チョコレート狂詩曲 後編
2月は瞬く間に過ぎ、月が替わった。バレンタインからちょうど半月。僅かずつながら顔を覗かせはじめた春の気配とは裏腹に、景吾は、すっきりと晴れない気持ちを抱えていた。
3年生は卒業式を残すだけとなり、式の練習日を除いて自由登校になっていた。内部進学が危ぶまれた亮も、景吾の助力によってなんとか試験をパスし、無事に高等部への進学を決めた。すでに高等部のテニス部にも何度か顔を出している。卒業式を終えれば、本格的に練習に参加することになる。
卒業生代表で答辞を読むことになっている景吾は、その打ち合わせで登校した帰り、迎えの車を断って一人歩いていた。
は、あのバレンタインの返事をどうするのだろうか。の性格からして、貰いっぱなしでそのままにしておくということはあり得ない。
まだ冷たい風に、マフラーに顎を埋める。カシミヤの柔らかな肌触りと温もりが、かえって景吾を人恋しくさせた。
背後から、景吾を呼ぶ声があった。振り返れば、の姿があった。
「今日は登校日だったのか? でも、亮のヤツ家にいたな」
「答辞の打ち合わせ」
「そうか。生徒会長は大変だな。ご苦労さん」
「元だよ」
景吾の隣に並んで歩き出したは、思い出したように切り出した。
「そうだ、ちょうど良かった。景吾に頼みたいことがあったんだ」
「…なに?」
が言おうとしていることは予想ができた。景吾は、ぎこちなく問い返した。
「どうせ亮のヤツが話しただろうけど、相手の子、俺にチョコくれたんだけど、その子、生徒会の後輩なんだって?」
「うん…」
「それでさ、景吾に頼みたいことっていうのは――」
そして、それから半月後の3月14日。ホワイトデーを迎えた。
生徒会主催による送別会の準備のため下校が遅くなった は、校門の前に思いがけない人物を見つけて、目を見開いた。
「えっ…! どうしてここに……」
「景吾から、今日は生徒会で残ってるだろうって聞いた」
黒いバイクに身を預けて、が立っていた。1ヶ月前とは逆の形だ。驚きで足を止めたままの彼女に、は歩み寄った。
「えーっと、まずはこの間のチョコのお礼」
は、白いリボンがかかった淡い水色の包みを、彼女の手に乗せた。
「あのとき俺、てっきり亮にだと思ってさ。お礼も言えなくてゴメンな」
「いえ…たぶんそうなんじゃないかって後から思ったんですけど…。わたし、あのとき緊張していてちゃんと説明もできなくて……すみませんでした」
「ありがとな」
「そんな…」
「でさ、返事なんだけど」
「…はい」
「気持ちは嬉しいんだけど、やっぱり付き合うとかはできないわ。ごめんな」
「…いえ、いいんです。わたし、跡部会長たちとお話されてるさんがすごく優しそうだなって。跡部会長はいつも厳しい方ですけど、そんな跡部さんがあんなに柔らかい笑顔をされていて。わたし、見てるだけで幸せで、気持ちを伝えられただけでよかったんです。まさかこんな風にちゃんと返事してもらえるなんて思ってなかったから…嬉しいです」
頬を染めた彼女は、恥じらいながらもしっかりとの方を向いて笑顔を見せた。
「あの…また試合の応援に来られますか?」
「あーどうだろ。行くかもしんないけど」
「そしたら、そのときはお話させてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろん」
「景吾、待たせたな」
校門からは死角になる角で待っていた景吾のところへ、バイクを押したがやってきた。そのまま、二人は並んで歩き出す。
「よかったの?」
「ん。いい子だと思うけど、相手のことよく知らずに付き合えないだろ」
誰に対しても誠実な、らしい答えだと思う。けれど、景吾には納得できないところがあった。
「兄さん…。俺たち、兄さんの邪魔になってないかな…」
「邪魔ってなんだよ。おい、景吾。ちゃんと俺の顔見て言えって」
素早くバイクのスタンドを立てたが、景吾の正面に立った。両肩に手をやり、地面を向く景吾を覗き込んで視線を上げさせる。こういうときのは容赦がない。
「…兄さんは、いつだって俺たちの我侭を聞いてくれて。自分のことよりも俺たちのこと優先してくれるけど…。でも、それじゃ兄さんが…」
「あのなぁ。どうせあたりから何か聞いたんだろうけど…」
まったく、余計なことを言ってくれる。心中で親友への恨み言をぼやきながら、は、頭をガシガシと掻いた。
「でもな、あれは先におまえと約束してたからで。俺は、駄目なときは駄目だって言ってるだろ」
「そう…だけど…」
「言っとくけどなぁ。俺は自慢じゃないが、おまえらのことを邪魔だなんて思ったこと、一度もねーよ。だから、余計なこと気にすんな!」
真っ直ぐに景吾を見つめるの瞳に嘘はない。の笑顔は、いつだって景吾を安心させてくれる。だから、いつも甘えてしまうのだけれど。がいいというのだから、もう少しこのままで、弟として甘えていよう。胸の支えがおりた景吾は、晴れやかな笑顔でに頷いた。