First Love







 何気なく足を向けた夕暮れの海辺で、俺は波間を見つめる1人の女に気づいた。
 少々強めの海風を受けて、 彼女の髪と淡いオレンジに染まったスカートが揺れている。頬にくっきりと涙の跡を残した横顔は弱々しそうなのに、悲しみを懸命に堪 えようとしているような瞳の力強さが、俺の足を止めた。
 不意打ちにあったように、俺はその横顔から目が離せなくなってしまった。
 形容し難い感情が俺の中に渦巻き始め、やがて彼女がそこから去るまで、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。




「大麻くん・・・大麻くん」
「・・・・・・・っ・・・あー?」
 声をかけられて、俺は自分が眠ってしまっていたことに気づいた。確か、 英語の授業中だったような気がする。
「やっべぇ・・・・・寝ちまってた」
「大麻くん、爆睡してたよ。先生も呆れてた」
 そう 言って笑う女の顔を見上げて、俺はげっと叫びそうになった。
 肩より少し長いくらいの真っすぐな黒い髪に、目じりがやや下がった 大きな目。紛れもなく、昨日海辺で見かけた女だ。
「あんた・・・同じクラス・・・なんだよな?」
 恐る恐る聞く俺に、彼女は目を瞠 ってまじまじと俺を見た後、はっきりと判る溜息をついた。
「大麻くーん・・・同じクラスになってから3ヶ月近く経ってるんだけどなー。 女の子の顔と名前を覚えるのが苦手らしいってことは聞いてるけど、ホントにそうなんだ」
 自慢じゃないが、俺はどちらかと言えば 女は苦手だ。女に興味がない訳ではないが、女とつき合う為にご機嫌取りをするよりも、同性の友達とつるんでいる方が性に合っている。 家でも、3つ年下の双子の妹たちにぎゃあぎゃあ言われてるから、学校でまで女の顔色を窺いたいとは思わなかった。
 そんな理由で、 俺は今までも、そして高2になった今年も、クラスメートの女の顔と名前をロクに覚えていなかった。
 俺が全く反論出来ずにいると、 彼女は苦笑して悪戯っぽい瞳を向けてくる。
「・・・じゃあ、改めて自己紹介するね。私は椋平 あきの。このクラスの委員をしてるんだよ」
「クラス委員!?あんたが?」
「そう。いくら大麻くんでも、男子の委員の清水くんのことは、ちゃんと判ってるでしょ?」
「そ りゃあ、俊也のことは・・・・・そうか、あんただったのか」
 清水 俊也は俺の友人で、幼稚園の頃からのつき合いだ。気さくで成績は優秀、 やや運動が苦手ではあったが努力家で、いい奴だ。クラス委員に選ばれるのも恒例で、女からも人気のある方だが、これまでに俊也に彼女ら しき存在が出来たことはない。
 というか、俊也も俺程ではないにせよ、女が苦手らしくて、結構な数の女から告白されているにもかか わらず、どれも体よく断り続けている。
 その、俊也が珍しく誉めていた女が椋平だった。
 何でも、他の女たちのような思わせぶ りな態度や視線がなく、さっぱりとした態度で俊也に接し、委員としての責任感も強く、安心して仕事を分担出来る相手なのだそうだ。
 勿論、俺にとってはどうでもいい話だったから「ふうん」程度にしか聞いていなかったのだが。
「何があんたなの?」
「いや・・・俊 也の奴があんたを誉めてたからさ」
 そう言ったら、椋平は目を丸くして苦笑いを浮かべていた。
「へえー、清水くんがねえ。・・それ は光栄だな」
 そう言ってから、椋平は悪戯っぽい目つきになって俺の瞳を覗き込んできた。
「そうそう、忘れるところだった。大麻 くん、放課後職員室に来るようにって、今岡先生からの伝言」
「げっ・・・!!んなヤなこと言うんじゃねぇ」
 苦虫を噛み潰したような表 情になった俺を、肩を竦めてくすっと笑い、椋平は自分の席に戻っていった。
 なんと、俺の二つ前だった。





 西日が差し込む職員室の一角で、英語教師で担任でもある今岡からたっぷりと説教された後、俺は溜息をつきながら校舎を出た。
 俺は 運動は得意だが、勉強はお世辞にも得意とは言えないのだ。特に語学系は大のつく苦手でテストでもいつも赤点スレスレだったりする。それ故に担 任に説教されるのは何もこれが初めてではなかった。
 グラウンドの隅を横切り、サッカー部や野球部の連中の練習風景を何気なく眺めながら 校門に向かうと、門の左側に位置する体育館の方から、椋平が誰か友達らしい女と一緒に校門へと歩いていくのが見えた。
 楽しそうな笑顔を 連れの女に向けている椋平だが、時折ふっと表情に翳が射す。それを見ながら、俺は昨日の海辺での椋平の横顔を思い起こしていた。
 悲しげ な表情と、それに相反するような強さを秘めた瞳。あの涙の意味は何だったのか。妙に気になった。
「・・・・・・あれ、智史、珍しく遅いじゃない か」
 背後から声をかけられて、俺ははっとした。目を瞠って反射的に振り向くと、そこには部活を終えたらしい俊也の姿があった。
「・・・ ・・・何だ、お前か」
「何だとは何だよ。・・・・・あ、そうか、お前呼び出しくらってたんだっけ」
「・・・・・悪いかよ」
「そりゃあ、良くはな いな。それでなくともお前は英語が苦手なんだし、せめて授業態度くらいでは点数稼がないと」
「わかってっけどよぉ、午後の英語なんて、さも 寝てくれって言わんばかりだぜ?どうせなら、午前中ばっかにして欲しいよな」
「智史・・・」
 俊也は呆れたように小さく笑い、俺はふん、と 横を向いて再び歩き出した、椋平たちの後ろ姿はかなり遠くなっていた。
 暫く無言で歩いた後、俺はふと思いついて俊也に声をかけた。
「なぁ、俊也」
「どうした?智史」
「その・・・クラス委員の女、椋平、だっけ」
 俊也は露骨に驚きの表情を浮かべて俺を見る。ある程度 予想されたことなので、俺はふいと視線を逸らす。
「智史の口から女の名前を聞いたのは初めてだな」
「うるせーな。・・・・・言っとくけど、 ヘンな勘ぐりすんじゃねーぞ」
 俊也の声に笑いが含まれているのを聞いてしまうとさすがに面白くない。俺はごく自然に憮然とした顔になる。
「ヘンな、ね。まぁ、それはいいけど、どうかしたのか」
 俊也はまだ半分含み笑いのままで俺の言葉を促した。俺は俊也をひと睨みしてか ら口を開く。
「椋平って、どういう奴なんだ?」
「どういうって、どんな意味だい?」
「いや・・・・・・俺な、今日初めて椋平と口きいたん だけどな・・・確か、前にお前が誉めてたんじゃねぇかと、思ってさ」
「へえ・・・智史がそんなことを記憶してるとは驚きだな。成程ね」
 俊也 は意味ありげな微笑みを浮かべてから口を開いた。
「そうだね、明るくて、さっぱりしてて感じのいい子だよ。無理して自分を作ってる感じもな いしね。・・・・・で?椋平さんと何があったんだ。僕には白状しろよ、智史」
 俊也は一点の曇りもない瞳で俺を見つめてくる。俺は何と答えてよい か判らずに視線を外した。
「別に、何もねぇよ。ただ・・・・・・泣いてたんだよな」
 ぼそりと呟くように言った俺の言葉を、俊也は聞き逃さな かった。
「泣いて?椋平さんが?」
「・・・・・ああ。昨日な、偶然見かけてよ。理由なんて判んねぇけど、間違いなく泣いてたんだよな。・・・け ど、それが椋平だったってのは今日になってから知った」
「同じクラスだってことも判ってなかったって訳か。お前らしいと言うか・・・でも、気 になるな、それは」
 俺は俊也の言葉には特に返事をせずにそのまま歩を進めた。
 俊也が教えてくれた椋平の人となりは、今日俺が学校で 抱いた印象とほぼ重なる。それだけに、昨日の涙というのは彼女の秘められた部分という気がして引っ掛かりを覚える。
 しかし、何故にこんな 引っ掛かりを覚えてしまうのか。
 俺には、その時の自分が解っていなかった。






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