、右脳に興った意識のエネルギーの様なものを可能な限りダイレクトに、鮮度を保って表出させるための表現方法なのです。


“可能な限りダイレクトに” とは、左脳に割り当てられた仕事、つまり論理的な思考や言語的な解釈を介さず、そっくりそのまま形に置き換える事を意味しています。


 ここで一つ私なりの考えを記しておきます。

作品を作るのは、当然の事ながら私自身の意志が反映された行為です。

しかし、そこに私自身の意図が入り込み過ぎると、作品は途端に面白味を無くし、死んだような作品になってしまう、私は過去に何度もこのような経験しました。

もともと生き物では有りませんから死んだ様な作品と言うのもおかしな話だとは思いますが、死んだような作品と、生き生きとした作品の間には厳然とした差が有り、
其処から発している何かしらのエネルギー量が違うのです。

そして“私の意図が入り込み過ぎる”とは、左脳に仕事をさせ過ぎる事に通ずるのだと考えます。

 実のところ最初に記した“右脳に興る意識のエネルギー”が一体何者なのか?  
私には適切な言葉が思い浮かびません。

可能な限り意識をフラットに保ち、目の前の素材に集中して行くと、心は静かになり
無意識の状態に近づいて行きます。  ただ集中すれば良いのです。

そしてある瞬間、唐突にそれが頭に浮かびます。 これが、インスピレーションの
やって来る瞬間です。


 かつてジャクソンポロックは「わたしの絵の源泉は無意識である。」と言いました。
「私が自然だ。」とも言っています。

彼の意識が自然と同化して、ポロックという個が消滅した時、あのドリッピングによる素晴らしい作品群が生まれてのかも知れません。彼の作品を理解するためのキーワードは〈無意識〉だと言えそうです。


そしてもう一つ、ある神道家がこんな事を言っています。


「芸術とは、天界の波動を表現したものです。」


 実に端的に一つの真理を語った言葉ではないでしょうか。

天の波動を敏感に感じ取り、そして誰もが目にする事が出来る作品としてこの世に送り出す事、芸術家はそんな役割を担っているのだと思います。