The Sweet Pain.7












「智史・・・」
「・・・色々、言いたいことはあるが、こんなところを親父さんに見られたら大変だから、とりあえず、今夜は帰るわ、俺。明日、また話そう」
「あ、うん。でも、明日は土曜日で、智史、バイトなんじゃ」
「明日は午前中だけだから、午後には空く。お前こそ、予定は?」
「私は、特に何も」
「なら、バイト済んだらメールするから。それでいいか?」
「・・・うん」
 本当はこのまま離れたくはない。しかし、総一郎におかしな誤解をされるのも厄介なので、あきのは小さく頷いた。
「じゃあ、また明日な」
「うん、おやすみなさい、智史」
「ああ」
 智史は玄関を出て行った。
 それを見送りながら、あきのはぶるり、と身震いする。
「暖房、つけるの忘れてたわね・・・」
 総一郎が帰宅するまでに、リビングを暖めておこうと思い、あきのはエアコンのスイッチを入れた。







 メールは昼過ぎに入ってきた。
 あきのは珍しく家にいた総一郎に、出かける旨を伝えて家を出る。
 待ち合わせは駅前近くにあるカフェ。この店のケーキセットはあきののお気に入りだ。
 智史も、この店のコーヒーを気に入っているので、時々、一緒に利用する。
 あきのが店の扉を押し開くと、智史は既に席についていた。窓の側の、4人掛けのテーブルだ。
「よう」
「バイトお疲れ様、智史」
「親父さんは? 今日も仕事か?」
「ううん、それが珍しく家にいたの。夕方には戻るって言って出てきたんだけど」
「・・・ま、それが正解だな」
 智史ははあ、と溜息をついた。
 オーダーを取りに来た店員にミルクティーを注文して、あきのは少しだけ視線を下げた。
「・・・あの、昨日は、その・・・ごめんなさい。私・・・なんか、どうかしてた、みたい」
 朝になって、冷静に考えたら、恥ずかしいことばかりだった。
 智史の気持ちを疑って、不安になって、信じられなくなるなんて。その上に『手を出してほしい』と迫るような真似をするなんて、恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいだ。
「・・・いや、俺も、悪かった。やっぱ、飲むと普段通りじゃなくなっちまうな」
「う・・・それは、思う」
 やはり自分は飲み会には向かない。あきのはしみじみとそう思った。
「・・・けど、社会人になっちまったら、全てを避けては通れねえだろうし、程々を見極められるようにした方がいいな、お前は」
「う・・・はい」
 神妙な様子で頷くあきのに、智史は苦笑しつつ、昨夜の居酒屋での彼女を思い出して溜息をつく。
「でないと、昨日みたいに、ヘンな野郎どもが寄ってくるからな。・・・月曜日、また大学で会うだろ? 平気か? あきの」
「・・・うん、何とか。ただ、あまり係わらないようにはするわ。今までも、あまり接点なんてなかったんだけど」
「それがいいな。万が一、しつこいようなら俺に知らせろよ? それから、お前も、隙見せるな。付け込まれるぞ」
 じろり、と睨まれて、あきのも少しムッとする。
「隙なんて見せてないわ。・・・智史こそ、何でもないって言ってはいるけど、誘惑されたんでしょ、あの綺麗な先輩に」
「・・・いや、だから、それは昨夜説明しただろ? 確かに誘われたけど、ちゃんとはっきり断ってる。それに、綺麗かぁ? 毬乃先輩って。色気はあるけど、俺は別に綺麗とは思わねえし」
 眉間に皺を寄せながら答えた智史に、あきのは少し瞠目した。
「綺麗、だと、思わないの?」
「思わねえ。綺麗ってのは・・・」
 言いかけて、智史は言葉を途切れさせ、視線を彷徨わせる。
 その様子に、あきのは怪訝な表情になった。
「・・・何? 智史にとってはどんな女性(ひと)が綺麗なの?」
「・・・・・」
 智史には簡単には答えられない。
 綺麗だと思うのは、唯一人。目の前にいる、あきのだけ。
 脳裏に、昨夜の白い肌が浮かぶ。
 あれ以上に綺麗なものを、智史は知らない。
 しかし、そんなことを素直にあきのに伝えられる筈もない。
「・・・智史? もしかして・・・まだ、居るの? 誰か、あなたの気持ちを惹きつける女性(ひと)が」
 あきのが幾分か青ざめると、智史は慌てて首を振る。
「違う違う! んなモン、居る訳ねーだろ。その・・・俺が綺麗だと思うんは・・・・・お前、だ」
 最後の方は声がかなり小さかったが、あきのの耳には届いた。
「智、史・・・」
 あきのの頬が、見る見る真っ赤に染まっていく。
 あまりにも素直な反応に、智史は笑いが込み上げてくる。
「お前・・・すんげー顔」
「・・・や、だ、だって、そんなこと・・・私、綺麗なんかじゃ」
「・・・いいんだよ、俺にとってはそうなんだから」
 微妙に視線を上へと逸らしながら、小さめの声で告げる智史に、あきのの胸に甘い痛みが広がる。
「智史・・・」
「・・・まあ、その、俺にしてもお前にしても、こうやって別々の大学に居て、別々の時間過ごしてる以上、接する人間関係が違うのは当然だし、それについて、ヘンに詮索したくもねえし、お互いを信じて、周りとは節度あるつき合い方をするしかねえんだよな、要するに。 ・・・ただ、来年、国試受けて、受かって卒業して、内定もらったら、もう誰にも遠慮はしないからな。お前が嫌だって言っても、親父さんにも。覚悟、しとけよ?」
「えっ、それって・・・つまり、昨夜の続き、ってこと?」
「・・・そう考えてくれていい」
 本当の目標は少し異なるが、的外れではないので、智史は頷いた。
 あきのは頬を染めたまま、ゆっくりと、頷く。
「・・・解った。私も、ちゃんと、覚悟、しとくね」
「・・・ああ。ま、その前に国試、受からねえと話になんねぇけどな」
「・・・だね。もう、あと1年しかないんだものね」
「そういうこった。・・・けど、それが最低条件だもんな、お互いに」
「うん」
 理学療法士と看護師になるためには、絶対に通過しなければならない道。
 そのために現在、学んでいるのだということを、改めて思う。
 互いの未来のために、そして、叶うならば。
「・・・あきの」
「・・・何?」
 あきのの真っすぐな瞳と、微笑み。
 智史にとって、とても大切なかけがえのないもの。
 護っていきたいと思う。これからもずっと。
 今はまだ、言葉には出来ない想いを、智史は心の隅に置く。
 出来ることならば、彼女にも同じ想いを抱いてほしいと願いながら。
 しかし、とりあえずは実現出来そうなことを、一緒に。
「・・・もしも、親父さんの許可が出たらだが、イルミネーションでも見に行くか? 近いうちに」
「ホント? 行きたい!」
 この時期ならではのお誘いに、あきのの瞳が輝く。
「なら、この後、親父さんに話しに行くか」
「いいの? ・・・ぐちぐち言うかもしれないわよ、お父さん・・・」
「・・・まあ、覚悟の上だ」
 苦笑しながら智史は軽く肩を竦めた。
「親父さんに黙って連れ出したりしたら、それこそネチネチ言われそうだからな。反対されたら・・・悪いが諦めてくれ」
「・・・智史とイルミネーション見たいから、頑張って説得するわ」
 ぐっと拳を作るあきのに、やはり笑いが込み上げてくる。
「ちょっと、智史・・・笑うことないじゃない」
「いや、あまりにも素直っつーか、そんな必死にならんでも、と思っただけだ」
「だって、智史と一緒に出かけたいんだもの。・・・智史は、違うの?」
 心持ち心配そうな表情になったあきのに、智史は微かな笑みを浮かべる。
「嫌なら誘わねえって。・・・許可、もらえるといいな」
「うん」
 満面の笑みで頷くあきのに、智史も満足そうに頷いた。

 






END






 

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