始まりの春.2










「志穂ちゃん・・・」
 俊也は言葉を失くして志穂を凝視している。
 あまりにも呆然とした様子の俊也を見ていると、そんなにも迷惑なんだろうかと、志穂はなんだか悲しくなってきた。
「・・・あ、あの、その・・・俊也くんを、困らせたい訳じゃなくて・・・ただ、その・・・伝えたかっただけなの、私の、気持ち。だから、あの・・・迷惑なら・・」
「・・・迷惑じゃないよ。ただ、ちょっと吃驚しただけなんだ」
 俊也はそれでもまだ信じられない、と言った様に、志穂の瞳を真摯に見つめてくる。
 彼の真意を図りかねて、志穂は不安げに俊也を見つめ返した。
 志穂の告白を「迷惑じゃない」と言ってくれた、その意味は何なのか。
 それに続く言葉が、肯定なのか否定なのかが全く読めない。
 俊也と一緒にいて、彼の沈黙がこんなに重く感じることなど、今までにはなかったことだ。
 このまま彼が口を開いてくれるのを待つのがいいのか、こちらから何か声をかけた方がいいのか、志穂には判断しきれない。
 どうしたらいいんだろう。
 志穂はだんだん、胸が締めつけられるような痛みを感じ始めた。
 意図せず、眉根がきゅっと寄せられる。
 その様子を見て、俊也は軽く瞠目して椅子から立ち上がり、志穂の隣へと移動してきた。
「・・・志穂ちゃん」
 俊也の手が頬に当たる。そっと、包むかのように。
「俊、也、くん・・・」
「僕が触れている君は、本物だね・・・夢じゃ、ないんだな」
「・・・え?」
 今度は志穂が瞠目する番だった。
 俊也はゆっくりと微笑んで、椅子に座る志穂の目線と自身の目線を合わせるように膝を少し屈める。
「・・・もうすぐ、高校生なんだから・・・もう、許されるよね、きっと。志穂ちゃん、君が好きだよ。智史の妹だからじゃなくて、ひとりの女の子として」
「俊、也、くん・・・ホントに・・・?」
 志穂はにわかには信じられなくて、まじまじと俊也を見つめてしまう。
 ずっとずっと望んでいた言葉の筈なのに、いざ、言われてみると実感がない。
 あまりにも呆然としている志穂に、俊也は苦笑して頬に触れていた手を外し、彼女の両手を握った。
「うん、本当だよ。僕は・・・もうずっと、君をひとりの、大切な女の子として見てきた。でも、君はきっと、僕が智史の親友だから、ずっと知ってる兄のような存在として、好意を持ってくれているだけなんだろうと思っていたんだ」
「そんな・・・一体、いつから? いつ頃から、私のこと、そんな風に見てくれてたの? 俊也くん」
 志穂の縋るような、必死な眼差しに微かに苦笑して、俊也は手を放し、彼女の正面に座れるよう、椅子をずらして配置した。
「・・・僕の母が亡くなった時のこと、覚えてるかな? まだ、君は5歳になる直前だったから、覚えてないかもしれないけど」
「うん・・・ごめんなさい、覚えてないと思う」
「そうだろうね」
 俊也は笑みのまま頷く。
「・・・まだ、幼稚園児だったんだもんなあ・・・だけど、当時から君はとてもやさしい女の子だった。香穂ちゃんも可愛い子だったけど、そこはやっぱり、下だからかな、君とは全然違って・・・君は、智史と香穂ちゃんに挟まれて、きっと互いの調停役だったんだろうね、あの頃から既に。あの日・・・・君はね、僕を心配して、側にいてくれたんだよ、ずっと」
「・・・・・そう、なんだ」
 全く記憶になくても、俊也が語ることだから、真実なのだろう。
 どこか呆然としたような志穂を、俊也は穏やかな瞳で見つめる。
「・・・父や姉の前では泣けなくて、ましてや、弟の前で泣くわけにはいかなくて、僕は葬儀の場所として整えられた1階の集会所から抜け出して、1人でこの部屋に戻ったんだ、誰にも言わずに。絶対、見られてないと思ってたら、君に見られてたらしくて。まだ、小さい君が、1人でエレベーターに乗ったってことだけで、今考えるととんでもないことなんだけど、でも・・・君は1人、僕を追いかけて、この部屋に来てくれた。電気もつけずにいたから、怖かっただろうに、それに、重い扉もよく1人で開けられたよなって思うけど、君は息を切らして、中に入ってきて・・・ 泣いていた僕の隣に、ちょこんと座って、頭を撫でてくれたんだよ」
「・・・ぜ、全然、覚えてない・・・」
 志穂はそう答えて両手を自分の頬に当てた。
 でも、そこでふと、断片が頭の中に過ぎる。
「俊也、くん・・・それって・・・もしかして、夏、だった?」
「うん。夏の初めだったよ」
「・・・夜空を、見上げた覚えがあるの・・・誰かと。白いレースのカーテンが風に揺れてて。ぎゅっと、手を握ってた、気がする・・・」
「・・・うん。確かに、君は手を握ってくれたよ、頭を撫でた後に」
 俊也はその『時』を再現するかのように、志穂の右手をそっと握る。
「小さかったからか、僕の母の死、というものが解らなかったせいなのかは判らないけどね、君は黙って、僕の隣にいてくれたんだ。でも、その温かな手は、間違いなく、僕の心を温めてくれたんだ。母に二度と会えない、そのことを実感しながらも、ああ、まだ僕には温もりがあるんだなって、思えて・・・それからだよ、君を1人の女の子として意識するようになったのは。ただ・・・やっぱり、君は僕より3つも年下で、智史の大事な妹で、だから、簡単に想いを告げることは出来ないなって思ってた。少なくとも、君が高校生くらいになるまではって。でも、僕は・・・大学を 地方に行くと決めてたし、側にいられなくなるのに、告白なんかしたら、絶対君を困らせるだろうって思ってたし、黙っているつもりだったんだ。それを、君は・・・」
 俊也はニッコリと笑う。
「好きだよ、志穂ちゃん。・・・すぐに仙台にいってしまう僕だけど、僕の彼女になってくれますか」
「うん、勿論! 大好き、俊也くん」
 頬を染めた志穂の笑みに、俊也も笑顔のまま頷いた。
 簡単には会えない距離になってしまうのは寂しい。けれど、次に会える楽しみが出来ることにもなる。
「あ、あのね、もう少ししたら、私も携帯電話買ってもらうの。そうしたら、俊也くんにメールするね」
「ありがとう。なら、僕のアドレスは先に教えておくよ。・・・そうだ、明日、もし良かったら少し出かけない? 今貰ったこのプレゼントのお礼をしたいんだけど」
「ホントに? お礼、は別にいらないけど、俊也くんとお出かけ出来たら嬉しい」
 志穂の輝くような瞳に、俊也の心も弾む。
「なら、明日、10時半にマンションの1階で待ち合わせようか。それでいい?」
「うん!」
 満面の笑みで頷いた志穂に、俊也も笑みを返す。
 想いが確かに通じた喜びに、志穂は踊りだしたくなる程の高揚感を覚えていた。
 春休みに入った今日、知香は家にいる。
 少し先に、と言われていた携帯電話を早く買ってもらえるよう、交渉してみよう。
 志穂はそう決意した。
「・・・じゃあ、俊也くん、また明日ね」
「もう帰るの? 志穂ちゃん」
 少し残念そうな俊也に、志穂ははにかんだ笑みを浮かべた。
「うん・・・ちょっと、お母さんにおねだりしたいから。・・・明日、楽しみにしてるね」
「・・・うん、僕もだよ。・・・じゃあ、また」
 また、明日。今までのような幼馴染ではない関係で、明日には会える。
 そう思うことで、俊也は笑みを作る。
 でも、やはり名残惜しい気がして、玄関のところで靴を履いた志穂の手をそっと引き、ふわりと抱きしめた。
「と、俊也、くん・・・」
「好きだよ、志穂ちゃん」
 囁くようにそう告げて、俊也は志穂を解放した。
 志穂は耳まで赤くなっている。
「・・・志穂ちゃん・・・」
 俊也まで目元をほんのりと染めた。衝動のままに行動してみたけれど、冷静になると恥ずかしい。
「・・・あ、あの、明日、下で待ってるね。じゃあ、また」
「うん、また明日」
 半ば逃げるように出て行った志穂を見送って、俊也は安堵の溜息をついた。
 そして、志穂もまた。幸せな溜息をついて、自宅へと戻った。


 これから始まる恋人同士としての時間に、期待を感じながら。






END







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