心から願うもの







 2月にそれぞれ国家試験を受け、現在は結果待ちの智史とあきのは、卒業の時期を迎えていた。
 試験の結果は3月末。合格すれば、それぞれ理学療法士、看護師になれる。
 そして、既に就職先も内定している。
 自己採点では、あきのは確実に合格、智史はギリギリ合格、という辺りだ。
 しかし、落ち着かないのは2人ともで、久しぶりのデートだというのに溜息が出てしまう。
「・・・早く結果が出りゃーいいのにな・・・」
「うん・・・そうだよね」
「・・・お前はいいじゃんか、まず通ってるんだし。俺は結構やばいからなぁ・・・」
 智史は肩を竦める。
 元々、智史は勉強が好きではない。あきのと出会って、己の未来を考えるようになり、ようやく真剣に取り組むようになったが、それまでの積み重ねが危ういのは変わらず、大学での成績も普通、という感じだった。
 出来るだけの努力はしてきたつもりだが、自己採点の結果がボーダーラインなのは現実だし、ここで落ちたら、本当に目も当てられない。
「・・・きっと、大丈夫だと思うよ、智史も。凄く、頑張ってたの、私知ってるもの」
 4年になってから、智史はアルバイトもセーブして、勉強に時間を割いていた。あきのとの時間も、気付いたら互いの試験勉強になったりしていた。
 勉強は嫌いだと言いながらも、将来のために真摯に取り組む智史の姿勢を見てきたあきのだから、その努力が報われない結果になることなど、考えたくなかった。
「・・・・・まあ、もう終わっちまったことは、しょうがねえんだけどよ・・・この、何とも言えねー中途半端さが、ウザいよな」
「・・・ホントだよね・・・」
 そしてやはり、溜息をついてしまう2人だった。
「ま、どんだけ考えたって今はどーしようもねえし、とりあえず、映画、行くか」
「うん」
 当初の約束通り、あきのが見たいと言った映画を見るために、2人は歩き出した。







 月半ば過ぎには卒業式を終え、智史はそれとほぼ同時に、試験に合格したと仮定して、予てからの願いを口にするための準備を始めることにした。
 もしも、合格出来ていなくて、内定も取り消されてしまったら全て無駄になってしまうが、合格発表を見てからではあまりにも遅い。
 周囲からすればおそらく、そんなに急ぐ必要があるのかと言われてしまいそうだが、智史はもう、限界を超えている。これ以上、曖昧にはしていたくなかった。
 最初に意識し始めてから既に5年近く経っているのだ。もう充分だと思いたい。
 ただ、その為には己の力ではどうしようもないことが山積みなのも事実。
「親父に・・・相談するしか、ねえ、よな・・・」
 本当なら親には頼りたくない。だが、頼らずに、となると、更に数年は先になるだろう。そうなってしまえば、おそらく、箍は外れる。
 出来るなら、それは回避したい。
 大学生の間、それなりにバイトも頑張ってきたつもりだ。しかし、所詮はバイト、その上サークルの飲み会などにもきちんと顔を出していたから、そちらの費用も当然バイト代から出ていた。
 結果、貯蓄、と呼べる程は貯められていない。きっと、ちゃんとした形のものを購入するだけで飛んでしまう。
 となると、それ以外の部分は誰かに頼るしかないのだ。
 智史はその夜、帰宅した父・安志が晩酌をしているところに顔を出した。
「親父、話が、あるんだけど」
 いつになく真剣な表情の息子に、安志は手にしていたビールの入ったグラスを置いた。
「何だ、智史」
 真摯な声音で応じる安志の言葉を聞いて、片づけをしていた知香も、手を止めて夫の隣に腰を下ろす。
「実は・・・・・」

 智史の願いに、2人はちらりと視線を交わし、安志はゆっくりと、探るような眼差しで息子の瞳を覗き込んだ。








 そして。
 待っていた日がやってきた。
 臨時事務局に張り出される合格番号。それを見るために、智史は掲示板の前で、唇を噛みしめていた。
 どうにも落ち着かない。大学入試の結果発表の時もそわそわしたが、今回はその比ではなかった。
 時間がきて、職員が番号の印字された紙を張り付けていく。
 智史はふーっと大きく息を吐き、ゆっくりとそれに近づき、合格の番号を確かめた。
「・・・・・あっ、た」
 手元の受験票と何度も照らし合わせる。
 間違いなく、同じ番号が記載されている。
「・・・っしゃあ!」
 両手の拳をぐっと握って、智史は携帯を取り出して、既に合格という結果を得たあきのに電話をかけた。
「もしもし、智史?」
「ああ。受かったぜ!」
「ホント!? やったね、智史」
「ああ。サンキュ、あきの。これから病院の方にも連絡して、家帰るわ。また、帰ってから電話する」
「うん、待ってるね。じゃあ、また後で」
 あきのの弾んだ声で、喜んでくれているのが判り、智史の口元も自然と緩む。
 職場となる予定の病院の事務局の方にも合格の連絡を入れ、智史は家に帰ることにした。
 知香にも合格したとだけ電話しておく。
 15時過ぎには帰宅し、春休みのため在宅していた母から、改めて「おめでとう」と言われた。
「これで、ひとつ前に進めそうね」
「・・・ああ。母さん、まだまだ面倒かけちまうけど、よろしく」
 ぺこり、と頭を下げた息子に、知香は目を丸くする。
「あらまあ・・・殊勝ね。でも、本当に、あなたの願う通りになってほしいわね」
 知香はそう言うと、智史にメモを手渡した。
「これは?」
「私の友人のダンナさまがシェフをしているイタリアンレストランよ。よかったら、あきのちゃんを誘って行ってきなさいな。彼女が行けそうなら、予約してあげるから」
「母さん・・・」
 知香の心遣いがありがたい。
 智史は早速、あきのに電話をしてみた。
「あきの、今日、これから、出られるか?」
「・・・出られるけど、どこかへ行くの?」
「たまには、一緒に飯食いに行こうぜ。お互い、合格したんだし、仕事始まったら時間取れるかどうか判らねえだろ?」
「うん・・・そうだね。ちょっと待ってくれる?」
 電話口のあきのは、倫子に許可をもらっているようだ。どうやら、彼女も今日は休日らしい。
「・・お待たせ。いいよ」
「なら、5時くらいに迎えに行くから、待っててくれ」
「解った。待ってるね」
 智史が電話を切ると、心得たように、知香がレストランに予約の電話を入れてくれた。
「ホテルのレストランほど気張らなくていいけど、それなりにちゃんとした所だからね。味も保証するわ」
「サンキュ、母さん」
 智史は過日に晃基に見立ててもらって買った黒系のジャケットにスリムパンツと、手持ちの淡い空色系のポタンダウンシャツを合わせて身に着けた。
 スーツほどはきっちりしていないが、そこそこに見られる格好だ。
 ポケットには大切な包み。
 それを確認して、智史は家を出た。
 太陽は西に傾きかけている。
 よく晴れた、比較的暖かな夕方だった。

 








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