風は秋色







 11月の半ばを過ぎた土曜日。
 智史とあきのは少し遠出をして、横浜へ行くことになっていた。
 以前から、あきのが行きたいと言っていたこと、夏休みの間にバイトをして少し収入が得られたことなどを踏まえ、智史が計画したのだ。
「智史とこんな風に出かけるの、久しぶりね」
 電車に乗りながら、あきのが微笑む。
 大学生となった2人は、それなりに忙しくしていて、会うことを優先するとどうしても近場で、となってしまう。ましてや、あきのの義母・倫子が再び働き出したこともあって、あきのは時々弟の悠一郎の世話を任されることもあった。
 2人で会う日に弟守りが入ると、必然的に会う場所は椋平家ということになる。
 だから、電車に乗って出かけること自体が、おそらく夏休み以来、ということだ。
「なかなか出かけられなくて悪いな」
「あ、ううん、出かけられないのはどっちかって言うと私の側の都合なんだし、智史が謝ってくれる必要はないと思う」
 あきのは苦笑しつつ、隣に立つ智史を見上げた。
「まあ、確かに、悠一郎がまだちっこいからってのはあるよな。けど、俺もサークルでバタバタしてっから」
 智史は陸上サークルに入っている。部活動程の本格的なものではないから、比較的自由なのだが、元々運動するのが好きな彼には良き活動の場となっていて、週3回はきちんと顔を出して走っている。
「あきのは特に何もしてないんだったな」 
「うん。やっぱり悠ちゃん優先だからね。昼間は保育所だけど、夜はそうはいかないし、倫子さんは時々取材の時間がおしてお迎えの時間に間に合わなかったりするし・・・そうしたら、私がフォローするしかないから」
「だよなぁ」
 まだ、10か月にもならない悠一郎は手がかかる。ハイハイを始めるようになったから余計に。
「でも、悠ちゃん、智史のこと大好きみたいよ。智史が家に来てくれると凄く嬉しそうなんだもの」
「・・・そう、か?」
 智史は眉根を寄せる。
 小さい子供はどちらかというと苦手なのだが、男の子だというのがあるのか、あきのと共に生まれて間もなくから見てきたからか、悠一郎に関してだけは、苦手意識は薄目ではある。しかし、可愛くて仕方がないという訳でもなく、扱いに戸惑うことが多い。
 それなのに、悠一郎に好かれている、とはとても思えなかった。
「未だに判んねーんだけど、悠一郎の扱い方」
「そう? そんな風には見えないよ、抱っこしてくれてるとことか見てると」
 特に、3か月で首が座ってからは、智史は危なげなく悠一郎を抱いているように見える。身長が178cmある智史は、掌も大きいので安定感があるというか、こわごわ抱いている、という雰囲気が見受けられないからかもしれない。
「抱き上げるだけならな・・・泣かれちまったらお手上げだ」
 そう。智史が最も苦手なのは泣かれること。
 排泄も勘弁してもらいたいが、泣かれるのはもっと駄目だ。べそをかかれた時点で、あきのや倫子に任せるしかない。己でなんとか泣き止ませるなんて芸当は無理だからだ。
「まあ、泣き出しちゃったら、私でもかなり困るしねぇ・・・」
 あきのも苦笑した。
 そんな話をしているうちに、電車が横浜駅に到着する。
 智史とあきのは、そこからみなとみらい線に乗り換えて元町・中華街駅へと移動する。
 最初の目的地は山下公園だ。
 地上へ出ると、海の方向へ歩いていく。程なく、山下公園が見えてきた。
 係留されている氷川丸も見えてくる。
「あれじゃねえの?」
「うん、そうみたいね」
 手にしたガイドブックを見ながら、あきのが頷く。
 海沿いにあるそこは、ほんの少し、自分たちの住む町のそれに似ていた。広さが全く違うけれど。
 あきのと智史がきちんと出会った場所。その後のデートの定番とも言える公園。
「・・・・・海辺の公園だからかな・・・なんか、ちょっと似てる気がする」
「そうかもな」
 遠出をしてきた筈なのに、妙に親しみを感じる景色に、2人は自然と微笑んでいた。
 のんびりと、大桟橋の方向に向かって歩く。天気がいいからか、10時過ぎだというのに、たくさんの人が公園を歩いていた。
「横浜だからなのかな・・・人が多いね」
「旅行者も多そうだよな、女同士とかのカタマリはそれっぽいだろ?」
「カタマリって・・・智史ったら・・・」
 あまりの表現に、あきのは苦笑する。
 けれど、確かに、数人の女性の集団が多かった。年齢は、自分たちのような若い世代から、ご年配まで、様々だったが。
 小さな子供を連れた家族もいるし、カップルもそれなりに多いけれど、女性同士の旅行が流行っているのかもしれない、とあきのは思った。
「でも、横浜って人気あるよね。私も解る気がする。同じ海辺でも、東京とは全然違う感じがするもの」
「・・・まあ、そういえばそうだよな」
 あきのの感想に、智史も同意した。
 明治の文明開化に先立って開かれていった街だからか、異国情緒と、現代日本らしさが上手に調和している気がする。
 雰囲気的には、神戸に近いものがあると母の知香が言っていた。
 智史自身は、神戸に行ったことは1度しかないので、あまり覚えていないのだが。
「・・・あ、『赤い靴』の女の子の像だわ」
 あきのが足を止めた。
「赤い靴の女の子って、なんだそりゃ」
 智史の発言に、あきのは小首を傾げた。
「聞いたことない? 『赤い靴 はいてた 女の子〜』っていう歌」
「・・・・・あった、ような、ないような・・・」
 眉間に皺を寄せている智史に、あきのは小さく笑う。
「私も全部は知らないんだけど。赤い靴の女の子が、外人さんに連れられて、この横浜から船で遠くへいってしまう、みたいな歌なの。よく考えると、もしかして、恐い歌、なのかな」
「・・・今の説明だけ聞いたら、人買いみてーだな。単に連れられて一緒に行った、んならいーけど」
「ホントだね・・・機会があったら調べてみようかな」
「ま、別にいーんじゃねえ? 昔のことだろ?」
「・・・まあ、そうなんだけど」
「とにかく、歌に関係する像だってのは判った」
 頷く智史を見て、あきのはまた、小さく笑った。
「うん、そうだね。・・・えっと、あの、大きくて長いのが『大桟橋』だって。外国からの大型船なんかが接岸されるところみたいよ」
 ガイドブックを見ながら、あきのが説明する。
「へえ・・・それでデカいんか」
 残念ながら、今日は接岸している船はない。
 しかし、豪華客船みたいなものが停泊するのだとしたら、それはそれで見物だろうと智史は思う。
「あそこ、端まで歩いて行けるみたいなんだけど・・・行く?」
「そう、だな・・・」
 あきのに言われて、智史は少し思案する。
 桟橋の縁まで行くとなると、かなりの距離だという気がする。自分は平気だが、あきのはどうだろう。
 ちらりと彼女の足元に目をやると、それなりに歩きやすそうな靴のように見えるが、あまり無理をさせたくないと思った。
「お前は行きたいか? あきの」
「え? 私は・・・ん〜、ちょっと、いいかな、行かなくても」
 苦笑しながら答えたあきのに、智史は頷いた。
「俺も別に行きたい訳じゃねーし、今日は止めとくか。また、次の機会に行きゃいーだろ」
「うん、そうよね。じゃあ、このまま赤レンガ倉庫の方面に歩くのでいい?」
「ああ」
 頷いた智史にニッコリと微笑みかけて、あきのはそのまま歩き出そうとし、ふと、彼の腕に目を止めた。
 もし、彼が嫌でないなら手を繋ぎたい。
「・・・どうした? あきの」
 突然沈黙してしまったあきのを訝しげに見つめ、智史はその言葉を待つ。
「あ、えっと・・・あのね、手を、繋げたらいいなー、なんて、思っちゃって・・・嫌、かな」
 遠慮がちのその言葉に、智史は瞬間瞠目し、それから微かに笑った。
「・・・いいぜ、別に。ここなら、な」
 特に知人もいないこの場所なら、多少の気恥ずかしさ程度で済む。
 智史は自ら、あきのへと左手を差し出した。
 あきのは僅かに頬を染めて、そっとその手を握った。
   
 
 
  


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